日本は国民主権の国 日本人にとって「政治」とは何か?

今回の記事は政治についてです。

18歳からの投票権の実施が始まり、参議院選挙投票も間近となった今日、日本人と政治について考えてみたいと思います。

政治と宗教

日本は「政教分離」、つまり政治に宗教を持ち込んではいけない国です。これは憲法によって定められています。

 

第二十条  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

○何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

○国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

 

「政教分離」というぐらいですから、宗教と政治は本来一体のものでした。現に、イスラム教圏の国々では多くが「政教一致」です。

キリスト教圏のイギリスでも、国家君主を長とする英国国教会のもとに「政教一致」と見られていますし、アメリカでも1ドル紙幣に「In God We Trust」と書かれているように、特定の宗教に依らない唯一絶対の神Godに対する信仰が基盤にあり、緩やかな「政教分離」であるといえます。

このように国際的に見て必ずしも「政教分離」は絶対ではないのですが、日本においては厳格な「政教分離」が敷かれています。ですが、そもそも日本人のほとんどは無宗教、無信仰だといわれています。

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日本人は無宗教?

宗教とは、分かりやすく言えば、イスラム教のような一神教にみる唯一絶対の神に帰依し、神とその預言者の定めた戒律に従って生活することによって死後の平安と幸福・救済が約束されるという宗教がいわゆる「宗教」なのではないかと思います。

目的意識をもって日々信仰に勤しむのが宗教なのだとしたら、神道や仏教はなんなのでしょうか。

例えば、神社やお寺に初詣に来た人に目的は何なのかと聞いたとしましょう、まあ変な質問です。「いや、初詣に来たんだけど」とそれ以上の理由を求められてもきっと困ります。

初詣は神社でもお寺でもいいのですが、そこに訪れてお参りすること自体がイベント・レジャーと化しています。まず一つは楽しければいいのかと。ついでに「何かいいことありますように」とか、「今年も無事に健康に過ごせますように」とお願いごとをするのではないでしょうか。

では何故日本人の多くは教義・教理、教典や戒律に従うような「形式的体裁を整えた宗教」を信仰しないのでしょうか。

 

日本人と西洋人の異なる
世界の感じ方

日本人と西洋人を比較した例え話に、泥でぬかるんだ道をどうするかという問題に対し、西洋人は石畳を敷くのに対して日本人は高下駄を履くといった話があります。

この話から日本人と西洋人の「自然」に対する考えや姿勢が読み取れます。

西洋人にとって自然とは克服する対象であるのに対して、日本人にとっての自然は自分たち自身であり神であると考えています。よって日本人は自然を征服しようとかコントロールしようとは考えず、どう付き合っていくかがベストなのかを考えます。

日本神話では、人間は神や自然と共に、イザナギ・イザナミの二神によって生み出されたことになっています。日本人は、神・自然・人間の一体感のもと文化を育んできました。

一方、西洋のキリスト教の自然観はというと、人間は神より自然を支配する権利を与えられたという人間中心的な考えのもとに成り立っています。旧約聖書の創世記における神の言葉がそれを物語っています。神が人間を創造した際「これに海の魚と、空の鳥と、家畜と他のすべての獣と、地のすべての這うものを治めさせる」こととして、人間に「生めよ、増えよ、地に満ちて、地に従わせよ」と命じたとあります。

この考えでいくと西洋人は自然すなわち周りの環境を自分達自身で変えていく、切り開いていく発想でいるのに対し、日本人は自然や環境は神の思し召しであり、それに争う発想すらありません。

「お陰様」や「おてんとうさま」といった偉大で計り知れない存在を自然の中に見出し、その力を敬い、正直に真面目に勤勉に生きていけばきっと幸せになれるといった「信仰」というより「信念」を持って生きて来たのが日本人だと思います。ですから外国の「宗教」のようなものは日本人には必要ないのではないかと思います。

事実、無宗教と呼ばれても日本人ほど礼儀や秩序を重んじる民族は他に類を見ません。ゴミもほとんど落ちていない街、みんなきちんと順番を守って並んだり待ったりする、財布を落としても高確率で無事に戻ってくるのは外国人の人にとっては奇跡と捉えられるのです。

 

国民主権国家 日本

ところで、日本は民主主義の国ということになっています。これは国民に政治主権があり、国民自らの手で政治を行うということです。

しかし今まで長い間、国民は政治に関心を持って来ませんでした。今でこそ原発や安保法案で国会の周りでデモが行われるようになりましたが、これは大きな変化です。

日本の歴史で国民が政府に対して幾度か激しい意思表明を行ってきました。日露戦争中とその後のマスコミに焚き付けられた国民の抗議活動は凄まじかったと聞きます。昭和は戦後の安保闘争は時の内閣を退陣に追い込むほどの勢いでした。

本当に主権が国民にあるのならば、誰も不満の無い社会となるようにも思えます。しかし長い間国民が政治に無関心を貫いてきた結果、この日本社会が抱える問題ときたら、実に枚挙に遑がないほどあります。

それでも挙げていきますと、経済格差、慢性的な景気停滞、尖閣・竹島・北方四島等の領土問題、安全保障と沖縄基地問題、移民の受け入れ、テロの脅威、CO2削減や、原発事故にみる環境問題やエネルギー問題、必ずやって来る大規模地震の問題と、そこには受け入れ難い現実があります。

これは何もかも政治家や行政任せにしてきた日本国民に責任があるのでしょうか?それとも一部で声を上げる国民の言葉を踏みにじる政治家が悪いのでしょうか?

 

信用で成り立っている日本社会

日本の社会は数字には表せない「信用」で成り立っています。

それぞれの人がそれぞれの職分を全うしましょう」「職能を持ったそれぞれの人が自分に真剣に職務に取り組んで社会を豊かにしていこう」という不文律のルールのもとにこの日本社会は成り立っていました。難しいことはすべて上任せ。経済が成長していくうちはそれで良かったのでしょう。

経済が衰退し右肩下がりの時代を迎え、問題ばかりが目につくようになった現在、日本の政治の在り方が問われているのだと思います。

それでも、日本人に民主主義が実現する見込みはあるかどうかは分かりません。しなくてもいいのかもしれません。

それは、政治とは自然や環境と同じく変えがたいもの。思い通りにいかないと言うより、影響を及ぼし得ない、遠い存在と捉えているのが日本人なのだと思うからです。

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