「神話を忘れた民族は100年以内に滅びる」とイギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビーはかつて言った では日本人にとって神話とは何か

▲画像は出雲大社です

日本文化を語る上で外せないのが神話

私は単なる歴史好きなだけで、歴史を専門に学んでいません。

一度は史学の道を志し、史学の研究において権威のある大学に入ることに決めたのですが、史学というものは実に地道な研究を強いられるといいますか、(まあどの学問分野においてもそうなのですが)一つの時代の何かについて徹底的に丹念に調べ抜くといった研究では、日本文化の根底にあるものや、全体像を捉えるのは難しいと考え、神道を学ぶことにしました。

大学に入った後、再び史学に対する熱意に目覚めて民俗学を志したこともありましたが、とりあえず民俗学の研究は置いておいて、ひたすら日本の根源的な部分を究明し、世界を救う抜本的方法を大真面目に考え続けてきました。

日本の文化を語る上で、どうしても日本神話の内容に触れる必要があります。

これまでの歴史とこれからの歴史を結びつける日本文化の紐帯とも呼べる、重要な役割を持つのが日本神話です。
 

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代表的日本神話 古事記・日本書記

一口に日本神話といっても様々なものがありますが、代表するものといえばなんといっても『古事記』です。成立は和銅5年(712)に稗田阿礼(ひえだのあれという人が暗記している内容を、太安万侶(おおのやすまろという人が筆記して作られました。

 

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真福寺収蔵の国宝・『古事記』。信瑜の弟子の賢瑜による写本 出典:Wikipedia−古事記より

日本には文字が無かったため記憶頼りの口伝えで昔のことを記録していました。

万葉仮名という漢字の音を当てて書く方法がとられていましたので(例 ヨロシク=夜露死苦 みたいな)しばらくすると誰も読めなくなりました。

長らく「古事記を紐解く者は死ぬ」といわれて長い間解読不能となって1500年間ほったらかされていましたが、江戸時代に入って本居宣長という学者さんによって解読がなされて、やっと読むことができるようになったといいます。

次に『日本書紀』という書物がありますが、これは養老四年(720)に舎人親王(とねりしんのう)が編年体の歴史書として完成させ、天皇家の系統を明らかにするという政治的な意図と、中国を意識した体裁をもって作られたといわれています。

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日本書紀 平安時代の写本 出典:Wikipedia−日本書紀より

これは漢文で書かれていますので、長らくの間、神道のテキスト・教典としてずっと読み継がれてきました。

日本書記の特徴として、様々な異説が物語の進行途中に同時に紹介されています。

これは一神教ではあり得ない記述方法です。

聖書ならば唯一絶対の神に関する話にブレがあってはいけません。

神に対する信仰を揺るぎないものにするため、矛盾する点が指摘されればその都度、聖書は書き換えられました。神道にとって聖書に該当するこの日本書紀の「説を一つに絞らない」記述法に日本人の寛容さが出ている気がします。

もっとも神道は建前上では宗教ですが、実際は形式的な宗教とは懸け離れているように思えます。

宗教は英語でReligion すなわち「固く縛る」というような意味のラテン語Religareからきているようでして、すなわち人々にこれをしてはいけない・こうしなければ地獄に落ちるなどと、人の行動を規制するのが宗教だと思いますが、神道にはこのような戒律は存在しません。

古事記と日本書紀を合わせて「記紀」と呼びますが、このほかにも和銅6年(713)に元明天皇の命により諸国に命じて作成させた郷土史である『風土記』(現存するのは常陸(茨城)、播磨(兵庫)、出雲(島根)、豊後(大分)、肥前(佐賀・長崎)のみ)や、斎部(いんべ)氏が大同二年(807)に編纂した『古語拾遺』。聖徳太子や蘇我馬子が著したとされる『先代旧事本紀』(実際は平安時代に成立したと考えられている)等が「神典」として挙げられますが、一般の人々が知っていて全国のどの書店にもあるものは古事記・日本書紀ぐらいのものでしょう。

しかしこの「記紀」を今のように一般の人々が読むようになったのは明治以降だといいます。

王政復古」や「祭政一致」を唱え、平安以前の天皇中心の政治を目指した明治政府の思惑もあり、「記紀」は国民の「神話」として確立したといえます。それまでの人々にとって「神話」といえば各地の神社や地域に伝わる言い伝えだったと言えるでしょう。

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重層的な文化を持つ国 日本

さて、私は一時期「民俗学」の道を志したと言いましたが、民俗学とは「日本らしさ」を知る為の学問と思われがちです。(実際そう考える民俗学が主流になった経緯がありますが)しかし実際は、各地域の「地域らしさ」を知る為の学問として始められたのだといいます。

明治以後急速に西洋文化、近代的な産業を取り入れて「国民国家としての日本」として再出発し、劇的な変化に晒され、失われていくことが危惧された日本の各地域の古い風習、儀式、言い伝え、伝統芸能といったものから、書物の「文字資料」とは異なる「民俗資料」として収集し、日本各地に暮らす名も知れぬ人々達の生活を伺い知り、更には「重出立証法」という広範囲における資料収集と各地域の比較によって、ある地域からほかの地域への文化の伝播や、人々の生活の変遷を知るもうひとつの歴史学を目指して出発したのが民俗学でした。

テレビ番組に「秘密のケンミンショー」というのがありますが、あれを観ると日本は各地方において様々な文化や特色があるなと感じます。

民俗学を始めた柳田國男先生は、民俗学に関する初の著作『遠野物語』の序文の一文に

国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。

と記しておられます。

この表紙からもわかるように民俗学=妖怪といったイメージもあり、民俗学は水木しげる先生みたく、妖怪博士の学問と思われていたところがあります。

なにも妖怪の話で人々を戦慄させようといっている訳ではなく、平地の生活とは全く異なる、東北の山深い遠野地方に住む人々の生活を語って戦慄させよう、ビックリさせてやろうということでした。

同じ日本人といっても地域ごとで多種多様な文化があり、それを対等な立場として認めるという、多文化主義、マルチカルチュラリズムの視点に立った主張であったのです。

「個人」の無い日本人にとってこの地域単位の差異こそ強烈な個性の表れなのではないでしょうか。

明治の廃藩置県が行われる前は「国」といえば東京や埼玉なら武蔵野国、神奈川県なら相模の国といったように、幕藩体制が長く続いていたため、日本の国民という意識はあまりなかったと思います。それぞれの地域でそれぞれの文化を持ち、日本語といっても九州と東北では随分違うし遠くに住む日本人同士は思うように言葉も通じなかったようです。

それが明治維新以後に挙国一致体制が敷かれ、国民国家としての新たな「日本」として出発するための大事な役割を担ったのが記紀神話だったのではなかろうかと思います。

この日本という国の成り立ちと天皇を中心とした国家観を再認識する、アイデンティティーの確立には欠かせ無かったと思われます。

そもそも、古事記・日本書紀が成立した背景には国内の安定化の必要性がありました

天智二年(663)に日本は唐と新羅の連合軍に大敗を喫し、天武元年(672)の壬申の乱で国を二分にした大乱が起こった後に編纂された国史が古事記であり日本書紀でした。

つまり、国の体裁を整え威儀を示すために作られた神話であり歴史なのです。

我々日本人は、この記紀を紐解くことで、自信と誇りをもって力強く、そして毎日を笑って暮らしていける理由を思い出すことになるでしょう。

この神話は遥か昔、豊かで幸せな暮らしを求めてやってきた我々日本人の祖先からの記憶なのです。

神話を忘れた民族は100年以内に滅びる」といいます。

本当に日本がそうなるのかはわかりませんが、今の学校では神話を教えません。

どうか少しでも「日本神話」に、より多くの人に親しんでもらえるような働きかけをこのブログを通してやっていきたいと思います。



 


「神話を忘れた民族は100年以内に滅びる」とイギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビーはかつて言った では日本人にとって神話とは何か」への2件のフィードバック

  1. 「江戸時代に入って本居宣長という学者さんによって解読がなされて、やっと読むことができるようになった」

    これはWikipediaが撒き散らしていた、本居宣長についてのデマを真に受けたものだと思いますが、最近ではWikiは訂正されています

    本居宣長が著した「『古事記伝』の成果は、当時の人々に衝撃的に受け入れられ、一般には正史である『日本書紀』を講読する際の副読本としての位置づけであった『古事記』が、独自の価値を持った史書としての評価を獲得していく契機となった」ですよ

    つまり副読本として普通に読めてた、読まれてたってこと

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