ヤマト王権に大きな影響を与えた 古代出雲という一大勢力

過去の記事 空白の百年の間に「大和政権」はなぜ成立したのか において、史料の無い空白の100年間に成立した大和政権について述べましたが、その成立以前は小国分立の時代を経て、日本各地方に有力な勢力が生まれます。



古代出雲王国は
実在したか?

その勢力の中で、天皇家を除いてまず筆頭に挙げられるのが「古代出雲」ではないかと思います。かつてこの日本の国土を開拓した大国主大神の本拠地が出雲でした。その大国主大神が祭られる神殿(神社)は今でもとても巨大ですが、かつて、今の倍の高さ48メートルの超巨大神殿だったようです。

創建当初の出雲大社 出典:mahorobanomori.web.fc2.com

当然日本で一番大きな神社です。天皇家の祖神である天照大御神を祭る伊勢神宮よりも大きな神社です。大国主大神を巨大な神殿で祭ることは、国譲りの際に天津神との間で交わされた契約によるものでした。

しかし、古代出雲に有力な勢力があったことは、あくまでも古事記等の神話の話で、ファンタジーの世界の事と考えられていました。ところが、1984年に荒神谷遺跡から358本もの銅剣が発見されます。当時全国から発掘されていた銅剣が300本余りだったのに対し、なんとそれを上回る数が出土されたのです。

大国主大神は別名「八千矛(やちほこ)の神」。すなわち多くの武器を持ち、強大な武力を誇ることを表すお名前でした。さらに2000年に出雲大社の境内の地中から巨大な柱が発見され、現実に巨大神殿があったことが確認されました。

出雲地方では「四隅突出型墳丘墓」という大和の「前方後円墳」とは異なる特殊な形態の古墳が造られ、この古墳は日本海を超えて北陸地方にも伝えられたといいます。古墳時代の黎明期に築かれたこの古墳は、出雲地方に有力な王国があったことを物語っているのではないかと思います。

天皇家と出雲大社

伊勢神宮と出雲大社は、対となる関係であり、天皇家にとって常に、出雲は意識されてきました。出雲の祭祀は天皇家の祭祀にも受け継がれ、その威力の恩恵に授かりたいという考えが伺えるのです。

このブログで再三に渡り主張してきたことですが、古代において、いかにして外部から強力な御霊・魂を捉えて自身に取り込み、強力な力を得るかが重要な問題でした。この外来魂の来訪を説くものとして古くからあるのが記紀の出雲神話です。

少彦毘古名神(スクナヒコナノカミ)を失い浜辺で打ちひしがれている大国主大神のもとへ、海上より来臨してくる神霊がありました。『日本書紀』では大己貴神(大国主)の幸魂奇魂であるとし、その加護によって国造り事業は遂行出来たといいます。その神はその後、国家平定事業の守護神として大和の三輪山に祀られます。蛇体の神である三輪山の大物主神です。

『神々の原像−祭祀の小宇宙』新谷尚紀著(吉川弘文館)によれば、この神話の構成と、出雲の佐太神社で神在月に行われる神在祭の構成が類似しており、神話世界が神事儀礼によって再生され続けているといいます。

この神事をおおまかなに説明しますと、荒れる旧暦10月の海から浜辺にやってくる海蛇を龍蛇様として迎えます。その骸躯は霊威の力のある霊物として残しながら、霊的部分は神籬に依り坐させて神ノ目山上から船出の神事によって送られるという構成になっています。

この神在祭の儀礼は出雲神話に共通する出雲地方の寄神信仰(来訪してくるものから恵みの財物、霊威物、霊威力を授かるという信仰)を基盤として古代から現代へと伝えられています。

この儀礼構成は、来訪神である大物主神を三輪の「神奈備」に奉祀する神話と極めて類似していることから、これらが古代の大和王権によって神話的王権秩序の説明に組み込まれた結果が三輪山の蛇神の神話伝承であるということです。

ヤマト王権に欠けていたもの、それは呪術性、宗教性といった祭祀王として霊威力でした。それを補強し超越的神聖王となるべく、出雲の神話と祭祀を取り込んだといいます。古事記・日本書紀に出雲・大神に関する神話が残されている理由はそこにあるのではないかと思います。



天皇に度々意思を示した
大国主大神

天皇家は度々、大国主大神の祟りに悩まされます。崇神天皇の治世において、疫病が流行り国内(大和国と思いますが)の半分以上の民が死んでしまう等、様々な災いが絶えませんでした。「自身を敬ってしっかりと祭れば国は平和に治まるだろう」と大国主大神の和魂である大物主神が託宣を下し、その通りにしてやっと様々な災厄が治りました。

さらに、垂仁天皇の治世では御子(みこ)である本牟智和気(ホムチワケ)が大人になっても言葉が話せず、白鳥の声を聞いて初めて言葉を発します。天皇の夢占いで、大国主大神が「自分を祭る神殿を天皇の宮殿のように立派にすれば、ホムチワケは話せるようになる」と告げます。

早速、御子が出雲に行き大国主大神の仮殿を伴う祭場を造ると話せるようになり、天皇はようやく出雲に宮を造営させたと古事記は伝えています。かなり昔に約束してたのに、今頃ですか!?と思ってしまいますが、日本書紀の方では、出雲で白鳥を捕え、ホムツワケが話せるようになったことになっています。

幽冥の世界からこの世を守る、大国主大神のお力があるからこそ、世の中が豊かで平和な状態が保たれている訳ですが、その強力な力が祟りとなるのは大変な脅威だったに違いありません。

一説には出雲大社は怨霊を鎮めるための神社ともいわれています。これは「逆説の日本史」で有名な井沢元彦氏の説です。その論拠としてまず挙げられるのが、出雲大社の御神座は正面を向いておらず、参拝する人から見て神様は左を向いておられるということ。

神殿内部では入り口から左へぐるりと回って御神座に到達する構造になっており、さらにそこで祭られている大国主大神の前には天津神系(高天原の神)の五柱の神が祭られており、大国主大神を監視し、封じ込めているというのです。

五柱の神

天之御中主神 (アメノミナカヌシの神)
高御産巣日神 (タカミムスヒの神)
神産巣日神  (カミムスヒの神)
宇麻志阿斯詞備比古遅神 (ウマシアシカビヒコヂの神)
天之常立神  (アメノトコタチの神)

古代の日本において絶大な影響力を持つ文化中心地が出雲にあったことはもはや疑いようもありません。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*