歴史認識問題 映画「メメント」を通して歴史を知らずに生きていくとはつまりどういうことなのかを考えてみる

尖閣諸島・竹島の所有権をめぐる領土問題、従軍慰安婦の賠償問題と、日本と中国、また日本と韓国の歴史認識の食い違いが国際問題になってしまう今日此の頃ですが、そもそも歴史とはなんなのでしょうか。

歴史が面白い!

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小学校、中学校、高校と歴史の教科がありましたが、私は小さな頃から勉強が苦手だったものの、歴史の授業だけは食い入るように先生の話を聞きながらのノートをとって毎回とても楽しみにしていたものです。

高校は工業科に進学したため日本史がなかったので、大人になってから「日本史B」の教科書を書店で買い求めて、しばらく職場や出かけ先やら何処へでも自転車のカゴに入れたりして、持ち歩き線を引いてボロボロになるまで何度も読み返したものです。

昔のことを知るのは楽しいものです。祖母や両親がしてくれる「昔の話」は実に興味深いものでした。

祖母は生まれ育った農村の貧しい(大袈裟かも?)暮らしや、戦前戦中の東京や中国、台湾、朝鮮といった外国での生活の話。

日本に帰ってからの空襲や原爆を見た話。

愛する人を戦争で亡くした話等を語ってくれました。

父の昔話は子供の頃の労働の話。

男手の少ない我が家では、小学生の父も一人前の働き手だったようです。

牛車で荷を引かせての坂道では父も一緒に押さなければならず、坂の麓で十分に牛を休ませないと途中で牛がへばってしまい荷車が横転して積み荷を全て一人で拾い上げねばならなかった話。また中学卒業後の丁稚奉公の話等々。

ついでに私の昔話をしますと、私は昭和50年代後半に地方の兼業農家生まれ、その頃さすがにテレビはカラーなものの、4本足にチャンネルはダイヤル式で電話は黒電話。洗濯機は二層式洗濯機。トイレは汲み取り式で、祖母が天秤棒でそれを汲み取って畑まで歩いて行き、肥料としてまいていました。田植えの時期には庭に敷き詰めた稲の苗の上で弟とサッカーをしてしまい、父からこっぴどく叱られてお仕置きとして蔵に閉じ込められたりしたものです。

こういったことを同世代に話しても「お前は何時代の人なんだ」と言われたりもしますが、私の子供の頃の風景や生活様式も今やすっかりと失われてしまいました。実家の近くには、昔は田んぼしかなかった場所に巨大なショッピングモールや商業施設がどんどん建ち、マンションも多く建ちました。

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外国のショッピングモール

この写真はイメージです。

外国のショッピングモールですが、こんな施設がいまや世界中にできました。

個人商店はだんだん少なくなって、日本の地方風景はすっかり変わってしまったように思えます。

時々家に伝わる古いアルバムをめくってみると、自分の知っているものから、さらに遡る古い情景が繰り広げられ、歴史の流れを感じて知らない時代にすら懐かしさと憧憬をいだきます。

変わらない風景が少なくなって行く中でも故郷を訪れるとホッとして安心するものです。

私の生まれた家は戦国時代小さなお城があった場所だそうで、シタキド、ナゲシ、シンドロなどの小字には城を構成する縄張りの名称が残っており、本丸があったと思われる神社の周りは確かにお堀や斜面で囲まれていたりします。

私の先祖は戦乱の最中必死に領土を守り、江戸時代は庄屋となり家を残したといいます。また、家の近所では弥生時代の遺跡や遺物が多く発掘され、古くから人が住んできた土地でもあり、調べると結構いろんなことが分かります。

歴史とは何も教科書に載っているものではなく、もっと身近にもあるもので、むしろそちらを大事にしたほうが良い気がします。

 

凄まじい変化を続ける「現代」という時代

さて、子供ころは遠足や農作業にはお弁当や水筒をよくもって出かけました。

昔の感覚でいけばお茶や水、おにぎりなんかをお店でお金を出して買うなんてことは考えられなかったのでしょうが、今は常識となり、お弁当は家で作って外で食べることよりも、外で買ってきて家で食べることのほうが多くなったと思います。

これはかなりの変化です。

今の時代は欲しいものが家にいながらなんでも手に入りますが、私の子供の頃はインターネットもなければパソコンも普及しておらず、スマートフォンどころか携帯電話も無かったし、もちろんAmazonなんかもなかったわけです。

このように一世代の間でも時代は急激に変化しました。さらに二世代、三世代前に遡れば戦時中になってしまう訳ですからもう別の世界のように感じてしまいます。

この昭和から平成にかけての変化はまさに劇的としか言えません。

この90年ほどの社会の変化の凄まじさといったら凄いと思います。

90年前には家電といえば電球と、あったとしてもラジオ、蓄音機、電話ぐらいでしょうか。65年ほど昔、祖母は父達兄弟のオムツなんかは近くの川で洗っていたとも言います(真冬でも)。

洗濯機はなかったそうです。

今の世の中は本当に便利で快適になったものです。

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歴史を知らないとはどういうことか 
映画「メメント」から考える

私は、歴史を知らないということは、記憶障害にかかるようなものではないのかと思います。過去と過程を知らなければ現状に対処することはできません。

何処へ向かえばいいのか迷ったならば、何処からどんな目標を持ってやってきたのかを考えるとよいではないでしょうか。

例えば、毎朝目覚めると昨日までの記憶喪失になるとどうなるでしょう。

結構困ると思います。何をしたらいいかさっぱりわからないと、どうしょうもありません。

過去を知ることができなければ人は何もできません。

10年以上前の作品ですが、アメリカの映画に『メメント』という作品があります。

あらすじをざっと説明しますと、ガイ・ピアーズ演じる主人公のレナードという男性は妻を殺害され、自身も犯人に頭を強く殴られて10分しか記憶が保てない。

10分経つとすべて忘れてしまうという前向性健忘という記憶障害を負ってしまいますが、唯一の記憶である妻を殺害されたことに対する復讐をはたすべく犯人捜しに奮闘するという話です。

記憶がもたないため彼は常にメモを取り、人物に至ってはその都度ポラロイドカメラで撮影し名前や情報を書き込んでジャケットのポケットに入れておき、重要なことは身体に刺青で書きこむようにします。

鎖骨の下には犯人であるジョン・Gの名を彫り、他に犯人が白人であり所有する車のナンバーが彫ってあります。

物語は犯人と思われる人物を殺害するところから始まり、物語は時系列とは逆に遡るように進み、レナードが犯人殺害に至るまでのいきさつと、彼のこじれた記憶の真相に迫るという内容なのですが、すごく面白いのでぜひご覧ください。

メメント 映画予告

この映画をみていろいろ思うことがあったのですが、一つは、これを部分的に切り取った見方をすれば、レナードは刻一刻と状況が変わり危機が迫る中でも記憶がもつ10分の間に必死に情報を集めて状況に対処していきます。

これをマクロ的に見て、10分間を人の一生に置き換えて考えてみると歴史認識の意義がよく分かると思います。

レナードは、10分の間に手元にある情報を入れて整理して、次の10分を生きる自分のためにさらに手がかりを残します。

「次の10分」を「次世代」に置き換えて考えると、歴史を知る、そして伝えることの意義とはどのようなものなのかが分かるような気がします。

この映画では10分前の自分しか、本当の意味での歴史の真実を知ることはできません。

しかし、さらに映画を観る人の「時系列の視点」でその一つ一つの歴史の真実を繋ぎ合わせなければ、本当の意味で自分の歴史を認識することはできません。

そう考えると歴史認識とは相当な努力の要ることのように思えます。

歴史を正しく学び、現状を理解し次世代の為に何ができるのか。

ぜひ映画をご覧になり、レナードが必死で10分後の自分に何らかの情報を残そうと必死になっている姿から何かを感じてみて欲しいと思います。

 

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