日本人はどこから来たのか?

日本は昔から豊かで進んだ文明だった

先月の記事 驚異の縄文時代の暮らしを知り、「生きる」ことを考えるでは、縄文人の暮らしぶりを紹介しました。

意外にも食べ物が豊かで、お酒までのんでいたり、おしゃれな服やアクセサリーで着飾り、高度な造形技術を駆使して独創的な形をした土器や土偶などを作り、時間の余裕もあり、しかも争いもなく平和な世の中だったとはまさにパラダイスとも呼べる時代だったといえると思います。

縄文土器は世界最古の土器であり、世界最古の文明と言われているシュメール文明よりも前に土器を使用していたということで、さらに縄文時代より前の時代、世界最古の磨製石器も日本で出土されています。

わな猟にしても、黒曜石を遠く離れた場所まで採りに行くなど、世界最古の技術や道具を備えるなど、いわば日本は太古の昔より世界最先端の技術と知恵を持つ民族だったといえます。

よく独創性がないとか個性がないモノマネするしか能が無いとか言われる日本人ですが、そんなことは決して無いんだと証明できますね。

日本人であることに誇りと自信を持ちましょう。

 

縄文人はどこから来たか?

ところで、こんなにすごい縄文人は一体どこからやってきたのでしょうか。

遺伝子学やその他様々な学問、技術の進歩によってそれは明らかにされつつあります。

日本人の遺伝子、いわゆるDNAはバラバラな組み合わせで構成されているのだそうです。

今から15年前にNHKの番組で「日本人はるかな旅」という全5回の特別番組がありました。この番組で日本人がどのようにして誕生したかその軌跡を辿り検証していく番組でした。

それによると、北方アジア、朝鮮、南中国、インドシナ、南太平洋といった様々な民族の血が複雑に混ざり合って出来たのが今の日本人ということだそうです。

番組では、そのベースである古来日本に住む縄文人のルーツの一つを北シベリアのバイカル湖周辺のブリヤード人に求め、もう一つをかつて東南アジアに存在していた緑豊かな大陸スンダランドに住んでいた民族に求めて検証が進められました。

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バイカル湖の位置

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バイカル湖の風景

約10万年前にアフリカ大陸を出発し、より豊かで住みよい土地を求めて旅に出たわれわれ人類の祖の東へ向かったグループの中で、シベリアに向かった民族がいました。

彼らは高さ⒊5m重さ6tもの巨大なマンモスを狩るマンモスハンターでした。狩りの仕方は集団で沼地に追い込んで身動きを封じたところで長時間、場合によっては何日もかけて仕留めるという、なんとも酷い方法ですが、これにより高度なコミュニケーション能力と知恵、細石刃という強力な槍といった道具を発達させて、氷河期の極寒の地で知恵を絞って生き抜いていました。

およそ二万年前になると厳しい寒冷化によって動物たちが南に移動すると彼らもまたそれを追って移動し、サハリンを通って当時陸続きだった北海道へ渡ってきました。このことは北シベリアのマリタ遺跡と北海道で共通する石器が発見されたことで証明されています。

やがて温暖になり、草原が消滅し、森林が日本の国土を覆うようになると彼らは大型動物を狩り尽くしてしまい、以後森の恩恵に預かってドングリやクリといった木の実を採集して暮らすようになり、煮炊きなど調理に使用する土器が発達したというわけだそうです。

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縄文人のもう一つの祖先 海洋の民

東に向かったグループの中で東南アジアに向かった民族は氷河期に海面が下がっていた時期にあったとされるスンダランドという草原と森林の広がる恵まれた環境で生活していたようですが、温暖化によりその大陸が水没してしまうと海に乗り出して、以後海洋を漂流する民となり、豊かな土地を探し求め北上します。

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Wikipedia スンダランドとサフールランド by:Maximilian Dörrbecker

彼らは丸ノミ石斧という道具を使って木をくりぬいて丸太舟を作り、潮の流れや風、鳥の飛び方や星の位置を読んで舟を操る高度な航海術を駆使してフィリピン→台湾→沖縄へと渡ってきたといいます。彼らの道具である丸ノミ石斧の出土がその軌跡を示しており、日本を南から北へと流れる海のハイウェイである黒潮に乗って今から12000年前に南九州へやってきたといいます。

鹿児島県の上野原遺跡では丸ノミ石斧が出土されるほか、貝殻文様の土器や7500年前のものとみられるつぼ型土器や、アワ、ヒエ、ハトムギといった穀物も栽培されていたことが確認されています。

弥生時代に近いような時代的には進んだ豊かな生活を営んでいたようですが鬼界カルデラの大噴火により南九州は人が住めなくなり、東へと移り住んだことが高知や和歌山で出土される丸ノミ石斧が物語っているといいます。

縄文人のルーツはこの北からやってきたマンモスハンターの子孫と、南の黒潮に乗ってやってきた海洋民の二つからなり、多種多様な豊かな森が生成する日本の地で二つの民族が出会い、縄文文化が花開いたということになります。

 

世界的に珍しいY染色体Dグループ
日本人にあるのは何故か?

しかもこの二つの集団は、元は一つの集団だったのではないかとも一部では考えられています。

昨今の遺伝子の研究によれば、どうやら日本人は中国や朝鮮といった東アジアの人種とは違った特別な遺伝子を持っていることが分かったようで、それはY染色体と呼ばれる父から息子へと男性だけに引き継がれるものに見出されるそうです。Y染色体は人類が発生して枝分かれしてA〜Tの20グループに分けられ、日本人の53.9%はO、32.2%がDに属するそうで、この比較的古いグループDは珍しく、中国や朝鮮といった東アジアにはほとんど見られず、日本とチベットとアンダマン諸島にしか見られないといいます。つまり、Oは弥生人で、Dは縄文人という見方ができるのだといいます。

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Wikipedia Y染色体グループ分布から見る人類の移動 by:Maulucioni

アフリカを旅立ち、あるところで一旦別れた一つの集団が、北回りと南周りで、日本で再会して縄文人が生まれたとすればなんとも感動的といいますか。

ということは、チベットとアンダマン諸島に暮らす人々は日本人の祖先となったマンモスハンターと海洋民の子孫ということになります。証明されるかわかりませんが。

普通、異文化の民族なら衝突しそうなものの、融合してしまうところはやはり同じ民族だからうまくいったのでしょうか。

お互い豊かで住みやすい土地を求めて何万年もかけて移動してやっと辿り着いた楽園での再開なのではないかと思います。

でも、そもそも三万年前に日本で磨製石器を作って暮らしていた人たちって誰なのでしょう?

疑問は尽きません。

 

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