神社に求める古き日本の姿②「食」

日本の食文化の中心 お米

前回は神社の「衣」装束についてでしたが、今回のテーマは「食」です。

神社、そして日本人にとって最も重要な食べ物、それはお米です。

神社では、五穀豊穣を祈るお祭りである祈念祭と、その収穫に感謝する新嘗祭は共に大祭であり、この二つの大きなお祭りがひとつのおおきなサイクルをつくっています。

日本の祭りや信仰、儀礼は稲作から始まったとも考えられています。

神道は他の宗教とは違い、個人の救済よりも共同体や社会の安寧に重点が置かれています。本格的に稲作が始まった弥生時代、大規模な水田耕作はそれ以前の縄文時代の生活よりもいっそう人々の連携協力が必要となりました。

狩猟・採集の食料調達から農業による食料生産に変わったことで定住し、計画的な営みをはじめることで、いつ種を蒔くのかを決める暦や、収穫を祈念する儀式儀礼が発達していったと思われます。

日本神話においても、天皇家の祖先神であり、伊勢の神宮の神様である天照大神(あまてらすおおみかみ)から子孫である邇邇芸命(ににぎのみこと)が天孫降臨(てんそんこうりん)すなわち、天上の世界である高天原から日本の国へ降りてくる際に稲を授かり、天上世界で営まれている稲作を地上においても行うよう、すなわち稲作をして暮らしなさいと命令を受けたのです。これを「斎庭稲穂の神勅」(ゆにわいなほのしんちょく)といいます。

 

斎庭稲穂の神勅

吾が高天原に所御(きこしめす)斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)を以て 亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし

 

事実、日本人はずっと米を作り続けてきました。江戸時代まで国のレベルを判断する基準としてお米の取れ高である石高が使用されていました。お米はお金でもあり、石高は軍事力をも示す数値でした。つまり、すべての基準はお米であったわけです。

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憧れの食べ物だった お米

日本のお百姓さん達は「白まんまを腹一杯食いてえ」と白いお米を食べることを夢みて一生懸命働いてきましたが、日本の国民が誰でも白米を口に出来るようになったのは戦後からだといいます。

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戦時中は食糧難の時代、その前も恐慌があったりと、みんなお腹を空かせていた時代がありました。

江戸時代には白米食が大ブームとなり、脱穀によって栄養素をそぎ落とされた白米を食べる事によって脚気が流行したそうですが,当時、地方においては玄米や麦飯などの雑穀が食べられていたようです。

そんな日本の食文化の中心にあり続けてきたお米は、当然ながら神社のお供えで神様がお召し上がりになる神饌(しんせん)の中で、お酒や鯛といった魚や、乾物、野菜、果物といったお供えがある中でも一番格が高いのです。

神饌のなかで最も白米の位が上で、次が玄米、お餅、お酒と続きます。上位は全てお米とお米でできたもので占められます。お餅は大きなお祭りやお正月しかお供えしない正に特別な食べ物です。英語で餅をrice cake ライスケーキというらしく、穀物を練って丸くしたものが特別な日に西洋でも東洋でも食べられるという不思議な共通点がありますね。

お酒は古来から重要とされてきた神饌でした。これは白米と同様に毎日必ずお供えされます。お酒を飲むと酔っ払いますが、この不思議な力にしても、お米を発酵させるとお酒になること自体も不思議であり、神様に通じる力があり、お酒は神様の力によって作られると考えられていました。

お酒を作る人を「杜氏」と言いますが「杜(もり)」は神社の「社」からきているともいわれ、酒造り自体が神事であるとされてきました。

 

日本の主力産業だった稲作

いつから日本人がお米を作ってきたかといいますと、今から6000年ほど昔の縄文時代から行われていたようです。縄文時代といえば、狩猟や漁労、採集の生活というイメージですが、焼き畑による稲作が行われていたようです。

そして2600年前くらいから九州北部で水田が始まります。

 

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福岡県 板付遺跡周辺 出典:福岡市の文化財

 

弥生時代のお米は熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカという種類に分けられるそうで、熱帯ジャポニカは縄文時代の焼き畑稲作の時代に作られていたものだそうで、この稲がどこから伝わったかといいますと、世界で最も古い稲作の跡が中国は長江の中・下流域であることから、ここが起源と考えられています。

米類の次には鯛などの海魚、鯉などの淡水魚、次に鳥もしくは卵、次にスルメや昆布、次に野菜、果物、お菓子、お塩、お水が供えられます。

海、川、山の様々な幸がお供えされるのですが、基本的に四つ足の動物の肉はお供えしません。日本では長らく肉食が禁止されていたからだと思います。

天武天皇の治世(675年)に肉食禁止の勅令が公布され、その後明治天皇の牛肉試食(1872年)に至るまで肉食は公的に禁じられていました。

なぜ禁止されてきたのかといいますと、農耕の妨げになると考えられていたとも、熱心な仏教徒であった天皇が戒律にその従ったためともいわれています。

天武天皇が食用に禁じたものは牛、馬、鶏、犬、猿で、鹿や猪は含まれておらず、しかも4月〜9月という農耕期間に限られていました。牛や馬は運搬や耕作に使用されるため、当然食べるのはまずいわけです。鶏は神の使いとされていのでダメ、犬は田畑を外敵から守るのに必要で、猿は人に似ているから食べてはダメといった理由だそうです。

例外中の例外として諏訪大社では鹿の生首がお供えされます。

 

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諏訪大社 御頭祭 献饌の義 yatsu-genjin.jp

諏訪地方は縄文由来の特殊な文化を持つ地域です。

狩猟民としての特徴を強く示すものと思われます。

 

野菜 果物

さて、野菜に関しては以下の記事をご覧ください。

現在栽培され、日本の市場に出荷されている野菜の数は約30科約130種類程度と推定されている。そのうち、日本原産、または日本も原産地の一部とされているものは約20種類弱である(図1)。

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しかし、これら日本原産の野菜は、料理の主体となるものというよりそれを豊かにする素材の一つ・味を引き立てる役割を担っているもののみで、現在の主要野菜となっているものは皆無である。その他の種類は時代の古い・新しいはあるものの、海外から渡来・導入したものである。これらが、時の流れと共に日本各地に伝搬・馴化し、それぞれの地域に適応した品種・系統に分化し、地域独特の野菜として定着し、かつて40~50年前までの日本の野菜の主体を成していた。現在、その極一部が伝統野菜、在来品種、地方品種と呼ばれて再認識されつつある。

vegetable.alic.go.jp より引用

 

とありますように、日本に元々ある野菜は少なく、多くは海外からやってきたものです。

果物も日本原産のものは梨、みかん、すもも、柿、ぐらいなものらしいです。

いまでは神饌としてお供えに上がる野菜、果物といえばバナナやリンゴ、オレンジといったものです。

やはり必然的に安定して供給されやすいものが選ばれます。

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こんな感じです。

伊勢神宮で神饌を見せてもらったことがありますが、マスカットがあった時は驚きました。

そのお祭りは「日毎朝夕大御饌祭」(ひごとあさゆうおおみけさい)という神宮で古代から1日も欠かすことなく続けられてきたお祭りですが、野菜や果物に関してはバリエーション豊富だなと感じたものです。
 

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