日本の古き姿を神社に求めて ①「衣」

今回から3回シリーズで、神社の「衣・食・住」に注目し、古き日本の姿を見いだしてみようかと思います。

時代は移り変われども今も昔も変わらない風景があります。

それが神社です。神社は今でも古い様式を守り続けて営まれています。

私は神社の中に本当の日本の姿があると確信して、この道を学び探求してきました。

今回は神社の「衣」装束、着物について見ていきたいと思います。

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神社の「衣」 装束・着物

神社にいる神主は普段、白衣・袴姿ですが、お祭りの時はその上に装束をつけて奉仕します。

まず普段の初宮詣や車のお祓い,厄払い等の祈願祭や、月毎のお祭りである月次祭などの小祭では「狩衣」を着ます。狩衣とは平安時代の貴族が日常生活で着用する服だったようです。名前のとおり狩りをする時にも着ていた服なんだそうで、例えるならスポーツウェアのような感覚でしょうか。蹴鞠をする時も着てたみたいですし。

 

五穀豊穣を祈る祈年祭や、収穫に感謝する新嘗祭,各神社の例大祭などの大祭では「衣冠」を着用します。神社では「正服」と呼びます。「衣冠束帯姿」という言葉を耳にすることもあるかと思いますが、衣冠と束帯は違います。衣冠とは束帯を着やすく改良されたものであって、共に貴族が宮中で勤務服として用いられていた装束でした。今のところでいう、スーツのようなものでしょうか。

 

正服を着るときは冠を被ります。

 

形としてはだいたい「狩衣」と「衣冠」の2種類に分類されますが、女子神職は宮中の下級女官が用いた采女装束を基にしたもの用いたり、水干という狩衣に似た装束を用いたりします。

 

 

 

また、祭典中に雅楽を演奏する場合には直垂という古墳時代に端を発するという日本古来の装束を着て奉仕することもあります。直垂は初め庶民の服だったそうですが、武士の礼装として鎌倉後期より用いられて着ました。

 

 

日本の装束はどこからやってきたのか?

衣冠はもともと飛鳥時代ぐらいに律令と共に中国から伝わってきた朝服が元となっており、その朝服も元をたどれば古い時代のイラン(胡)からやってきた胡服からきています.中国では胡服が軍服として使用され、やがて日本に伝わったというわけです。

装束は狩衣といい以外にも初めはアクティブな使われ方だったようです。

 

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小笠原流百々式 Lens on Japan

 

頭にかぶる冠も元々は中国からやってきた幞頭(ぼくとう)というかぶり物が元になっています。聖徳太子が被っているあれですね。

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狩衣姿の時は烏帽子(えぼし)を被ります紙に黒漆を塗って固めた「立烏帽子」と麻や絹でできた「懐中烏帽子」があります。中国は唐から伝わった鳥沙帽(うしゃぼう)が基になっています。

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立烏帽子 minzoku.shop-pro.jp

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懐中烏帽子 minzoku.shop-pro.jp

平安時代には庶民に普及して鎌倉時代になると被り物がないのは恥とする習慣が生まれて、僧侶と罪人以外の人はなんらかの被り物をつけていました。烏帽子は当時男性の象徴であり、これを脱がされるようなことは恥辱行為であり、髷を見られるのはとても恥ずかしいことだったようです。

神主が手に持っている長い板状の物である笏にしても中国発祥の物で、行事の式次第を忘れないようにメモを書いたりするためにあったのですが、やがて威儀を正す為、つまり格好をつけるために持つようになったといわれています。

さて、最後に履物ですが、神主は必ず着物の時は足袋を履き、外に出る時は雪駄(草履)を履き、外でお祭りをする時などは浅沓(あさぐつ)というクツを履いて奉仕します。

古代においては、貴族が束帯を着る際に外で浅沓履くため、足袋でなく襪(しとうず)という指先に割れ目の無い靴下タイプの履物を着用したそうで、普段着の狩衣姿の時の着用は公では許されず、宿老と呼ばれる高位の貴族の老人に限って勅許、つまりは天皇の許可を得てから履くことができたのだそうです。

 

 

普段着なのに、靴下をを履くのに天皇の許可がいるとは今となっては驚きです。

 

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