「幸福とは何なのか。 日本人自身で答えを探した方がいいと思う。」海外留学生が感じた頑張りすぎな日本人について

日本人と労働

ここ最近〈労働〉に関する記事が続きます。立て続けに書いてきましたが、正直引き際が分からなくなりました。

人は生きるために労働をしますが、同時にその労働が人生のあり方の大部分を決めると思います。ですから労働のあり方を見つめてみることには意義があると考え、記事を書いてきました。

先月の記事 ひたむきに働く日本人の「お祭りパワー」とは?では、子供のように夢中になって仕事に没頭する日本人について、また、日本は特殊な社会構造「小さな天皇制」の集まり 理想のリーダーのあり方についてにおいては、自分たちの共同体に〈カミ〉を迎え入れ、宿すことができるように、正直に、真面目に一生懸命働く日本人の根底にある、ある種の信仰について述べました。

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海外留学生から見た
日本人の異様な生き方

数ヶ月前、ベトナムからやってきた留学生グエン・テイ・トゥイさん(千葉県21歳)の、日本人の生き方について述べた文が、新聞に投書掲載され話題となりました。

 

私は日本に来るまで、日本は立派で偉大な国だと思っていた。
来日当初も、街の発展ぶりや人々の生活の豊かさを見て、私の国のベトナムとの差は大きいと感じた。
きっと日本人は自分の国に誇りを持ち、幸ぜだと感じているのだろうと思っていた。
しかし、来日から10ヵ月が過ぎた今、実はそうではないように感じる。
日本は、世界でも自殺率が高い国の1つだという。
電車の中では、睡眠不足で疲れた顔をよく見る。
日本人はあまり笑っていないし、いつも何か心配事があるような顔をしている。
日本人は勤勉で、一生懸命働いて今の日本を建設した。
でも、会社や組織への貢献ばかり考え、自分の成果を自分が享受することを忘れていると思う。
ベトナムはまだ貧乏な国だが、困難でも楽観的に暮らし、めったに自殺を考えない。
経済的豊かさは幸福につながるとは限らない。
日本人は何のために頑張っているのか。
幸福とは何なのか。
日本人自身で答えを探した方がいいと思う。

 (平成28年7月10日付朝日新聞投書欄の記事)

確かにそうだなと、その洞察力には関心します。外国人から見れば日本人は凡そこのように映っているのかもしれません。

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働く=端楽

日本人は子供のように夢中になって働く性質があることは確かですが、当然ながら誰もがそのように仕事に取り組んでいるとは思いません。仕事が好きという人もいれば、只々我慢を強いて頑張っている人もいます。実際は後者の方が多いと思います。

日本人は祖先のため、家族のため、子孫のため、国家といった共同体のため、自らが犠牲となって身を捧げる奉仕的な生き方をになりがちです。以前私は、世界からみた日本① 日本の自然風景という当ブログの記事で以下のように述べました。

また、乾燥に対する(日本の)湿潤という気候風土は、犠牲的精神をも育みます。近代における都市の発達は多くの水を必要とし、多くの山間部の村々はダムの底に沈みました。

先祖伝来の土地を泣く泣く手放しても、その犠牲によって多くの人々の生活が潤うと自分に言い聞かせ新しい土地で生きていったことでしょう。

このような犠牲的精神は思いやりから発せられるのではないでしょうか。

思いやりとは心が豊かでなければ出てこないものです。豊かな自然と文化に育まれた日本の精神文化の表れが、極端にいうと神風特攻隊のような犠牲的行為にあるように思えます。

命を捧げて人々の犠牲となることは悲しいことです。故に日本人はどこかに憂いを帯びた情緒が文化に染み渡っているように思えます。

 

また、作家の三島由紀夫氏が今から半世紀ほど昔に、テレビのインタビューで以下のように述べられました。

動画の5:49から

「人間の生命というものは不思議なもので、自分のためにだけ生きて、自分のためだけに死ぬというほど人間は強くないんです。

ていうのは人間はなんか、理想なり何かのためということを考えているので、生きるのも自分のために生きることにはすぐ飽きてしまう。

すると死ぬのも何かのためというのがすぐ出てくる。

それが昔いわれた大義というものです。

そして、大義のために死ぬということが人間の最も華々しい、あるいは英雄的な立派な死に方だと考えられていた。

犠牲的精神は気高く尊いものです。しかし、このような価値観や文化が日本社会の根底にあり、犠牲的精神を発揮して働く日本人の姿は、外国人から見れば、まるで奴隷のようだと捉えられます。

自分の価値を超える何かのために一生懸命働く。このおかげで日本社会は繁栄してきましたし、我々はその恩恵を享受してきました。ですが、留学生が言ったように、日本では、一人一人の個人が幸せを得ることについては軽視されがちだと感じます。

お祭り民族である日本人は、かつて労働を娯楽のように考え、遊ぶように夢中になって働いていたように思うのですが、同時に共同体の維持発展に対して厳しい緊張を強いられてきました。

 


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