神社は何のためにあるのか 天皇と神社の関係=神籬磐境の神勅 

今回は先月の「崇神天皇」に関連する記事になります。

実在したとされる最初の天皇「崇神天皇」 神の祟りによって確立されていく神祭りのあり方

崇神天皇の時期に神祭りの在り方が確立されていったことを書きました。当ブログでは神社神道について度々書き連ねていますが、そもそも神社とは何のために存在するのでしょうか?

神社の神様は天皇の国「日本」と国民を守って下さっている

天皇陛下は日々国の平和と、国民の安寧を毎日只ひたすらに祈ってくださっている日本最高の神主であり、日本全国の神社の神主は天皇陛下の治める世がいつまでも続くよう日々祈っていることをお伝えしました。

なぜ日本は世界一古い国なのか 奇跡の存在 天皇

神社とは天皇のご存在が前提に成立しており、天皇が無くては存在し得ないともいえます。

そもそも神社とは何か?みなさんのお住まいの近くにも必ず神社があると思います。お正月に初詣でお参りすることもあるかと思います。または大きな神社に行かれる人も多いかもしれません。めったにお参りしない人も、お宮参りや七五三、車を購入すればお祓いに。厄年になれば厄払いに行くこともあるかと。また、旅行の観光で神社に訪れ、お土産にお守りを受けたりおみくじを引いたりするのが一般的な関わり方なのかもしれません。

しかし、神社は何のためにあるのか?と考えたことはありますでしょうか。


神籬磐境(ひもろぎいわさか)の神勅

我が国最古の「正史」である『日本書紀』に五代神勅というものがあります。皇室の祖先神であり、天上の世界高天原を統治する天照大御神(アマテラスオオミカミ)が子孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に日本の国を統治すべく天下る際に下した五つの大きな指針です

その一つに「神籬磐境(ひもろぎいわさか)の神勅(しんちょく)」のなかで高皇産霊尊(タカミムスビノミコト)という神様がお供する二柱の神様に対して

「吾は天津神籬(アマツヒモロギ)及び天津磐境(アマツイワサカ)を起こし樹てて当に吾孫の為に斎ひ奉らむ。汝天児屋命、太玉の命は天津神籬持ちて葦原中津国(アシハラノナカツクニ)に降りて、亦吾孫の為に斎ひ奉れ。」との命を下しました。

要するに「私はこの天上で天津神籬と天津磐境を立てて天孫(天照大神の子孫)のために天津神籬と天津磐境を立てて祈るからあなたたち二人も天津神籬を持って行って、葦原中津国(日本の国)で天孫の為に祈りなさい。」ということです。

古代において神祭りをする際、今のように神社の社殿ではなく神籬(ひもろぎ)と呼ばれる樹木や、磐座(いわくら)と呼ばれる大きな岩に神様をお招きして祭祀を行いました

今のように神社が社殿を構えるようになったのは仏教伝来後に寺院建築に影響を受けたためといわれています。今でも実際に春日大社の摂社である水谷神社は大きな岩の上に建っていたりしますし、石碑にしめ縄を張って神社としてお祀りしているところもよくあります。神社の神主が奉仕する地鎮祭等などの、いわゆる外祭では大きな榊の枝を神籬として神様をお招きしてお祭りを奉仕します。

このように本来自然に囲まれた場所を斎場として祭祀を行っていた神道ですが、やがて社殿をもつ神社へと発展し、奈良時代になると律令制に組み込まれることとなります。

律令時代の祭祀

神祇官(じんぎかん)という役所が置かれ中国の唐令の祀令(しれい)に則って神祇令(じんぎりょう)という法典が定められました。その中で唐祀令には存在しない日本独特の特徴の祭祀があります。それが班幣祭祀(はんぺいさいし)です。

これは平たく言えば諸国の神社から神主を上京させ、神祇官にてそれぞれの神社の神々対してお供え物である幣帛を授けるというものです。しかしながら、近くの神社ならまだしも遠くの神社からそのお供え物を取に行くのは容易ではありません。

平安時代には従来の中央集権から、地方の国々の国府を中心とした地方分権に移行するに従って畿内の神社は神祇官から直接幣帛を受け取り、地方の神社は国府の国司から幣帛を受けうになりました。

畿内では特に有力な神社を16社、やがて22社を選出して奉幣(お供えものを捧げる)名神奉幣(みょうじんほうべい)が行われるようになりました。延暦六年(787年)五か月間雨が降らず全国の有力な霊験のある神社に遣いを送ったところ大雨が降ったことがきっかけとなり定着化していったようです。この時期神社の社格や階級制が確立されていきます。

このように律令という中国のやり方を真似て始まった律令祭祀でしたが天皇の願いを叶えるための御願祭祀へと発展していきます。

律令国家といえども、天皇は律令の上にある存在であり、やはり本来的に天皇をお守りしお助けする使命が神々様にあるということでしょう。そしてこの天皇の願いを叶え、お守りする中央の八幡や稲荷、天神といった神々様は、有力な霊験ある神として地方全国で祀られるようになっていきます。

天皇は本来 神社にお参りをされない

しかしながら天皇が直接神社に参拝することはありえませんでした。

当然といえば当然ですが神々様は天皇をお守りし、お助けする使命があるということはつまり、神様よりも天皇の方が立場が上ということになります。

意外に思われることかもしれませんが、今でこそ伊勢の神宮をはじめ全国の神社に天皇皇后両陛下がお参りされますが、それは最近の話でして、幕末の孝明天皇が下賀茂神社に参拝されたことは大きな変化でした。

他に天皇が神社に参拝しない理由として御自らが天照大御神を祭る祭主であること。幣帛を遣わすのみで直接他の神の祭りには関わらないというタブーがあることがまず一つ。また有力な霊験のある神々の多くは荒ぶる神であることも多く、その祟りを怖れたともいわれています。

例えば大神神社(おおみわじんじゃ)の神様は疫病を発生させ第十代崇神天皇を悩ませました。北野天満宮に至っては不遇の死を遂げた菅原道真公の怨霊を祀る神社です。

たとえ祟りを起こす荒々しい「厄病神」であっても、お祭りすることによってその神霊を慰め、和めることで、その性質を一転させ、逆に願いを叶え、守ってくれる防疫神となってくれると考えられていたのです。

国譲り神話にあるように、はじめは天皇に服従しない神々様でさえも、大和朝廷成立後には出雲大社や諏訪大社のような大きなお社を建て、手厚く祀ったのでした。

日本には西洋の神のような天地創造するような唯一絶対的な力を持つ神は存在しません。

よって八百万の神々のお働きによって世を作り固め成していく必要があります。従って必然的にすべては祭祀による「祈り」にかかってくる訳です。つまり天皇は日本の神々をただ単に従えているわけではなく、神慮を畏み、謙虚に只ひたすらに天神地祇に祈りを捧げるご存在なのです。天皇陛下は「日本最高の神主」として、そのような大変なお役目をご遂行なさっているのです。

激動の時代の真っ只中にあってこの日本が国として体裁を保てているのには、天皇陛下のご存在がとても大きいのではないかと思います。

世界の他の国は、せいぜい長くても数百年の歴史しか持ちません。

この日本という国には、神代から現在に至るまでの歴史と、天照大御神様の大御心を現在に継承される天皇陛下が存在しているのです。

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