ザックリ解説『古事記・日本書紀』⑤オオクニヌシの国譲り

天皇の時代のはじまり

神代の時代から一貫して続いてきたこの国の政治のあり方、それが天皇制です。

このブログでは大国主の神様が多くの困難を乗り越え、この日本の国土を開拓して国を造ったところまで解説しました。

過去記事 ザックリ解説『古事記・日本書紀』④多くの困難を経て偉大な神へ オオクニヌシ

その国を天孫(てんそん)すなわち、皇室の祖先に譲ることで天皇制が開始されます。

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国譲りしなければ
ならなかった理由

オオクニヌシが造った国は、「豊葦原の千秋の長五百秋の水穂の国」(とよあしはらのちあきのながいほあきのみずほのくに)と呼ばれるようになりました。豊な葦原を持ち、長く久しく稲穂の実る国という意味です。

アマテラスはその国を自分の子に治めさせようと考え、天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト 稲穂が押し合いへし合いするほど実る状態を表す名)を地上に遣わしますが、あの国は混乱、無秩序の状態であると帰ってくるなり報告します。

アマテラスの命により、高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)は八百万の神々を集め、国を譲り渡すことについて、オオクニヌシにどのように説得すればよいか相談した結果、アマテラスの次男である天菩比神(アメノホヒノカミ)を遣わすことになりました。

今までこの日本神話の記事を読まれた人は、これについてどう考えますでしょうか。

「オオクニヌシが何度も死んだりして、ひどい目にあって、苦労に苦労を重ねて国土を開拓して、豊な稲穂が実り続けるまでに国造りをしたのに。その国を私の子に譲りなさいなんてひどい!そりゃあ弟のスサノオさんがされたことはホント無茶苦茶だったし、アマテラスさんも大変だったとは思うけど、だからって弟の子孫の国を取り上げるなんて、それはあんまりなんじゃないの。」

と思うのが人情かもしれません。

いきなり行って「高天原を統治するアマテラスの子である私がこの国を治めるから譲りなさい」と言ったところで、「はいそうですか」となるわけがありません。ふざけるなと、激しい反発というか怒りを向けられて当然です。

それには国譲りしなければいけないそれなりの理由が必要となってくるわけですが、アメノオシホミミの報告の通り、日本のこの時代は、争いを繰り返す小国分立時代だったのです。歴史でいえば弥生時代あたりでしょうか。

一方、天上の世界である高天原では、天の岩戸の一件以来、本来の平和で穏やかで豊かで、物や文化に恵まれた秩序正しい世の中となっていました。

天照大御神様はこの天上の生活を地上にもたらすべくして、我が子を日嗣の皇子(ひつぎのみこ)として、絶対的な正統性をもって統治に当てようとお考えになったわけです。

 

国譲り交渉

さて、国譲りの交渉にでかけたアメノホヒですが、オオクニヌシの魅力の虜になったのか、媚びること三年経ち、命に服す気配がありません。

次に高天原の神々は天若日子(アメノワカヒコ)に弓矢を授けて遣わしますが、この神様に至ってはオオクニヌシの娘と結婚してしまい、八年経っても命に服しませんでした。

天上の神々にとって、まさにオオクニヌシ恐るべしといったところです。交渉にいっても、逆にうまく言いくるめられて言いなりにされてしまいます。この時点で二回目の交渉から既に10年が経ってしまっています。

実はアメノワカヒコ、なんと自分自身がこの国を頂いてしまおうと考えていました。何故に八年も音沙汰無しなのかを問い正すために、鳴女(なきめ)という名の雉(きぎし)を使いにだして伝言を伝えさせますが、天佐具売(あめのさぐめ)という吉凶を判断する巫女が「不吉な鳴き声だから射殺してしまえ」といったので、アメノワカヒコは高天原の神から授かった弓矢でその雉を射殺してしまいます。その矢は雲を突き抜けて高天原に届きます。

タカミムスヒは「この矢はアメノワカヒコに与えたものではないか」と言い、さらに、「もしアメノワカヒコが悪い神を射た矢なら当たるな、もし邪心があるならばこの矢に当たって死ね」と言って地上をめがけて矢を投げ落とすと、その矢はアメノワカヒコの胸に当たり、たちまちに絶命してしまいます。

その後、再び神々は協議し、雷の神であり、剣の神である武御雷之男神(タケミカヅチノオノカミ)と天鳥船(アメノトリフネ)(雷は船に乗って天と地を移動するものと考えられていました)を遣わしました。ついに武力交渉に出たというわけです。

この二神がオオクニヌシに天上の世界の神々、天つ神の意向を伝えると、オオクニヌシは子である八重事代主神(ヤエコトシロヌシノカミ)が答えましょうと言いました。

ヤエコトシロヌシは天つ神の意向を受けて「この国を天つ神の御子に立奉(たてまつ)らん。」といって隠れます。オオクニヌシに「他に言うべき子はないか」と尋ねると、「建御名方神(タケミナカタノカミ)が居る。これ以外に無し。」ということを告げている所に、手に大岩を乗せたタケミナカタが現れて、「俺の国へ来て、こそこそと話をしているのは誰だ。力くらべをしようじゃないか。俺が先に手をとるぞと」いってタケミカヅチの手を掴むとたちまちにその手が氷柱(つらら)に変わり、剣の刃に変わったので、タケミナカタは驚いて退くと、「今度は私の番だと」タケミカヅチがタケミナカタの手をとって投げ飛ばしました。

ターミネーターのようなタケミカヅチ。昔からこんなSF映画のような描写があったことに驚きです。逃げ出したタケミナカタは信濃の諏訪湖に追い詰められ「私をどうか殺さないで下さい。私はこの地にずっと留まります。葦原中国(あしはらのなかつくに)は天つ神の御子に差しあげます。」といってそのまま諏訪の地の神になりました。これが諏訪大社の創建です。

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諏訪大社

こうして国譲りが行われ、オオクニヌシはそれにあたり、「私の住まいは天つ神の子孫の宮殿と同じく壮大なものを築いてください。そうすれば多く曲がり込んだ片隅の国に身を隠しましょう。また、私の子である百八十神の神はヤエコトシロヌシが殿(しんがり)となって仕えれば、逆らう神はおりません。」と言いました。

 

出雲大社の創建

こういった経緯のもと、日本で一番立派な宮殿=出雲大社が創建されました。

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創建当初の出雲大社 出典:mahorobanomori.web.fc2.com

通常、神を祭る神主はその祭神の子孫がするべきものなのですが、オオクニヌシは「多く曲がり込んだ片隅の国」に子の神々と共に身を隠してしまいましたため、この現世(うつしよ)に子孫はないことになりました。よって例外ではありますが、別の家の者にその任にあたってもらわねばなりません。

結果としてオオクニヌシに心服していた、第二の使者でアマテラスの次男アメノホヒがその神主を務めていくことになり、それが後に出雲国造家となり、現在も続く出雲大社宮司家である千家家(せんげけ)につながっています。

一昨年前になりますが、出雲大社の宮司家の千家国麿さんと高円宮典子女王殿下がご結婚されました。お二人は天照大御神を同一の祖先とするお家にお生まれになった人ということになります。

国譲りの神話を考えるとこのご結婚は意義深いものに思えます。これを「和解」と言うのは少し違う気もしますが、とにかくこういった背景があってご結婚に至られたことは何だか素晴らしいことだと思いますし、神代の世界をぐっと身近に感じられる出来事だったのではないかと思います。
 

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