古典落語「松山鏡」に登場する八咫の鏡のレプリカと親を思う心について 宝鏡奉斎の神勅

前回「宝鏡奉斎の神勅」のお話がでましたが、八咫の鏡のレプリカが登場する『松山鏡』というお話が、古典落語の演目にあります。

松山鏡

昔、越後(現新潟県)の国にの松山村という所に「庄助」というとても親孝行な43歳の男がいました。

この「庄助」は18年前に亡くなった父親のお墓参りを欠かしたことがないということで、その話を聞いたお殿様が感心して、褒美を取らせようとお城に呼び出します。

しかし、庄助は「自分の親を拝むのは当然のことですから、褒美をもらうことはできません」と頑に遠慮します。

それではかえってお殿様に失礼ではないか」ということになり、庄助はそれならと、「何も欲しいものはありませんが、亡くなった父の顔を一度でいいからどうしても見たい」という望みを言いました。

無理なお願いですが、何でも欲しいものを言えといった手前、後に引けません。そこで家来達は集まって一策を講じます。父親はちょうど庄助の歳の同じ頃45歳の時に亡くなっており、しかも二人は瓜二つというほどよく似ているという名主の証言もあって、それならばと、庄助につづらの中に鏡を納めて渡すことにしました。

この鏡を見た庄助は「とっつあまー!!」と感激して喜びます。
この松山村の人は皆「鏡」を知らないというのがこの話の設定です。
「余り人に見せないように」といわれていましたので、庄助は鏡を大切にしまって人知れず朝夕それを覗き込んでは挨拶をしていました。

当然様子がおかしいと妻が不審に思い、しまってある鏡を見つけだして覗き込んで驚きます「こんなところに愛人を囲っているなんて!キーッ!」
その日、庄助が帰宅すると修羅場が待っているという笑い話です。

この演目を得意とした名人として有名なのが八代目桂文楽というお方だそうです。

どうぞ下の動画でこの話のオチまでご覧ください。

落語の冒頭の説明にもありました通り、この話はインドの説話を集めた仏典がベースとなっているようでして、この落語が作られた江戸時代に多い親孝行の話に仕立て上げられています。

なんで親孝行の話が流行したのかといいますと、当時の政策である朱子学の忠孝(主君への忠誠と、親への孝行)思想が影響していたようです。

この話に登場する鏡は「八咫の鏡のレプリカ」です。「八咫の鏡」とは、三種の神器の一つで、天孫降臨の際にニニギノミコトが天照大御神より授かった「鏡」で、以下の言葉をもって神勅が下されました。

宝鏡奉斎の神勅
吾(わ)が児(こ) 此の宝鏡(たからのかがみ)を視まさむこと 当に吾を視るがごとくすべし与(とも)に床を同くし殿(おおとの)を共(ひとつ)にして 斎鏡(いわいのかがみ)をすべし

 

我が子孫よ、この鏡を私を見るようにして見なさい。そして自分と同じ殿内で鏡を祭なさい。」という意味になるかと思います。よって天孫である天皇は、この鏡を宮殿にてお祭りしならないということでした。これを同床共殿といいます。

しかし代10代崇神天皇の御代にこの「八咫の鏡」があることから宮中から出され、これが現在伊勢にある「神宮」創祀のきっかけとなったというお話は前回致しました。

実在したとされる最初の天皇「崇神天皇」 神の祟りによって確立されていく神祭りのあり方

このように、落語の話一つをとっても、よーく調べると神道・仏教・儒教と様々な影響が垣間見えます。

日本は多文化の国としてその精神性を培ってきました。

ところで皆さんは、日頃ご先祖様に手を合わせますか?

神道では、ご先祖様は神様として子孫を陰ながらいつも見守ってくださっていると考えられています。そして一番身近なご先祖様は父親、母親なのです。

今でも「お中元」という贈り物をする習慣がありますが、これは7月〜8月のような暑い時期に親が夏バテで体調を崩さないよう、魂が活性化するよう、元気になるような食べ物を贈る、いわば生きている人の「御魂を祭る」行事なのです。
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