儀礼をなくして社会は成立しない 普段は意識しない「祈りの動作」=「まじない(呪術)」=「儀礼」だらけの日常生活

挨拶について

おはようございます。

朝はこのように挨拶をします。

家族や親しい人にはそういってにっこり微笑んで言うかもしれませんが、職場の上司や同僚、学校の先生、外で会う人にはお辞儀をして言うのではないでしょうか。

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外できちんと挨拶できなかったり、しなかったら何だか気まずくなります。「会ったのに私を無視するの?」となってしまいます。

そもそも挨拶の意味とは、「おはようございます」=「(時間帯が)早いですねえ」、「こんにちは」=「今日は」 「こんばんは」=「今夜は」といったように挨拶の言葉は具体的に意味を相手に伝える目的を持つ言葉ではありません。

中学校の英語でThis is a pen なんて例文がありましたが、そんなの見たら分かるといった感じと似ています。

挨拶とは、その日、人と人が出会って関係がスタートする儀式です。

お辞儀なんて行為は身体表現による儀礼そのものです。

「おはようございます」、「こんにちは」、「こんばんは」は文法上、一語で成立する感動詞ですが、本来ならばこの後に何かの言葉が続くべき言葉です。

本来なら「今日は⚪⚪ですね︎」とかつけるべきなので、つまりその日の関係をスタートさせるきっかけをつくり、勢いづけるような力を加える言葉として定着しているのではないでしょうか。

よく「何かいいことないかな」なんて言う人がいます。

ある人が言いました「ありました。今日も朝目が覚めました」と。

人は本来生きているだけで幸せなのです。「おはようございます」の宣言は、お互い生きています。良かったですねと祝福がこもっているように思います。

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別れの挨拶「さようなら」は、お侍さんがいうような言葉「左様ならば」からきているようです。これも途中で言い残した感じの言葉です。

「それじゃ」なども同様、本来なら「それじゃ⚪⚪ですね︎」と続くはずです。

あえて中途半端に会話を途切れさせ、再会を願う祈りがこの言葉には込められているのではないでしょうか。

逆に職場を去る時は「失礼します」「お疲れ様です・お疲れ様でした」はTHE END といった感じで、今日のところは関係を断ち切りたいという思いがこめられているように思えます。(笑)

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儀礼=言葉・動作による呪術

日本では古来より、言葉には霊的な力が宿るという「言霊信仰」がありました。

万葉集には山上憶良(やまのうえのおくら)が遣唐大使へ贈った歌に「神代より 言ひ伝て来らく そらみつ 大和の国は 皇神の 厳しき国 言霊の 幸はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり」とあります。

また、柿本人麿(かきのもとひとまろ)歌集には「磯城島の大和の国は言霊の助くる国ぞま幸くありこそ」とあります。

古来より、言霊はその働きによって国を助け、人々を幸せに出来ると考えられていたようです。

神道の祝詞もこの「言霊信仰」に基づいたものであることは言うまでもありません。

また別れの際、「バイバーイ」と手を振りますが、これは「鎮魂」という呪術に基づいた行為と考えられます。

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神社をお参りする時に鈴をガランガランと鳴らしますがあれもそうです。

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鎮魂とは外からよい魂を迎えて自身の体内に鎮めること「たまふり」(魂触り)から始まり、しだいに遊離しようとする自身の魂を身体内に鎮めてそれを防ぐといった考え「たましずめ」に発展していったと考えられていたりしますが、要するに自然界のパワーを自身に吸収することが「鎮魂」であり、さらにその「魂」を上下左右とフリフリと振り回すことで活性化させることへと発展したと思われます。

お神輿なんかもみんなで担いで神様をワッショーイワッショーイと揺り動かします。激しいところだと階段から転がしたり、火をつけたり、海に投げ入れたりしますが、あれはやりすぎだと思います。

 

人生の節目

人は生まれて一ヶ月経つとお宮参りをします。さらにお食い初めや、餅を担がせたり踏ませたり、さらに七五三といったお祝いごとが続きます。

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やがて小学校の入学式、卒業式、成長して就職すれば入社式。

彼女、彼氏と結婚して結婚式。マイホームを建てるにあたり地鎮祭。

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このように神事、家の風習、学校・会社の行事問わず、人生には多くの節目があり、儀礼を行います。たいてい人生を振り返ると節目となる出来事を思い出します。

人は全てを記憶することはできません。

学校で入学式や卒業式をしないのは考えられないように、ことを始めたり、終えたりする時には、何かしらの儀式が必要とされます。

誕生日にはケーキがないと寂しいですよね。

人生の節目節目を大切にしていきたいものです。

竹に節目がなかったらどうなるでしょう?ありえないですが、しならずにバキッと折れてしまうことでしょう。

節目があるからこそ人間は人生の荒波にも耐えることができるのです。

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よく敷居を跨ぐと言いますが、家の敷居は絶対に踏んではいけないとされています。敷居には神様が宿っていると言われる所以はもうおわかりでしょう。

節目とは境界。異なる時間や空間の境界に神様は存在すると思われます。

 

最後までお読みいただきましてありがとうございます。

 

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