音楽無しの生活は考えられない① 音楽を聴く

前回の記事の更新から少し間が空きました。なんだかタワーレコードの有名なコピーのようなタイトルになってしまいましたが、今回から再び音楽記事を書こうと思います。

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さまざまな音楽を通じて
日本について考える

日本史・神道・宗教・音楽と、広い分野にまたがる記事を書くのがこのブログです。一見取り扱う題材が散らかったように思われるかもしれませんが(実際散らかっているのですが)このブログには一貫したテーマがあります。それは「日本とは何か」について考えることです。

私は大学時代に日本民俗学にハマっていました。毎回楽しみに講義を受けていましたが、ある日講義中に教授が「君たちは何の為に勉強するのか」と学生に問いました。みんなしばらく考えました。単位を取って大学を卒業し就職するためなどと考えるのが普通でしょうか。

しかし、教授が示した答えは、「世の中を正しく理解するため」でした。つまり、世の中を正しく理解できてこそ社会人としてよりよい生活ができるということを言いたかったのだと思います。

つまり、文学部の学生は文学を通じて、法学部の学生は法律を通して、工学部であったら建築学科なら建築、機械関係の学科なら機械を通じて世の中を正しく理解することが勉強なのだということでしょう。確かにそうだなと、その時深く納得し、感銘を受けたものです。

ですから、音楽のような生活の中の身近なものでさえ、考えたり調べたりすれば世の中を正しく理解する手助けになります。このブログでは今までにオアシスやブラー、レディオヘッド、ニルヴァーナといった、イギリスやアメリカのロックミュージック等を通じ、日本文化について考えた記事をいくつか書きました。

ちなみに、映画や音楽、アニメ、スポーツといった大衆文化いわゆるサブカルチャーをはじめ、食べ物、ファッションといった、この世に存在する様々な文化を研究する「カルチュラルスタディーズ」という学問が存在しますが、当ブログは学問ではありません。

変化する音楽の聴き方

音楽で最も重要なのは演じる人と、聴く人との音を通した心のコミュニケーションでしょう。聞こえてきた音が心地悪い、うるさい雑音のようにしか感じられなければその人にとってそれは音楽ではなく苦痛ともなります。私が好んで聴く音楽は友人や知人、家族には全く理解されません。音楽を聴いていると、今も昔も周りから「うるさい」と苦情が寄せられます。

私は車の移動中によくAMラジオを聴きますが、最新の洋楽、邦楽から昭和歌謡、民謡、演歌、クラシック、映画音楽が番組中流れてきます。前述のとおり、「音楽を通じて世界を正しく理解したい」と思いますので、どんな音楽でもチャンネルは変えずに聴いています。どんなジャンルにも必ず良いと思える音楽があります。

昔と違って今はCDを買わなくても、パソコンやスマホがあれば世の中の大概の音楽を聴くことができます。月定額の契約料を払っていくらでも音楽が聴けるサービスまで登場し、どの時代の、どの国の、どんな音楽を聴くかという選択肢は限りなく広がったのが現在です。

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選択肢の多さ=豊かさ?

「選択肢の多さ」=「豊かさ」かというと必ずしもそうとは限りません。音楽のほかにも、食べ物や服であったり、多くの選択肢が現在のこの国にはあります。選択肢の多さは情報過多による選択の煩わしさを生み、市場に様々なモノやサービスが溢れかえることで、音楽や映画といった作品や様々な製品などの相対的な価値を下げてしまうことになります。つまり、有り難みを感じられなくなるということです。当然感動も薄れます。

逆に選択肢が少ないと、極端な例でいえば旧ソ連時代は社会主義における体制により、アイスクリームは世の中にチョコとバニラだけ。新しいコートが欲しくてもどれも同じデザインだったといいます。

選択肢が少ないと殺風景で寂しい。しかし、みんなで同じ制服を着て、同じものを見て、同じ物を食べていた中学生時代も良かったなと、幸せだったなと思ったりもします。「あれおいしかったね」「あれ面白かったね」という経験を共有できるという安心感や喜びは、今思えば貴重な思い出です。

昔、『あの素晴らしい愛をもう一度』(作詞・北山修 作曲・加藤和彦)という歌がありました。

歌詞の中で「あの時同じ花を見て 美しいと言った二人の 心と心が今はもう通わない」とありますが、これは作詞した精神科医でもある北山修氏が当時は気づいていなかった、つまり意図していた訳ではなかったという「共視体験」について描かれています。

誰かと一緒に何かを視るという行為はデートの定番である「映画」にしても「ドライブ」にしても「食事」にしても必ずあります。

共に何かを視るといった何かを共有するということは、心のコミュニケーションには欠かせない行為なのです。

以前にもくるりの「ワンダーフォーゲル」についての記事においてもそうでしたが、昔は共有できていた気持ちが、時が経つにつれて段々と通わなくなっていくのは世の常なのでしょう。

 


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