全てのモノは外からやってきたのだとしたら、日本文化の独自性とは何なのかを考える

日本には常にお手本とする国があった

遡ること三回に渡り、神社の衣食住から古い日本の姿を辿ってみました。

日本の文化伝統を形作るものことごとくが、中国や朝鮮といった大陸から伝わってきたものに強く影響を受けていることがみてとれたと思います。

周知の通り、日本は昔から中国、朝鮮から文字、宗教、法律、医学、建築土木技術といったありとあらゆる文化や学問、技術を取り入れてきました。

江戸時代においては武士の最も重要な学問だったのは朱子学という儒教であり、論語、大学、中庸、孟子、易経、書経、詩経、礼記、春秋からなる四書五経が中心となって学ばれていました。つまり、日本は江戸時代までずっと中国をお手本としてきた訳です。

明治を迎えると文明開化と称して西洋文化を手本とし、戦後はアメリカに従ってきました。日本人は時代ごとに外国文化を必死で受け入れ学び、習得して自分のモノとして吸収してきました。

 

シルクロードの終着点 
ユーラシア大陸の文化が育んだ日本

それにしても、神主が着用する装束が元を辿ればイランからやってきたもの(胡服 こふく)だったとは、初めて聞いたときは意外に思いました。

神社のお祭りで演奏される雅楽にしてみても、中国や朝鮮から五世紀前後に伝わり、楽器はイランなどの中東地域に起源があるといいます。

今まで、日本古来の信仰である神道を軸にして語ってきましたが、一方で日本は仏教の国といってもいいほど生活と関わりが深いのです。

その仏教の仏像にしても、ギリシャのヘレニズム文化の影響を受けています。今みられる日本の仏像の多くがギリシャ風のお召し物を着ておられます。偶像を作るヨーロッパの文化を取り入れてインドで仏像が作られ、やがてそれが日本に伝わったためです。

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ギリシャの神 冥王ハーデス

 

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鎌倉大仏

また、建築においても法隆寺には古代ギリシャ発祥の建築技法「エンタシス」が取り入れられていたりします。ただし、偶然なのか伝承によるものなのかは定かではありません。

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エンタシスの柱 法隆寺 出典:Wikipedia−エンタシスより

 

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パルテノン神殿

日本には世界遺産である正倉院という宝物庫があります。

Wikipediaの解説に

正倉院の宝物には日本製品、中国(唐)や西域、遠くは ペルシャなどからの輸入品を含めた絵画・書跡・金工・漆工・木工・刀剣・陶器・ガラス器・楽器・仮面など、古代の美術工芸の粋を集めた作品が多く残るほか、奈良時代の日本を知るうえで貴重な史料である正倉院文書、東大寺大仏開眼法要に関わる歴史的な品や古代の薬品なども所蔵され、文化財の一大宝庫である。シルクロードの東の終点ともいわれる。

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正倉院 出典:宮内庁HPより

とあるように、つまり日本はシルクロードの終着点として、世界のありとあらゆる文化によって育まれてきた国であるといえます。

 

良いモノは柔軟に取り入れて
独自のカタチに変化させてきた

服も、食べ物も、建物も全部もとは外来のものだったとしても、いま日本にある物たちは全て日本化されたものであって、大きく様変わりしていて、もはや当然日本独特のものです。

例えばカレーライスやラーメンといった食べ物はもとを辿ればこそインドや中国にルーツをもつ食べ物ですが、今ではもはや日本化された日本の食べ物と言えます。

日本は全くのオリジナルを作ることよりは、真似したり、うまく取り入れて改良したりして、更に良いものを創り出すことに長けているといえます。

日本文化の独自性はその表現、プレースタイルに見られる精神ではないかと思います。

はじめはそのまま取り入れたにしても、自分たちに合った形に変換して取り入れてきました。

日本の文化に溶け込ませて同一化させる、調和をとって日本化させるということです。

故に「日本風」と言わずには「和風」と呼ぶのでしょう。

例えば平城京や平安京なんかは、唐の長安を参考に作られた都でしたが、なぜか城郭で囲むことだけはしませんでした。以後、明治維新まで度々戦火に晒され、防御の脆弱が問題になりそうなものですがそのままでした。

始めは建物も中国風だったかもしれませんが、次第に貴族の間では日本的な「寝殿造」の邸宅が生み出され、鎌倉時代は武士がそれを発展させやがて「書院造」を完成させ、現在も使われる畳や襖、障子といった和の建築要素が整いました。

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寝殿造 出典:green.or.jp より

 

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書院造 出典:green.or.jp より

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日本は古代からの技術大国

建築物でいえば、時代は遡りますが、奈良にある法隆寺時代を超越する次元を逸している奇跡的な建築物です。

だいたい中国伝来の建物は地震に弱かったため、地震の多い日本では多くの建物が倒壊しました。そこで日本の大工は工夫をして「和様」という揺れに強い工法を編み出したのです。

世界最古の木造建築・法隆寺は西暦607年聖徳太子と推古天皇によって創建されましたが、31.5メートルの高さのある五重塔はマグニチュード7.0クラスの地震を47回ほど経験しながら未だずっと建っています。

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法隆寺 五重塔

他の五重塔は高くても地震に強く、倒壊した記録は残っておらず、史上もっとも高いものは1399年に相国寺に建てられなんと高さは109メートルあったそうですが、落雷により消失してしまったようです。

なんでこんなに揺れに強い高層建築が可能になったかというと、塔の真ん中を通る心柱が各階の揺れを弱め、かんぬきのような役割をし、各階の屋根がてんびんのように自重と上階の重さのバランスをとるようで、この技術は東京スカイツリーにも取り入れられているそうです。

日本は古代からすでに技術大国だったとしか言いようがありません。

モノづくりでいえば、戦国時代の鉄砲は天文12年(1543)8月25日に鹿児島の種子島に漂着したポルトガル船によってもたらされ、領主の種子島時尭(ときたか)が二挺購入すると、鍛冶屋に仕組みを調べさせて、翌年には量産できるようになったばかりか、以後改良を重ねて格段に性能を上げたといいます。

しかも、当時日本は世界一の鉄砲保有国となり、その軍事力により、アジアを侵略にきたエスパニアも手が出せませんでした。

現在も日本はモノづくりの国として第一線にいます。

中国や韓国に追い上げられてはいますが、性能や価格で負けたとしても、決して品質では負けていません。

大量生産しても不良品を出さずに、常に高い品質を保てるのが日本人ならではなのです。

私もある大手メーカーの生産ライン工場で働いていたことがありますが、常に整理整頓、清潔を保ち、何か問題が起きたら原因を追求して改善策を考え、書類提出しなければなりませんでした。

日本人にとっては当然のことなのですが、外国では珍しく、なかなか真似できないようで、改善はKAIZENという言葉そのままその考えを取り入れているそうです。

なぜ日本のモノづくりは群を抜いているのか。

それは日本人の「万物には魂が宿る」という考えが根底にあるからだと思います。

一生懸命技を磨いて、職人が丹精込めて作り上げたモノには、なおのこと魂が宿ると日本人は考えます。

日本が世界有数の技術大国として確立した秘密は遥か歴史を遡った太古の昔にあります。

日本は旧石器時代・縄文時代からすでに世界の最先端の技術を持った国だったのです。

 

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