日本史上最大の英雄 ヤマトタケル 前編

shizuoka-tour.comより 日本平のヤマトタケル像

長らく日本の歴史や神話といったテーマから離れていました。今回からある程度この手の記事を書こうと思います。

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日本史上最大の英雄
ヤマトタケル

さて今回、日本史上最大の英雄と称えられるヤマトタケルの事績に触れてみようと思います。

ヤマトタケルは古事記では「倭建命」、日本書紀では「日本武尊」と記され、両方「ヤマトタケルノミコト」と読みます。

これはキャプテン・アメリカと同じネーミングセンスです。お互いに国を背負うヒーローといった感じ。

キャプテン・アメリカ


しかし、このヤマトタケルをそのような単純なヒーロー像で語ることはできません。下の画像は、安彦良和氏の作品『ヤマトタケル(1巻)』の挿絵ですが、この顔の表情。ヤマトタケルの冷酷残忍な内面が表現されていると思います。

ヤマトタケル/作・安彦良和 出典 comicwalker.com より

ヤマトタケルは第12代景行天皇の80人の御子の中の三番目に数えられる御子で、若帯日子命(ワカタラシヒコ)、五百木入日子命(イオキイリヒコ)と共に太子(ひつぎのみこ)の名を授かりました。

ヤマトタケルは始め小碓命(オウスノミコト)という名前でした。

ある日、オウスは父の景行天皇より、食事に顔を出さない兄の大碓命を食事に出てくるように説得するように命じられます。

それから五日後、未だ顔を出さないので父は「なんで君の兄さんは姿を見せないのだ。まだ言っていないのか」と問いただすと、オウスは「すでに説得した」と答えました。父は「どうやって?」と尋ねました。

するとオウスは「朝、便所に入るところを待ち構え、捕まえて掴み潰し、手足を引きもいで薦(こも)に包んで投げ捨てた」と答えました。今でいう家族殺人死体遺棄事件といったところです。

父景行天皇はオウスのその猛々しい性格に恐れ入り「西(九州)に熊襲建(クマソタケル)という二人が朝廷に従わない。不敬な反逆者であるから滅ぼしてきなさい」と命じます。オウスの生涯にわたる長い遠征の旅の始まりです。

ヤマトタケルの遠征

オウスは叔母にあたる倭比売命(ヤマトヒメ)の所へ行き、御衣御裳(みそみも)という着物を頂戴し、熊襲征伐に出立します。伊勢神宮に奉仕する倭比売命のお着物を頂戴するということは天照御大神のご加護を賜るという意味がありました。

オウスが熊襲建の家の前までたどり着くと、ちょうど熊襲の新築落成の祝宴を催すところでした。そこでオウスは髪型を変え、倭比売命に頂戴したお着物を着け、女装をして少女のいでたちとなり、祝宴会場に潜りこみます。この頃のオウスは未だ少年時代にあったのでしょう。

オウスは熊襲建兄弟の間に座り、宴を盛り上げ、宴もたけなわとなったところで突然、オウスは熊襲の着物の衿を掴んで懐に隠していた剣で胸を突き刺して殺します!

それを見て驚いた熊襲建の弟は逃走します。

オウスは追いかけて行き、熊襲の背中を掴んで、剣をお尻から刺し通します。(ギャー‼︎)

ところが、刺された熊襲は「この剣を抜かないでくれ。言いたいことがあるから。」と言います。

ところでお前誰?」オウスは名を名乗り、熊襲征伐にやってきたと伝えます。

熊襲は「西には我々熊襲の二人を置いて他に強者はいないが、大倭国(おおやまとのくに)にはさらに強い男がいた。ここに自分の名を捧げたい。今から倭建(ヤマトタケル)と称えよう。」と言い残すと、熟した瓜を真っ二つにするようにしてオウスに斬り殺されました。

以後、オウスはヤマトタケルと名乗ります。

ヤマトタケルは熊襲征伐の後の帰途で山の神、河の神、海峡の神を皆「言向け和して」行きます。言向け和す(ことむけやわす)とは「戦わずして説得して和平を結ぶ」といった意味です。

そうやって出雲の国にまで来た時、出雲の猛者「出雲建(イズモタケル)」を殺したいなあと思い、ヤマトタケルはとりあえずイズモタケルと偽りの友情を結ぶことにしました。

剣に似せた木刀を製作してそれを帯刀し、共に斐伊川(ひいかわ)という川で水浴びをしました。先に川から上がったヤマトタケルは、「刀を取り替えっこしよう」と提案します。後に川から上がったイズモタケルは、ヤマトタケル作〈剣に似せた木刀〉を取りました。

すると突然、ヤマトタケルが「いざ勝負」と挑戦の意思を示します。互いにその刀を抜いた時、当然イズモタケルの持つニセモノの刀は抜けず、打ち殺されてしまいます。

ここでヤマトタケルが歌を一つ読みます。

やつめさす 出雲建が 佩ける大刀 黑葛多纏き さ身無しにあはれ

イズモタケルの刀はアオカズラを沢山巻いた立派なものだが、刀身が無いとは気の毒に」というような意味です。

自分でやっておきながら、なんとも。なんだか相手を嘲笑うような歌に感じます。

それからヤマトに戻り天皇に征伐の報告をしました。



戦うこともマツリゴト

さて、日本史上最大の英雄 ヤマトタケルの活躍を見てきましたが、いかがでしょう。

英雄の所業とは思えないような凄惨で酷い行いだと、現代の人は思われるでしょうし、それは昔の人もそうだったと思います。

あまりにバイオレンスな内容で、今回は使える画像があまりありません。使うとR-15指定になるでしょう。バイオレンス系の原典がこのヤマトタケル神話だと思います。

このお話から「戦うということ」について考えさせられます。武という字は戈(ホコ)を止めるという意味です。中国では、戦わないで済む、戦わないで勝つことが最も良い方法でした。

私は以前、古代中国の武器について調べたことがありましたが、中国では戦争をするということは政治能力を欠いている、すなわち不名誉の事として戦争に関することをあまり記録に残さなかったらしく、詳しく解りませんでした。

戦わないで済ませる。すなわち、言向け和すことが最もよい方法です。しかし、それが通用しない場合もあります。

もし、いざ戦うとなると絶対に負けは許されません。戦いとは殺し合いであり、殺るか殺られるかです。当然生き残る方を選択すべきであり、その部分に関しては卑怯も何もないと思います。

どんなことをしても必ず勝つ。そんな意気込みがヤマトタケルの戦い様から伺い知れます。

戦うのは悪い。戦わずに済ませるのが良いというような、価値基準について「古事記・日本書紀」は語りません。

善や悪といった単純な二元論では物事を判断できないのではないでしょうか。

日本の国には本来、善悪といった倫理を超える大きな理念が根底にあります。それは「神の御心のままに」という考えではないかと思います。

神である自然によって人間は生され、育まれますが、時に地震、台風といった災害で人々の命は奪われます。また、日照りや大雨といった天候が農耕に被害をもたらし人々の生活を苦しめます。

全ては神様のされることなのでそこに良いも、悪いもありません。良いことをすれば天国に行ける。悪いことをすれば地獄に落ちるということもありません。

そこで重要になってくるのが「神様は今どんなお気持ちなんだろうか」ということでした。神様の意思を伺い、神様の喜ばれることを実行するのが「祭り」であり「政(まつりごと)」でした。

日本人はどこまでいっても「お祭り民族」です。お祭りに良い悪いもありません。あるとすれば、真剣に真心を込めて奉仕しているのか、仕事に取り組んでいるのかどうかです。ゆえに日本人は正直・真面目・一生懸命といったことを重要視します。

当然、戦いも政(まつり)です。


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