来訪するカミ マレビト論の実際④ 古来祭祀のカタチを受け継ぐ出張祭典とお正月本来の目的

神社は何をする場所か?

神社は何をする場所でしょう?」以前、地域学習で神社を訪れた小学生に聞きました。「お参りをするところ」と皆口をそろえて答えてくれて安心ました。参拝する人にとっては神社はお参りをするところです。

一方、神社の神職の側からしてみると、神様をおまつりする場所です。つまり、神様の御神徳(霊験・お力)を仰ぎ、日々祈りを捧げて皇室の弥栄、国家の安泰、世界の平和等々の、公(おおやけ)のために祈願をしています。祭祀とは、神様にお力を存分に発揮して戴けるよう行われるものです。

 

お祭りを始めるにあたって初めに行われることは〈お掃除〉です。人間でも仕事場が散らかっていたり、身なりが不潔だったりしたら、パフォーマンスを発揮できません。ですから、神職はほうきを持って毎日境内を清掃します。境内が清浄であることは神様が信仰されている証でもあります。祈る側にとっても清々しい気持ちで臨めます。

こうして、きちんと清掃した上でお祭りに臨むわけです。お祭りに奉仕するものは、潔斎(水浴び・風呂)やお手水で身体を清めますが。しかし、それでも拭い去れない目には見えない〈罪や穢れ〉〈心に霞む蔭り・不安や迷い〉といったものがあります。ですから、修祓(しゅばつ)、つまりお祓いをしてから、祭典が開始されます。

お祭りでは献饌(けんせん)といって神様へお供え物をおすすめし、祝詞(のりと)で神様をお讃えし、感謝を申し上げた上で、お願いごとをします。その後、神楽といったアトラクションを行い、神様に楽しんで戴いたところで、神職、参拝者全員でどうかお願いしますと神様へ拝礼をします。ザックリいえばお祭りとはこのようなものです。お祭りとはいわば神様に対する〈お接待〉のようなともいえます。

マレビト論とは?

今回はマレビト論の実際の4番目の記事です。ここでマレビト論をおさらいしましょう。

『折口信夫全集第二十巻』(中公文庫)より

・たましひは肉体に常に在るものとは考えていなかった

・肉体はたましひの一時的、仮の宿りにすぎない

・たましひはいつでも外からやってきて人間の肉体に宿り、宿った瞬間から、そのたましひの持つだけの威力を、宿られた人が持つことになる

・宿ったたましひが遊離し肉体を去ると、そのたましひの持つ威力も失うことになる

(p.199から200より抽出解釈)

カミは遠くからやってきて、我々人間に不思議な力を授け、それにより幸福や繁栄を手にすることができると、日本人は考えてきました。つまり究極のところ、何の目的でお祭りを行うかといいますと、それは「神様の強力な魂を自身の中に迎え入れる」ことにあるのです。

神社に参拝したり、お祭りに参列したり、または御祈願を受けたりすることでそれが得られます。商売繁盛なら稲荷神社、大黒さん、恵比寿さん、弁天さんといった神様。学問成就なら天満神社。必勝祈願なら八幡神社といったように、お願い事によって信仰する神社を選んだりもします。しかし、本来的には神様はお祭りの時にしかその場所には降臨しないことになっています。

古代の神社には社殿といった建物は無く、神籬(ひもろぎ)という樹木や、磐座(いわくら)という岩を、神様を迎える依代(よりしろ)として設ける祭場でした。強力な神様の魂が常時留まるのは恐るべきことでした。古代の人にとって神様とは自然界の力そのもので、恵みをもたらして生命を育む一方で、時に地震や雷、洪水といった猛威を振るう恐ろしい存在でもありました。神社に社殿が出来てきたのは仏教伝来以後にその影響を受けてといわれています。

ですから、「神社には普段神様は居ないんだよ」という人もいます。もちろん、神様は遠くにいらっしゃいます。日本神話でいけば、天照大御神様は高天原におられますし、須佐之男命は根の堅州国に、大国主命は幽冥界におられるのです。ですから神社にはそれぞれの神様の御分霊(ごぶんれい)をご神体に宿してお祭りしています。その意味では確かに神様は神社におられるということになります。

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神様を招いて行う
出張祭典

ですが、お祭りのすべてが神社で行われるわけではありません。出張祭典といって、例えば地鎮祭や竣工祭。お家や会社、工場、学校のお祓い等のお祭りでは現地に赴かねばなりません。その場合は古代さながらに榊(さかき)に神様をお招き(降神)し、お祭りを行います。

お家を建てる前の地鎮祭では土地の神様(氏神・産土大神)に家を建てるにあたっての、お断りをしなければなりません。さらに埴山彦神・埴山姫神(はにやまひこ・はにやまひめ)という土の神様、屋船神(やふねのかみ)という建物の神様、さらに自身の奉仕する神社の神様をお招きします。

工場の機械をお祓いする時にも、その業種によって様々な神様をお招きします。天目一箇神(あめのまひとつ)という鍛冶の神様、火産霊神(ほむすび)という火の神様、金山彦・金山姫神という鉱物の神様。石凝姥神(いしこりどめ)という鋳造の神様等、その内容に応じて神様をお招きします。

日本は八百万の神々の国というだけあって、いろんな事物にまつわる神様がいらっしゃいます。以前、幼稚園施設の地鎮祭に行く際、「幼稚園の神様は居ないかと」調べたところ、少子部蜾蠃 (ちいさこべのすがる)という神様がいらっしゃることがわかりました。第21代雄略天皇に仕えた人物で、天皇が養蚕業を興そうと、蚕(かいこ)集めを命じたところ、意味を取り違えて嬰児(わかご)つまり小さな子供たちを集めてしまいます。天皇は大いに笑い、「もう、お前が育てよ」と、その養育を命ぜられ、少子部連の姓を賜ったという説話が日本書紀にあります。どうやって集めたのかが問題ですが、書いていないので(深く考えたくありませんが)少し不安を覚えましたので、この神様はお招きしませんでした。

他にも、「幽霊が出て困っています」とお祓いを頼まれたりすることもあります。こういった場合にも、それに見合った神様を祭場にお招きしてお祭りを行います。

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何故神様は来てくださるのか?

私はこんな感じで日々、多くの神様をお招きし、祭典を奉仕しているわけですが、ふと疑問が浮かびました。「自分が奉仕している神社の神様ならまだしも、どうして日本中の神々様が来て下さるのだろう?」と考えました。

それは「神職」だからです。

当然といえば当然ですが、世の中には神社本庁等が出している神職の資格を持ちながら、普段は違う仕事をしている人も多くいます。その人達はお祭りの作法や、やり方を知っていますから、「僕、実はお祓いとかできるんですよ」などとおっしゃるかもしれません。しかしながら、果たしてその通りなのでしょうか。

神職は日々神前にて、皇室の弥栄、国家の安泰、世界の平和等々の、公(おおやけ)のために祈りを捧げて奉仕します。八百万の神々様が出張祭典などのお祭りで降臨し、恩頼(ミタマノフユ)つまり、神様の強力な魂をお与え下さる理由はそこにあると思うのです。

お正月の本来の目的

私は昨日、神社にて門松を祓い清める神事をご奉仕致しました。門松は単なるお正月の飾りではなく、本来は、毎年正月に各家にやってくる年神様が宿る安息所であり、また、神霊が地上に降りてくるときの目標物とも考えられていました。

松は神を「待つ」、神を「祀る」という意味もあるようです。この年神様は、別名を「お正月さま」、「若年さま」、「歳徳神」とも呼ばれ、昔は白髪の福相の老人がイメージされていたといいます。

かつて、日本人はお正月に年神様を家にお迎えし、新年を迎えました。つまり年神様とは〈先祖の霊〉なのです。

日本人の信仰の根底には〈祖先崇拝〉があります。一番身近な神は父親や母親、祖父や祖母です。歳末に「お歳暮」という贈り物をする風習があります。これは、寒さ忙しさ極まる歳末に親に贈り物をして、弱っている御魂に少しでも力をつけて欲しいという、生きている人に対する御霊祭り(ミタママツリ)なのでした。

今年はこの記事が最後です。今年1年このブログの記事をお読み戴きありがとうございました。心から感謝します。

どうか皆様が良い年を迎えられますよう、幸多き一年となりますよう、お祈り申し上げます。

利満府吏主祷 @rymanpriest


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