レディオヘッド「Creep」 ティーンエイジャーの悲劇 完璧を求めるがゆえのネガティヴィティ

▲RADIO HEAD 出典:nme-jp.com

 90年代のUKロック

さて、このブログでは過去にオアシス、ブラーといったイギリスのバンドについての記事を書きました。

俺は俺自身でいなきゃならない オアシスのデビュー曲「Supersonic」と「個人」という概念について

世紀末。だけど特別なことは何も起こらない ブラーの「For Tomorrow」と「End Of A Century」終末感と淡々と過ぎさる日常

この二大バンドによって90年代のイギリスにおけるブリットポップムーブメントが巻き起こりました。他にも代表的なグループを挙げますと、スウェードパルプスーパーグラスといったところでしょうか。

こういったバンドを中心にして一時大盛り上がりをしていたそうですが、イギリスはビートルズを生んだ国だけあって、日本と変わらない小さな島国でありながらロックミュージックだけに限ってみても、実に音楽的に多種多彩で地域性によってスタンスも変わってきます。

90年代には、ブリットポップ以外にも多くのバンドが登場し、活躍しました。ブリットポップとは違うシーンで最も成功したバンドはレディオヘッドではないでしょうか

レディオヘッドは「世界で最も優秀なロックアーティスト」「現代のピンクフロイド」と呼ばれ、エンターテイメント性の高いブリットポップに対し、レディオヘッドの音楽は芸術志向で、彼らはロックスターというより音楽家としてストイックに真摯に音楽活動に取り組んでいる人達といった印象があります。

92年にメジャーデビューし、翌年には「Creep」が全米中のラジオ局でかかり「イギリスのニルヴァーナ」として紹介され、若者の熱烈な支持を得て、オルタナティブロック旋風吹き荒れるアメリカでヒットし、ツアーも大成功を収めます。その後2ndアルバム『The Bends』、3rdアルバム『OK Computer』とアルバムをリリースするたびに世界的に高い評価を受け、地位を不動のものにするも、突然作風を一変するなど、様々な実験的アプローチを試みる奇特な活動を続けるバンドです。ロックアーティストのフォーマットには収まらない独自の存在性を模索した彼らは偉大です。

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問題の曲「Creep」について

そんな彼らが世に出るきっかけとなった曲が前述の「Creep」です。歌の内容は、ある男性が女性にぞっこんに惚れていて、寝ても覚めてもその女性のことばかり考え、その度に胸が苦しくなるような10代の初恋のような状態です。

天使のように美しい彼女は自分にとって特別な存在。自分も彼女にとって特別な存在になりたかったという、まあ簡単に言えば失恋の話です。Creepとは「嫌な奴」という意味です。つまり自分は周りとは違う変わり者で嫌な奴だから、彼女は去ってしまう(ああ、なんということだ)ということです。

歌詞から察するに、魅力的で美しい女性に恋をしてしまうも自分と比較してどう考えても不釣り合いを感じている。おそらく片思いで話しかける機会もそんなにない。自分は何故こうなんだと自己嫌悪を抱き、「傷ついたって構わない(犠牲を払ったっていい) 自分をコントロールしたい(彼女にふさわしい自分になりたい) 完全な身体が欲しい 完全な魂が欲しい 気づいてほしい 僕がいないときでも 君は本当に特別な人だ 僕もそうありたかった」(Creep歌詞の和訳()内は注釈)と、結局諦めます。完璧な身体・魂を手に入れる、まあ出来もしないことです。とりあえず曲を一回お聴きください。

こんな感じで、オアシスが強がって大口を叩いたり、ブラーが世間を皮肉ってみたりするブリットポップとは違い、レディオヘッドは自分の弱さをさらけ出し、苦悩と葛藤を吐き出すような表現をするのでした。キャラクター分けするなら、オアシスはジャイアン。ブラーはスネ夫。レディオヘッドはのび太といった感じでしょうか。「ドラえもん」の未来において三人の中で最も成功するのは、のび太なんです。弱いからこそ人の痛みの分かる、優しさを持っているからこそだと思います。

先日、東京と大阪で開催されたSUMMER SONICに出演した際にもこの曲が演奏されたようですが、9年ぶりに今年から再び演奏されるようになったという封印されていた曲でした。

話が逸れましたがさらに逸れます。私は妻が里帰り出産して半年ほどの間一人暮らしをした時期が2年前ぐらいにありまして、その時にレディオヘッド2nd『The Bends』収録曲「Higt & dry」という曲を車での運転時によく聴いて熱唱したものです。

 

サビの部分の途中ではフルセット(裏声)を駆使しなければならず難しいのですが、このアルバムを買った時の歌詞カードの日本語訳ではサビ部分「Don’t leave me high, don’t leave me dry」が「会話しながら干からびていく」と訳されており、「??」としっくり馴染めずに20年ほどが経過。再びこの曲を聴くようになって疑問に思い、ネットで調べてみたところ、「僕を一人にしないで 僕に冷たくしないで」という意味であることが判明し、なるほどと思いました。

私は英語があまり分からないのですが、その曲の音ですとか歌い方から、言語としては捉えられなくとも、何かしら共鳴するものを感じるのでしょう。私は一人で寂しい自覚はありませんでしたが、家族と早く会いたいという思いが働いて再びこの曲にハマってしまったのでしょう。

完璧を求めるがゆえにネガティヴ

レディオヘッドはここ日本においても、かなり人気のあるバンドと言われており、来日公演が決まるとそれに先駆けてDVD付きの特集雑誌が出版されてコンビニなどにも並べられていたりしていました。今回のサマソニでもそうです。タワーレコードでは来日に合わせて特設コーナーが出来ていました。

しかし、私はどうもこのバンドと音楽を心から「好き」だとかフェイバリットなバンドとしては受け入れ難いものを感じます。それは何故かとずっと考えていました。その理由は、生々しいリアルな苦悩を呼び醒ます音楽だからではないでしょうか。私自身10代の頃「Creep」のような悩みを経験をしていました。よく真夜中に自転車をこいで遠くまで行って「こんなところで何をしているんだ ここは僕の居場所じゃないのに」(歌詞の和訳)となってました。(笑)

誰だって歌には「こうだったらいいのにな」と夢をみたいものではないかと思います。また言いたいことをストレートに表現すればそれなりにスカッとして気持ちもいいでしょう。

レディオヘッドの「Creep」が当時の若者に熱烈な支持を得たというのも、内容にとても共感できたからでしょう。私が高校生の頃レディオヘッドが好きな人に会ったことがありませんでした。それはたとえ家で聴いていたとしても、人には話すべきことではない、自己完結的世界観の領域の問題だったからだと思います。

言ってみれば引きこもりオタク系ロックですね。ニルヴァーナなんかも、アンダーグラウンド志向で、歌詞も支離滅裂な内容でしたが、引きこもり系の若者の支持を着実に集めながら、アルバム『Never Mind』の世界的ヒットに繋がります。オルタナティヴロックは元々内向的なもので、メジャーになり得ないような存在だったのに、皮肉なことに『Never Mind』のヒットでメインストリームを形成してしまいます。

そうなってしまえば一周まわって「なんかカッコイイ」存在として持て囃されます。それほどに内容に興味を示さない人もブームに乗っかってきます。やがてその音楽は無意味なものとなり死に絶えます。この90年代のロックの悲劇は重要な事件です。レディオヘッドはそれに巻き込まれることなく現在まで活動してこられたのは、オルタナティブロックには収まらない独自の存在性を模索したからではないかと思います。

レディオヘッドが日本で支持を受ける理由は、やはりどこかしら共感できる理由があると思われます。それは完璧を求めるストイックな面と、それがゆえに理想と現実とのギャップに苦悩し、悲観的になってしまう日本人の性質ではないかと思います。

最後に「Creep」に関する別のミュージッククリップを貼っておきます。これは2004年公開のフランス映画「フレンチなしあわせのみつけ方」という作品の中で「Creep」が流れるシーンがありまして、この部分ではジョニー・デップがカメオ出演し強烈な存在感を放っているのですが、これに登場する女性は人妻です。つまり人妻がデップ演じる謎の男性に一目惚れしてしまうシーンです。歌詞の内容を知った上で観ると感じ方も違ってくるかと思います。

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