ザックリ解説『古事記・日本書紀』⑧初代神武天皇 いかにしてこの国を統べる王者となったのか

▲ 画像:commons.wikimedia.orgより

カムヤマトイワレビコの東征

鵜葺草葺不合命(ウガヤヒキアエズノミコト)の四男である若御毛沼命(ワカミケヌノミコト)又の名は神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)といい、後に初代天皇である神武天皇となる皇子でした。(以下イワレビコ)

イワレビコは兄の五瀬命(イツセノミコト)と共に九州の宮崎は高千穂に住んでいましたがそこは日本の国の端っこです。

兄弟は話し合いをして「どこに行けば天下を平和に治められるだろうか。とりあえず東へ行こう」ということになり、イワレビコは兄とともに高千穂から日向へ行き、船で出発します。

豊国(大分)・宇佐を経て筑紫(福岡)の岡田の宮に1年間滞在、そこから安芸国(広島)の多祁理宮(たけりのみや)に7年、吉備国(岡山)の高島宮に8年滞在しかなり時間をかけてゆっくりと東を目指します。この期間については何をしていたのかは詳しく記されていませんが、各地を平定しながら進んでいったのではないかと思われます。

吉備から上に進むと、亀の背中に乗り釣りをする人に出会います。イワレビコ一行は、海の道を良く知るこの槁根津日子(サヲネツヒコ)を水先案内人として従えます。オオクニヌシを助けたスクナヒコナといい、海幸彦・山幸彦の話に登場した鹽椎神(シオツチノカミ)といい、日本神話におけるキーパーソンは海からやってきます。これは、遠く遥か遠くからやってくる者が幸せをもたらすとするマレビト信仰の現れであるともいえます。

さて、サヲネツヒコのお陰で瀬戸内海を安全に航行し、潮の流れが急な浪速の渡りを通過することもできました。時間はかかりましたがここまでは順調に行っていました。

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摂津から始まる大激戦

白肩津(東大阪市日下町)に到った時、強敵が現れます。登美の那賀須泥毘古(トミノナガスネヒコ)軍と大激戦となり、兄イツセが矢を受けて重傷を負い、それがもとで紀国(和歌山)の洋上、船の中で亡くなってしまいます。

歴史の話になりますが、この大阪のあたりは縄文時代には縄文人と渡来人が激しく争った大激戦の地でもありました。

神話は歴史ではありませんが、悠久の歴史の流れが幾十のも折り重なって神話という表現で語れているように感じます。

イツセは薨去(こうきょ)する(亡くなる)前に「日神の御子であるのに、日に向かって戦ったのが良くなかった。これから迂回して日を背にして敵を討とう」と言い遺されたため、イワレビコは紀国に向かったのです。

紀国に上陸したイワレビコは強い霊気を放つ熊が現れ、この霊気に当たったイワレビコ軍は正気を失います。今度ばかりは大ピンチです。

そこへ高倉下(タカクラジ)という者が一振りの剣を持って現れ、その剣の威力によりイワレビコ軍は正気に戻ります。この剣こそは圧倒的な力を持って国を平らげた武御雷之男神(タケミカヅチノオノカミ)の霊剣でした。

イワレビコがその剣を手にすると、熊野の荒ぶる神々は自ずから切り倒されたといいますから、とにかく無敵の剣なのでした。この剣はイワレビコ達を案じた天照大御神、高木神が与えたもので、さらにこの先は荒々しい神々が沢山いるということで八咫烏(ヤタガラス)という三本足のカラスを差し向けるのでその後に続くように言付けられるのでした。

サッカー日本代表のエンブレムとして八咫烏は有名ですね。カラスは不吉な鳥と考えられたりもしますが実は神の使いなのです。

その理由は真っ黒であることから太陽の中にある黒点を象徴するものとされ、太陽からの使いであると考えられたのではないかとされています。中国をはじめ、ギリシア神話やキリスト教圏といった世界各地に同様の神話や伝説が残っています。

ついに大和に入る

八咫烏に導かれ、イワレビコは多くの国つ神を服従させながら進軍し、宇陀(奈良県宇陀郡)までやってきました。そこには兄宇迦斯(エウカシ)弟宇迦斯(オウカシ)という兄弟がいました。兄はイワレビコを騙し討ちしようとしますが、弟が密告したため兄は逆に自分の罠にかかって死にました。

忍坂(奈良県桜井市)では土雲八十健(ツチグモヤソタケル)という尻尾の生えた国つ神を、ご馳走するといって誘い出し騙し討ちにしました。

謀略渦巻く厳しい駆け引きを繰り返し、兄の仇であるトミビコをはじめ、多くの抵抗する国つ神を討ちますが、しだいにイワレビコの軍は疲弊していきます。

そこへ邇藝速日命(ニギハヤヒノミコト)と名乗る神が「天つ神の御子が天下ってきたと聞いて追いかけ駆けつけてきました」と言ってやって来ます。ニギハヤヒは瞬く間に荒ぶる神々、従わない人々等を退け、あの登美の那賀須泥毘古(トミノナガスネヒコ)も討ち(ニギハヤヒの配下だった)、畝火の橿原(うねびのかしはら)に宮を築いて天下を治めるにいたりました。初代・神武天皇の誕生です。

ついに天下を知ろしめすことになります。知ろしめすとは、王者が御統治になるということで、覇者が武力をもってして行う場合は領く(うしはく)となります。多くの戦いの末に天下は治りましたが、天つ神の御子として神さながらの暮らしを地上に実現し治めるという大義名分のもとに、初めて天皇に即位されたのでした。すなわち、天照大御神の大御心をもって「八紘為宇」=天下を一つの家と為すという理想をもって打ち立てられた国家が日本なのです。

「八紘為宇」は「八紘一宇(はっこういちう)」という言葉のルーツとなり、戦中には日本が他国を侵略する口実に掲げられたスローガンであったため、この言葉は悪の言葉の如く思われがちですが、本来は世界の平和・安寧を願う素晴らしい言葉でした。

謎大きニギハヤヒ

神武天皇に恭順したニギハヤヒは、物部氏の祖となる神様であり、物部氏は強力な軍事士族でした。

」という言葉は物質という他に、威圧感を示す「物々しい」という言葉があるように、不思議でいて霊力を持った得体の知れない存在という意味があります。

ニギハヤヒの働きは大和王権成立にとって大変重要な役割を担った訳ですが、その出自は不明で謎の多い神様です。天鳥船(アメノトリフネ)という空飛ぶ船(UFOのようなもの?)に乗って高天原にやってきたといいますし、神武東征の前から大和の地に勢力を築いていた大和の王であったと考えられています。ここでもまた国譲りが行われていたのです。

イワレビコはその後、三輪山の大物主の娘である伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)を皇后に選定しました。

大物主(オオモノヌシ)は大国主の幸魂・奇魂です。

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