人間めったに死にはせぬ!! 勝海舟の強い生き方

▲出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)勝海舟先生のお写真 凄みがあります

超過酷だった勝海舟の境遇

人間めったに死にはせぬ」という言葉は、江戸時代末期のお侍で、幕府の役職に就いて働く「幕臣」であった勝海舟先生の言葉です。(おそらく)

欧米の列強国の侵略の危機に国内は割れ、まさに国難の時代の中、西郷隆盛との談判により江戸城無血開城を成功させ、江戸を戦禍から救った人物として有名ですね。

勝海舟強い生き方』著・窪島一系 中経出版 という本があります。

勝海舟 強い生き方 (中経の文庫)

この本に私は何度か救われたといいますか、心の支えとして座右の書として時折読み返してきました。

自分が本当にやりたいことは何なのか」自問自答しながら自分探しをしていた頃。職を転々として、やがて行き詰まり肩を落とし、「これからどうして生きていこうか」と考えていた時分この本に出会いました。

勝海舟という人の生涯は、まさに苦難と危機の連続で、壮絶といいますかちょっと筆舌に尽くし難いものがあります。生まれた時から禄(ろく)、つまりお給料の少ない武士の家に生まれたために極貧生活を強いられ、その中で、徹底して自分を鍛え抜いたそうです。

少年期には真冬でも稽古着一枚で外で、夜明けまで剣術の稽古に毎日励み、青年期には蘭学の勉学に打ち込んだそうです。睡眠時間は二時間だったといいます。ある商家に買い取られてしまった蘭学の本をどうしても手に入れたい。見せて欲しいとお願いすると「私も夜に読むから私が寝ている間なら見てもいいですよ」とのことでした。そこで勝さんは真夜中にその商家に通い詰め、本を全て写し取ったといいます。

しかも成人して結婚しても貧乏は続いており、正月には餅も買えず、住んでいる長屋の天井板は薪にしてなくなってしまい、奥さんには三年も一つの帯を使わせたそうですが、それほど困窮しているにもかかわらず、賄賂などは一切受け取らない高潔なお方でした。

大砲の発注の際に御神酒料として賄賂を差し出した鋳物師に「ばかやろう!ほかの先生はどうだか知らねえが、オレに賄賂たあ何だ。いいか、鉄砲は戦う人の身を守り国を守る大事なものだ。その大事なものを手抜きしてこしらえてボロ儲けするなんて了見は、お前さんよくねえよ。その賄賂の分だけ鉄砲の圧胴を増やし、せいいっぱいいいものをこさえてくんな。それが何よりの神様への御神酒料になるってものだ」(本書 P.116より抜粋)と一喝。その噂が広まり幕府の役人に取たてられたそうであります。

このようにして、二十年もの間たゆまぬ鍛錬と勉強の末に蛮書翻訳勤務を命じられたというわけです。

その後、やがて幕府の陸軍総裁にまで上り詰めた勝海舟ですが、何度も生命の危機が訪れます。尊王攘夷派からは幾度となく刺客が送り込まれ、大政奉還後には味方にさえ襲撃されます。ある時、夜の移動中に狙撃され、従者や護衛は全員死亡するも、勝さんだけは落馬して頭を打って気を失い、狙撃手はそれを見て死んだと思ったため、助かったそうです。

生涯を通じて二十数度といわれていますが、何度も何度も生命の危機に会おうとも勝海舟は一切たじろがなかったといいます。

勝さんが言うには「全体なにごとによらず気合ということが大切だ。この呼吸さえよく呑み込んでおれば、たとえ死生の間に出入りしても、けっして迷うことはない。しかしこれは単に文字の学問ではできない。王陽明のいわゆる事実上練磨、すなわち、しばしば万死一生の困難を経て始めてわかる。戦争などは、なによりよい練磨だ」(本書P.136より抜粋)ということらしいです。ちなみに王陽明という人は中国の儒学陽明学の始祖です。

かつて刺客に対して、「斬るなら見事に斬れ!勝は大人しくしていてやる!」と一喝すると、刺客はたじろいで逃げ出したそうです。要するに「気合」ってことですね。己を徹底して鍛え上げた人にしかこのような凄味は出せないと思います。

これは昔の話ではありますが、厳しい時代、国難の時代である昨今において参考になる生き方だと思います。

自分はこうなる!こうやる!と決めたならどんな困難があろうともそれに向かってがむしゃらに努力する。そういった「元気」や「気概」、「覇気」といったものが現代人からだんだん失われていっている気がします。

今は昔と違い、人間が何を目標に定めて生きていけばよいのか何に望みを抱いて生きていけばいいのかといった「生き甲斐」や「使命感」といったものが得難い時代ではないかと思いますが、何か「志(こころざし)」を持ち、とにかくそういう気持ちを奮い立たせたい方にはこの本はお薦めです。

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私の学生時代

私は数年前まで昼間に働き、夜大学に通っていました。

結婚当時、派遣社員として働いていた私は、正社員に引き抜きという話を蹴って大学受験を決めました。社会の歯車になるのは嫌で、自分の意志で未来を切り開きたいと思っていました。しかし当然周りはみんな呆れていました。

同居していた父親からは「もうお前のことは知らん」と言われ、卒業証書をもらうまでは家の敷居も跨がないし、一切の連絡も取らないと心に決め、遠い、見知らぬ土地で妻と二人で暮らしはじめました。

仕事は朝からごみ収集の仕事や、引っ越し屋といった比較的重労働。それを終えて大学に行き夜九時まで講義を受けていました。とにかくがむしゃらに働いて勉強をしていました。

雨の日も雪の日も猛暑の日も、毎日外の作業で肉体的にかなりハードでしたが勝海舟の言葉を励みにしてなんとか無事卒業できました。

一度、仕事で腕を酷使して末期の腱鞘炎になり、「二週間くらい仕事休んだほうがいいよ」と診断を受けた時、「これはやばい」と思いましたが、学費と生活費を稼ぐのに必死だったため「無理をする」選択をしました。回収するゴミ袋の結び目に小指をひっかけて脇を締めてサッササッと握力を極力使わない回収方法を編み出して(とはいっても1日累計5トンはゴミを回収せねばなりませんでしたが)仕事をしながら、二週間ほどで湿布を貼りまくって完治させたことがあり、「無理って効くもんだな」と思ったことがあります。こういったことはあまり人にオススメ出来ませんが、いい経験でした。

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私の場合は特殊の例だとは思いますが、勝海舟先生の言葉と生き方に励まされ、なんとか自分を鍛え上げて勉強し、自分自身を人材に育て、世のため人のために働きたいと一心に頑張れました。

最後に私が一番好きな勝海舟先生の言葉を紹介したいと思います。

 

「自分の価値は自分で決めることさ。

 つらくて貧乏でも

 自分で自分を殺すことだけは

 しちゃいけねぇよ。」

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