来訪するカミ マレビト論の実際① 神事として発生した「芸能」の呪術性について

前回記事で、日本の天皇制の構造は「超越的主権」=「神」=「外来魂」を自然の内部からそれを取り出すことにあると述べました。

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前回は、戦士でありシャーマンだった王の「武」の領域について述べましたが、今回からしばらく「祭」の領域から、日本の天皇制の構造に迫ってみたいと思います。

もともとは神事だった芸能

皆さんは「芸能」と聞いてまず何を思い浮かべますでしょうか?

おそらく、テレビやラジオ、雑誌、ネットといったメディアには欠かせない芸能人や芸能界のことを思い浮かべるのではないかと思います。ドラマや映画、舞台、ダンスといった演技、歌・音楽の演奏などを「芸能」と多くの人は考えているはずです。

そもそも日本の歴史において、芸能がいつから始まったかといいますと、古事記・日本書紀の「天岩戸神話」において、岩屋戸に閉じこもった天照大御神を外に出すべく、高天原の神々たちが行った神事の中で、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が桶を逆さまにし、その上で激しいダンスを踊りトランス状態(神が憑依する神懸状態)になりストリップダンスを行ったことが始まりです。

『古事記』にはその様を「ウケ伏せて、踏みとどろこし、神懸かりして、胸乳を掛き出て、裳緒を陰部に忍し垂れき」と記し、『日本書紀』には「茅卷の鉾を持ち、天石窟戸の前にて立たして、巧みに作俳優す。~中略~火処焼き、ウケ伏せ、顕神明之憑談(かむがかり)す。」とあります。

そう、芸能はもともと神事なのでした。よって、それを見て楽しむ人がいるなどとは想定されていませんでした。神社のお祭りで奉納される舞やお神楽、雅楽といった音楽は、もちろん今でも神様に捧げる芸能であり、参拝者に見ていただくために演じるものではありません

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折口信夫の鎮魂説・霊魂観

折口信夫先生は『日本芸能史六講』というご著書で、芸能は祭りの中で発生し、その目的は鎮魂から出発しており、鎮魂とは外からよい魂を迎えて自身の体内に鎮めること「たまふり」から始まり、しだいに遊離しようとする自身の魂を身体内に鎮めてそれを防ぐといった考え「たましずめ」に発展したと説かれました。

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折口信夫(1887年(明治20年) – 1953年(昭和28年))出典:shibuyabunka.com

みなさん、きっと何のことやらとお思いのことでしょう。これは古代の霊魂感を理解しておく必要があります。

折口先生は『折口信夫全集第二十巻』(中公文庫)にて、「たましひ」について古代の人がどのように考えていたのかを以下のように説いておられます。

・たましひは肉体に常に在るものとは考えていなかった

・肉体はたましひの一時的、仮の宿りにすぎない

・たましひはいつでも外からやってきて人間の肉体に宿り、宿った瞬間から、そのたましひの持つだけの威力を、宿られた人が持つことになる

・宿ったたましひが遊離し肉体を去ると、そのたましひの持つ威力も失うことになる

(p.199から200)

折口先生は、天宇受売命が桶を逆さまにし、その上で激しいダンスを踊ったのは、桶を大地に見立てたもので、大地の中に籠っている魂を目醒めさせ外へと出して神のお身体へお送りする鎮魂の行事であると説かれています。

平安時代に書かれた律令の解説書である『令義解』には「鎮身体之中府。故曰鎮魂。」とあり、ここでの鎮魂をタマフリ、又はタマシズメと読んでいたそうです。

これは、魂が遊離しないように身体の中府に鎮めることであると、長い間解されてきたなかで、折口信夫先生はは「タマフリ」は「フリ=触り」とし、まれびと論の中核である外来魂に着目し、鎮魂に新たな解釈を示されました。

「まれびと」(稀人)

・時折遠くからやってくるモノが神を運んでやってくる

・幸福をもたらして還ってゆく霊物

・来訪する神

おおよそこのような信仰をいいます。

つまりは、外からやってくる神様の強力な魂を招き入れ、それを憑依させ、自身の肉体に取り込みつつも、神の御霊をさらに「鎮魂」によって活性化させて元気にして、外来魂の常在所、つまり高天原に還ってもらい、再び恵をもたらしてくれることを期待して行われることが「芸能」なのです。

ももクロのポスターです

簡単にいえば、「この踊りや歌を聞いて元気になってね!(そしてこれからも応援して、グッズやライブ、CD・DVD・本・ダウンロードでお金を使って、私たちに儲けさせてね)」とアイドルがライブでお客としてやってきたヲタク(まれびと)に対してパフォーマンスするのと本質は同じかもしれません。

宮中祭祀にも存在する鎮魂行法

「新嘗祭」の前日に宮中で行われるお祭りに「鎮魂祭」というものがあります。この祭りが文献に現れるのは『日本書紀』の天武天皇14年(685)11月の丙寅の日に「天皇のために招魂をなす」とあり、招魂は「みたまふり」と訓みます。

すなわち、天皇の御身に威力のある神の魂(みたま)を接触(ふり)させる鎮魂術によって霊魂の強化をはかるのです。

平安時代の儀式書である『貞観儀式』や、同時代の律令の施行細則である『延喜式』の次第によれば、具体的な呪法として巫女がウケという桶を逆さにしたような空洞状のものの上に立ち、鉾でそれを十度衝くことで、そこに籠っている神の御魂を発動させ、その御魂を脇に控える神祇伯(とにかく偉い神主)が木綿の糸に結びつけて箱に収め、また女官が天皇の御衣を納めた箱を開いて揺り動かしてその御魂を天皇に付着させることを表象する、いわゆる類感呪術が行われていたといいます。

大地を踏み轟かせ踊ることは、大地の眠っている魂を呼び起こすのと同時に、悪い魂を踏みしめて抑えつける意味もあるようです。これは陰陽道では反閇(へんばい)といい、相撲で力士が土俵で立会い前に行う「四股」も淵源を遡ればこの反閇に始まるといいます。

相撲は今でこそニュース番組で「本日のスポーツ」ですと結果が報じられたりして、あたかもスポーツのように思われていますが、実はといいますか当然なのですが神事です。

なので、相撲はスポーツコーナーではなく、「本日の神事です」と伝えるべきなのかもしれません。そして、相撲は神事であると同時に芸能でした

相撲はもともと村のお祭等で、五穀豊穣や大漁を占う神事として行われ、その場合は予めどっちが勝つのかを決めておかねばなりませんでした。田の神と村の神が勝負をして、村の神が勝てば豊作といった具合に、演芸の体裁をとって行われていたらしいでのです。

この動画の種子島寺之門の神事相撲では、あらかじめ引き分けになることが決められており、采配は神様に委ねられるとのことです。

そう考えると今、相撲は八百長だなんだと騒ぎ立てるのは、何か可笑しなことのように思えてきます。

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