大量に生命が死にゆく時代を迎えた今 システム・オブ・ア・ダウンの「Chop Suey!」

日本は
右肩下がりの時代を迎えた

日本神話『古事記』の中で、黄泉の国から逃れてきたイザナギの神が、妻のイザナミの神に離別を言い渡した際に「あなたの国の人を一日に千人殺してやるわ」と言われました。

それに対し、イザナギの神は「一日に千五百の産屋を建てよう」と言われ、以来、日本の人口は増え続けてきました。

江戸時代には日本の人口はおよそ3000万人でしたが、昭和の初め頃にはおよそ6000万人現在ではその倍にも膨れ上がり、平成28年3月1日時で1億2692万人(総務省のデータ参照)前年同月に比べて16万人減少とのことです。
我が国の人口ピークは2004年12月に1億2784万人となったところから坂を転げ落ちるように、急速に高齢化し、急速に人口が減少しています。このペースだと2100年には明治時代後半頃の4771万人にまで減少するといいます。(総務省のデータ参照)

日本の国では年間約130万人の方々が亡くなられている(平成27年内)といいます。2030年には160万人亡くなると予測されています。日本の人口はどんどん減っていき、今先進国の中でも少子高齢化の先頭と突き進み大量死の時代を迎えました。

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死の発見が社会に文化を生んだ

人が死というものを発見したことがきっかけで、宗教が出来ました。生命と死に対する畏怖の念が埋葬や弔いうなどの行為〈儀礼〉が発生させ、他界・死後の世界を必要としてきました。

また、人はなぜ存在するのか?なぜ生きるのか?世界はどうなっているのかという疑問に答えるカタチで神話が生まれます。神話は詩や歌、文学へと発展し、絵や像といった美術を生み、宗教儀礼は芸能や音楽を生んで様々文化化を作り上げました。

人々を楽しませる映画や小説、音楽やダンス、アートといったエンターテイメントは、もとを辿れば宗教から発生しているのです。神社で奉納される雅楽や神楽は、目には見えない神様にお見せするアトラクションとして発展してきました。

つまり死は辛く悲しいことである一方、文化の源であり、我々に豊かさや幸せを提供する元ともなっています。死があるから人は一生懸命頑張って幸せになりたいと思えるし、夢も思い描ける。限りがあるからドラマが生まれるのだと思います。

自死の問題

しかし、多くの人にとって生き辛いのが今の世の中です。少子高齢化による労働人口不足が出口の見えない不景気にいっそう拍車をかけるでしょう。正規雇用も一層厳しくなり老人たちを支える若者達は結婚したくても出来ない悪循環。母子家庭の貧困問題。多くの人が病気を患い増大する医療費が財政を圧迫し、年金は減額。

老死、病死、事故死、災害死と、死は必ず平等に訪れるはずなのに自ら命を絶つ人が日本の国に年間になんと11万人もいると言います。20代トップの死因の一位がなんと自殺です。

こんな国は他にありません。日本には切腹という文化といいますか、しきたりがあったことが関係しているのでしょうか。最近では「自殺」とは言わずに「自死」と呼んだりして、その「死」という選択に尊厳を与えようとする動きもみられます。

当然ながら、家族が自殺したことを遺族は隠したがりますから、実際には11万人どころではなく、もっと多いと考えられています。国ごとに自殺の件数を考えると、自殺が多いのは先進国で、それ以外のあまり豊かでない国ではそれほど起こらないようです。

人間は生存を脅かされると必死で生きようとしますが、ある程度の自由が与えられると人生に悩んでしまうのではないかと思います。

「悩むなんて余裕があるからだ。海で溺れたら悩むか?必死で泳ぐだろう」と言った人がいましたが、そんなことを言ったって悩んでいる人は救われません。

「自殺はよくない、ダメだ」と言うのは簡単ですが、自殺したいほどの苦しみを抱えている人に、酷ではないのか。では、死にたいほどの苦しみから救ってあげられるのか?これも大きな問題です。

しかし自殺は本当にいけません。深く悲しむ人が必ずいるはずです。この世の中に必要のない人間など一人としていないのです。

どうやら現代人はもう一度死を発見しなければならないのではないでしょうか。



システム・オブ・ア・ダウン
Chop Suey!

システム・オブ・ア・ダウンというバンドに「Chop Suey!」という曲があります。このバンドはアメリカのバンドで、サージ・タンキアンとダロン・マラアキンのアルメニア系アメリカ人の二人が中心となって1994年に結成され、一時期活動を休止していましたが2011年より再び活動を再開しています。

グラミー賞を獲得するほどの成功を収めたバンドですがその表現内容は凄まじく、アメリカ国家、現代の文明社会に対する批判を怒号の如く激しく歌い上げます。ジャンルでいうとヘヴィメタとかになるでしょうか。聴くものを圧倒するような激しい音楽です。

しかし、彼らのメッセージはその風体からは想像できないほどの純粋な良心から発せられていまして、そのメッセージはアメリカだけでなく、グローバル化の進んだ(世界のどこか遠くの国の出来事が他人事では済まされなくなった、つまり世界各国間の政治・経済・産業の相互関係が強まった)今日においては、全世界に向けて発せられたものであると捉えられます。

そんな彼らのCHOP SUEY!(2001)という曲はある自殺をテーマにした曲です。

CHOP SUEYとは「中華丼」のことですが、これが何を意味するのかファンの間で様々な憶測が飛び交ったようですが結局のところわかりません。

これは、天使でさえ死に値する世の中ならば、たとえ独りよがりであっても、自殺して命を絶つと神に語りかけるような歌です。

歌詞参照 web site「弱い文明」の翻訳ページ

 

曲の最後の方で父よ!父よ!父よ!(神よ!神よ!神よ!)と絶叫する箇所があります。その御心をもってすら、私を見捨てるのですかと、神に問いかけます。それでも私の叫びをどうか信じて欲しい。天使達でさえ死に値する世の中ならこの命をお返しします。と、最後は自死を選択するといった内容です。

ファンの間では、父親に暴力を受けている女性のことを歌っている、または第一次世界対戦時に、オスマントルコ帝国によって行われたアルメニアン・ジェノサイドのことを歌っているとも言われています。

私は時折、歌詞の対訳を読みながらこの曲を聴きますが、何度聞いても涙が流れます。

自殺したいほどの苦しみをどのように克服していくかは個人によるものですが(もちろん暴力などの犯罪は外部からの保護救済が必要)まずはその苦しみを知ること、共感してその苦しみを分かってあげることが救いの第一歩となるのではないでしょうか。

凄惨な事件が多発する今日にあって、人の痛みを自分の痛みとして想像できる力といいますか、すべての人が人としての情操を培うことぐらいしか、それに対処する方法は思いつきません。

先日、シリアのアレッポがアサド政権の政府軍の激しい攻撃により制圧され、反政府軍を退けました。空爆、地上戦と、アレッポに暮らす市民は生命の危機に晒され、怯えています。

私の名前はバナ、7歳です。今、私はアレッポ東部から世界に語りかけています。死ぬか生きるか、最後の局面です。——バナ

お父さんが怪我を負いました。泣いています。——バナ

最後のメッセージですー昨夜から人々が死んでいます。今ツイートができて、生きているという事実が信じられません。——ファティマ

アレッポ市民のツイートより

以下の記事をご参考ください。

 

誰にでも平等に訪れる死ですが、生きたくても死ぬ人。生きられるのに死ぬ人がいます。


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