驚異の縄文時代の暮らしを知り、「生きる」ことを考える

 

日本は外からもたらされたモノを巧みに取り入れ、独自の形へと変化→改良して、自文化に溶け込ませることに長け、今も昔も高い技術力を持つ国です。

それは旧石器時代・縄文時代からそうでした。

日本の歴史で最初に出てくるのが縄文時代ですが、皆さんはどのようなイメージをお持ちでしょうか?

我々が昔のこと、歴史を知る方法の手段として大きく三つあります。

歴史学の根幹となるものでもあると思いますが、文献などの文字記録から知る方法(文献史学)と、発掘した道具や遺構などの遺物から推測して知る方法(考古学)言い伝えや風習、伝統行事、祭礼や芸能、人々の暮らしから地域ごとの昔の生活や、文化の伝播や変遷を伺い知る(民俗学)方法です。

縄文時代のことは、文献記録はもちろん、言い伝えも無いので、もっぱら遺物を調べて知る他ないのでありますが、縄文時代といえばなんといっても縄文土器です。

縄の目を押し当てて模様をつけた文様が特徴でその名がつけられたようですが、時代により実に様々な形の特徴が現れます。

今のところ、縄文土器で一番古いものは、今から16500年前(1999年青森県蟹田町出土)のものとされ、なんと世界最古の土器です。

縄文時代はこの土器が作られた16500年前〜3000年前の10000年以上もの長い間続いた時代で、草創期、早期、前期、中期、後期、晩期と区分に分かれてはいるようですが、時代の変化というほどの変化もなく実にゆったり進んでいった時代に思われます。

 

豊かな食生活だった縄文時代

その暮らしぶりはというと、狩猟・漁労・採集による生活で、人々はシカ、イノシシ、ウサギ、タヌキ、時にはクマといった動物を捕獲したり、ドングリ、クリ、クルミ、キノコや山菜を採ったり、サケ、ブリ、ヒラメ、カツオ、マグロといった魚や、シジミ、アサリといった海の幸を得て生活をしていたようです。

狩りの方法は弓で矢を放ち仕留めたり、落とし穴を掘って捕獲したりしていたそうですが、落とし穴は静岡県の遺跡で見つかったものは三万年前を超えており旧石器時代のもので世界最古わな猟だそうです。昔の人は頭いいですね。

また、はじめは植物採集でしたが、定住するころにはクリ、クルミ、イモ、マメ、エゴマ・ヒョウタンなどが栽培されていたようです。

漁は丸木舟に乗り、網や、動物の骨や角で作った釣り針や銛によって行われていました。

縄文人が何を食べていたのかはゴミ捨て場と考えられている貝塚から出てくるものや、縄文人の骨から知ることができるようです。しかし意外にも次の時代の弥生時代から始まる農耕社会よりも約三割もたんぱく質摂取が多く、歯のエナメル質減形成を調査したレポートには、江戸時代の人骨のほうが縄文時代の人骨よりもエナメル質が減っていたという報告があるそうです。

縄文時代はなんとなく原始時代に近いイメージで、食料供給が安定せずに貧しい生活を送っていたように想像しがちですがこれは間違いで、豊かな食生活を送っていたようです。

肝心の縄文土器はというと、食料の保存や、煮炊きしたり、土器を平らな皿にして火を通してハンバーグなども作っていたようです。肉をこねてクリやマツの実を入れて塩で味付けしていたらしく、ドングリを原材料としたクッキーも作られていたそうです。(山形県押出遺跡)

そしてお酒もありました。ニワトコの実や、サルナシ、クワ、キイチゴなどを発酵させて果実酒がつくられていたようです。

このように縄文人は食を存分に堪能していたようです。

今も昔も食事は生きていく上で大きな楽しみの一つでした。

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オシャレでしかも活動範囲が広かった縄文人

そしてかなりオシャレでもあったようです。

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縄文人女性を再現 出典:国立科学博物館

漆塗りのクシをつけたり、ヒスイや貝で首飾りや腕輪をつけたりして装飾を楽しんでいたようです。

日本最古の櫛は福井県の鳥浜貝塚で発掘され6000年程前のものとされ、当時に高度な漆工技術があったということです。

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鳥浜貝塚の赤色漆塗り櫛 出典:福井県立若狭歴史博物館

ヒスイの硬度は鉄の5.0よりも硬い6.5という硬さだそうですが、それを研磨して穴を通す優れた技術を当時に持っていたのです。このヒスイ大変重宝重され広い交易のもと流通されたらしく、北海道南部や青森県の三内丸山遺跡で出土されたものは新潟県を流れる糸川産であることが分かっています。

また旧石器時代よりナイフや矢の先に付ける鏃(やじり)、石槍に使用されてきた黒曜石も同様に伊豆の神津島産のものが38000年前ぐらいから静岡のほうで発見されるなど(これも世界最古)、日本人は遥か昔から航海技術が高かったことも伺えます。

縄文時代には、漁で遠洋に出てマグロやクジラを捕る強者も存在したみたいです。

 

世の中は平和で労働時間も少なかった

食べ物も豊富でオシャレにも余念ない縄文人ですが、働く時間は1日に3〜4時間程度で、時間にもゆとりがあったようでして、あとは歌ったり踊ったりして楽しく過ごしていたのではないかと思います。

なぜならその時代には全く争いが無かったからです。武器が無かったのです。それは鏃(やじり)や槍の刺さった遺体が一つも発掘されないし、長い柄のついたハンマーのような対人用と考えられる遺物が見つからないことから分かるそうです。

このように集団生活で互いに助け合い、豊かで平和で幸せだった縄文時代ですが、その後期には稲作が大陸よりもたらされ、やがて鉄器、武器がもたらされ農耕社会になると平和な時代は終焉を迎えます。

余剰の穀物の蓄えは富となり、武器による収奪という手段で手に入れる方法が入ってきたのです。

 

縄文時代の日本は当時世界最先端技術で
豊かな独自文化を築いていた

日本は大陸の文化がはいってくる前からすでに世界の最先端を行っている国でした。ついでをいうと世界最古の磨製石器も日本から出土されています。30000年前のものです。世界最古だらけで石器、土器や様々な道具や装飾品で当時から先進技術と高度な文化を持つ国といえます。

王朝も無いのに国と呼べる所以は、北は宗谷岬、千島列島から南は沖縄本島まで縄文土器が出土されるという同一文化を共有していたからです。

そして現代を生きる我々はとかく目に見える物質的な豊かさに目が行きがちですが、縄文時代は精神文化の花咲いた時代でもありました。

それは土器、女性や精霊を表現して作られた土偶、といった遺物をみれば感じとることができると思います。

 火焔土器 出典 長岡市デジタル写真館より

火焔土器 出典:長岡市デジタル写真館

縄文土器といえば火焔土器が有名ですが、山梨県の安道寺遺跡から出土された、水なのか煙なのかといった土器もあります。

水煙文土器 出典 山梨県

水煙文土器 出典:山梨県HP

そうかと思えば、山梨県の津金御所前遺跡から出土の、生物の顔が現れている土器もあります。これは非常に呪術的な性格が強いものと考えられます。

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顔面把手付深鉢 出典:北杜市HP

神奈川県の大井町金子台遺跡から出土されたものに、もはや壺や鉢のような形もしていないような双方向に口の空いた土器もあります。お花でもさしていたいたのでしょうか。

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双口土器 出典:jomontaro.web.fc2.com

五郎丸選手のポーズに似ていると言われたりもする土偶が最近話題になったりもしました。

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国宝 合唱土偶 出典:八戸市HP

高度な造形技術と創造性の豊かさが伺えます。

縄文時代の信仰はアミニズムという精霊崇拝マナイズム自然崇拝死者崇拝といった要素があり、神を招いて祭りをして共同体のために祈ったり、呪術(まじない)を中心として行われていたと考えられ、これが神道の始まりといえます。

日本文化の特質は、自然や物質文化とどう接していくのか、どのように表現し、生活し、文化を作り上げていくのかというその精神性や姿勢といったプレイスタイルに見出されるのではないでしょうか。まさにこれこそ神道の原形が見られるのだと思います。

我々日本人は世界のありとあらゆる文化や技術を柔軟に受け入れて、巧みに取り入れ、さらに磨きをかけて独自の文化を築きあげてきました。

遥か遠い祖先である縄文の方々の生き方から、純粋に人が生きて行くとはどういうことなのだろうと、改めて考えさせられます。

 

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素晴らしい日本文化の起源 岡村道雄が案内する縄文の世界 (別冊宝島 2337)


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