実在したとされる最初の天皇「崇神天皇」 神の祟りによって確立されていく神祭りのあり方

神話と歴史

日本の神話はいつの間にか歴史になっていきます。

夜が明けて朝になるかのように、いつまで夜でいつから朝なのかが明確でないように、神話と歴史においても、どこから神話でどこから歴史なのかは、はっきりとしません。

「史実」なんて言葉がありますが、そもそも大昔の、文献もほとんど残っていない時代の事を詳しく知ることなど出来ませんから、古墳時代に日本が建国された当時を詳しく分かるはずもありません。

しかし、文献資料を厳密な史料批判の作業に基づいて解釈していく「文献史学」で古事記・日本書紀を読み解くとするならば、実在する可能性のある最初の天皇は、初代神武天皇と同じ「ハツクニシラススメラミコト」の名を持つ、第10代崇神天皇になるそうです。

神武天皇が大和を平定し、初代天皇に即位してから後は、2代~9代の天皇に至るまで経歴の列記という範囲の記述に留まり、エピソードと呼べるものが一つもないという不自然な点があることがその論拠となっています。

スポンサーリンク



 

崇峻天皇の時代に確立した
神祭りの在り方

崇神天皇の治世においては実に様々なことが起こりました。

即位して五年目に疫病が流行り国内(大和国と思いますが)の半分以上の民が死んでしまいます。

日本書紀では翌年に宮中で祀っていた天照大御神と日本大国魂神(やまとおおくにたまのかみ)の神威を畏れて、天照御大神を豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)に、日本大国魂神を渟名城入媛命(ぬなきのいりびめのみこと)にそれぞれ外に出して祀らせることにします。

「宝鏡奉斎の神勅」にありますように、本来ならば天皇自身が天照御大神をお祀りしなければならないにも関わらず、「吾(わ)が児(こ) 此の宝鏡(たからのかがみ)を視まさむこと 当に吾を視るがごとくすべし与(とも)に床を同くし殿(おおとの)を共(ひとつ)にして 斎鏡(いわいのかがみ)をすべし」の神勅をもって天孫降臨の際に瓊瓊杵尊が授かった御神体で三種の神器の一つである「八咫の鏡」を宮中から出すことになりました。

宮中を出た天照大御神は、その後理想的な鎮座地を求めて各地を転々として、第11代垂仁天皇の第四皇女・倭姫命がこれを引き継いで、およそ90年をかけて現在の伊勢の地に辿りつき鎮座したとされています。

つまり、伊勢神宮が出来たのは崇神天皇が神を畏れたことによるものなのです。

d0eab013a2061c12b819706e8334b152_s

伊勢の神宮

 

その御名の通り、「崇神」とは神を「崇める」「崇拝」するといった意味があると同時に、天照大御神と日本大国魂神の神威を畏れ、宮中の外に出して祀らせることから分かるように、神の祟り(たたり)を非常に恐れた天皇でもありました。

崇神天皇が即位して7年目、数々の災いの原因を探るべく、神意を伺うために神事を行いました。

すると倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)に大物主神(おおものぬしのかみ)という神が憑かり、自身を敬ってしっかりと祭れば国は平和に治まるだろうと託宣を下しました。大物主神とは大国主命の和魂(にぎみたま)と考えられています。

崇神天皇は大物主神の教えに従いその通り祭りますが、一向にその効果が表れません。そこで再び祈って大物主神に教えを乞いました。

すると夢に大物主神が表れて自身の子孫である大田田根子(おおたたねこ)に祭らせれば平和に治まるだろうと告げます。

はじめからそう言ってくれればいいのに」と誰しもが思いそうですが、これには訳があったのです。

天皇は大物主神の子孫である大田田根子を探し出して大物主神を祭る神主にしたところ、ようやく疫病も治まり、国は平和をとり戻すこととなります。

神はその子孫によって祭られなければならない」ということが、この神話の云わんとするところなのでしょう。

事実、基本的に神社に仕える神主は、そのお祭りする神様の子孫が務めるものとされてきました。氏神という言葉があるように、神祭りは本来「」一族の祖先神を祭る祖先崇拝の信仰でした。

今では一般の人が沢山の神社にお参りするようになりましたが、古代ではよその神社をお参りするということは、よその家の仏壇に手を合わせるようなもので、「どうぞお守りください」とお願いしても「・・・・。」といった感じで、お願いされても関係ないので困ってしまいます。

歴代天皇は神社にお参りすることは基本的になかったと以前の記事にも述べたような気がしますが、その理由として他には、神の祟りを畏れたためという説、氏神の祭祀に関しては天皇といえども関与しないという説とがありました。

今では「氏神」という言葉が、氏族の神というよりも、地域共同体の守り神という意味合いになっています。

神代以来の再会

しかし例外もあります。大国主命を祭る出雲大社に関しては、天照御大神の子である天穂日命(アメノホヒノミコト)の子孫が「出雲国造家」として代々宮司として祭っています。

天穂日命は天孫降臨に先立って地上に降りますが、大国主の味方をして復命しなかった神様です。

大国主命を立派な宮殿を建設し祭ることは、天照御大神との国譲りの際の約束でした。

平成26年にご結婚された出雲大社の神職 千家国麿さんと奥様の高円宮典子様はもとを辿れば天照御大神という同じご先祖様だということが時の話題となりました。

この出来事は日本創生以来、分かれていた子孫が一つに結ばれるという意味で、我々は悠久の昔にさかのぼる神話世界が今も続いていることを思い知らされ、同時に光と影のような関係であった双方の再会が、喜びと感動を持って広く国民に受け入れられました。

スポンサーリンク




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*