日本人に生まれてきたことをどう思うか 自虐史観と愛国心について

私が学校で受けてきた
日本の教育

小中学校の義務教育において、我々は社会科以外でも時折、歴史教育を施されてきたと思いますが、皆さんは歴史的にみて「日本の国」についてどのようなイメージをお持ちでしょうか?

私の小学校3年時の担任の先生はその年を最後に定年された男性教諭でした。先生はとにかく我々に多くの歌を教え、たくさん歌わせてくれました。音楽の授業がなくても1日10回ぐらいは歌っていたような気がします。オルガンを楽しそうに弾いて面白い歌をたくさん教えてくれたので子供の私にとっては好きな先生でした。

しかし、その先生は何といいますか、典型的な「真っ赤っか」といいますか、戦前の日本がやってきた政策、軍国主義と天皇制を徹底批判して子供たちに教え込むことがしばしばありました。

先生はよっぽど辛い思いをされたようで、それに対しては大変気の毒に思います。

中学に入るとちょうどその年が戦後50年の節目の年に当たっていました。平和教育に力と熱が入ったのでしょう。日本がいかに外国に酷いことをしたのかを写真パネルにして図書館に並べられ、外国人を強制労働させ暴力を与えるような劇も演じさせられました。

その時の写真といったら、残虐性極まる行為で、例えばネットに掲載するのもはばかれるようなものでした。

その時の生徒たちの感想はというと「日本は本当に酷いことをした」人間って残酷だ」「日本人であること自体が罪」といった具合で、今思えば愛国心を随分と傷つけられたような気がします。

だいたい我々の世代はこんな反日教育を施されてきたのではないでしょうか。もしかしてうちは特別酷いのかもしれません。

高校に入ってからは私立だったことが幸いし、心ある先生によってあの戦争の見方が変わりました。

その先生はかつて新聞記者をしておられ、当時高校の副校長で道徳の授業を担当しておられました。

先生曰く、日本はその当時戦争をせざるを得ない大変苦しい状況にあったことを説明してくださいました。

当時先生は家族で満州に移り住み、中学生にして銃を支給され、もう少しで戦争に行くところだったのが、間も無く終戦を迎え帰国したとのことでした。

銃を支給されると中学生ですからみんな喜んで張り切ってはしゃいでしまい、誤って級友に向かって発砲し大怪我をさせてしまうなどのハプニングもあったそうです。

こういった当時を知る人の体験を踏まえた戦争の話がだんだんと聞けなくなっていることを非常に惜しく思います。

このように、私の世代の先生方には戦争を経験した方が少ないながらもおられました。

この高校の時の先生によってはじめて、私の中で自国である日本が救済されたといいますか、深く傷ついた愛国心が回復し、勇気と希望、誇りを取り戻した感覚に包まれました。


 

自虐史観を脱却 
左から右への大旋回

実際に学校を見た訳ではないので実情は知りませんが、現在日本政府は日本人の愛国心復活を目指して教育制度の見直しを推進し、教育改革に本格的に乗り出しているということです。

今から20年ぐらい前には前述したような「自虐史観」をもってして反日教育が行われており、今は当時から考えられないぐらい変化してきています。戦後長らくの間日本は教育や言論において「左」の時代が続いてきたといわれます。

敗戦後の一億総懺悔(いちおくそうざんげ)から続く「私たちが悪うございました」という罪悪感といいますか、十字架、呪縛を背負って日本人の多くは生きてきたように思います。

日本人の特性として、刻一刻と流れる自然の営みや、生命の儚さに「もののあわれ」「侘び寂び」を感じ、それを愛してきた日本人の心情は、ある種の緊張をも強いられているようにも思います。

日本人は、そんな儚い人生であるからこそ、ひたすら真面目に正直に生きることに救いを見出して生きてきたように思えます。

そこには、ストイックに完璧を求めるがゆえに後ろ向きになって、「上手くいかないのは自分のせい、自分が悪いんだと」とひたすら自分に鞭打って頑張ってしまう傾向がみられます。

大切なのは右か左かではない

私は「右」がいいとか、「左」がいいとも言いません。どちらも世の中にとって必要な考えを持っています。

対立してお互いを攻撃し、争ったところで何も生み出しません。

それよりも国の政策によって歴史認識が変わり教育されていくということに危険を感じます。

歴史はもちろん国家のもの、民族のものでもありますが、我々一人一人の個人のものであり、それこそが一番大切だと考えます。

人間の考えや行動は、その個人が持っている歴史観に左右されます。良いものにも悪いものにも目を向けて真実と照らし合わせないと何事にも適切に対処できないし、他人の思惑に呑まれやすくなります。

日本の国民の多くが自分で調べ、自分で考えることからだんだん遠ざかっている気がしてなりません。

難しいことはみんな「お上」に任せるという考えは古く日本にずっと続いてきましたが、この時代においてそれは痛い目をみるような気がします。同時に、やっとそこから脱却できるチャンスが今訪れているのではないかと感じます。

スポンサーリンク




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*