ビブリオ 学校では教えてくれないという本当のアメリカの歴史を学ぶ③ やめられない戦争 無くならない貧困 根強い差別の歴史を歩み続けるアメリカ

今回もアメリカ史の記事です。2回で終わると思っていましたが無理でした。続けて読んでくださっている方は、申し訳ないですが今回までどうぞお付き合い下さい。

今回は『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史㊦』(ハワード・ジン著/あすなろ書房)を参考書に使用し、20世紀から21世紀はじめまでのアメリカの歴史を振り返りたいと思います。

戦争がやめられない国
アメリカ

20世紀に入るとその前半において、世界に大きな戦争が2  回も起こりました。第一次世界大戦は1914年に始まり、戦争が終わるまでの4年間で1000万人が戦場で亡くなり、2000万人が戦争のもたらした貧困と病気で亡くなります。アメリカは当初、参戦しないと表明していました。

1915年にイギリスの民間定期船ルシタニア号がドイツの潜水艦からの攻撃により沈没します。犠牲者の中にアメリカ人124人がおり、軍事物資を積んでいない船を攻撃したとしてドイツの暴虐行為だと非難し、アメリカはこの戦争に参戦することになりますが、実際には多くの弾薬が秘密裏にこの船には積み込まれていましたし、しっかり武装されていたのです。

またもやアメリカは戦争の口実を作り出しました。

それ以前からアメリカはヨーロッパの連合国やイギリスに対し軍事物資を輸出して大儲けをしており、アメリカの繁栄とこの戦争は強く結びついていました。当時の大統領ウッドロー・ウィルソンは、アメリカが戦う理由を「あらゆる戦いを終わらせ、世界を民主主義にとって安全なものにする」ためだと訴えましたが、兵に志願するものが少なく、徴兵制で強制的に兵を集めます。

多くの運動家は、アメリカは金のために参戦したと非難しました。そこで政府は〈スパイ法〉という法律を作り、反戦を口にしたり、徴兵を拒む者を罰します。反戦デモなどしようものなら軍から攻撃され、多くの運動家は逮捕され、言論は徹底的に弾圧されます。「自由の国アメリカ」という言葉はなんなのでしょう。

1939年には第二次世界大戦がはじまりますが、アメリカはまたもや当初参戦しないことにしていました。ところが1941年に日本軍による真珠湾攻撃が行われたことを機に参戦することになります。この真珠湾攻撃に関しても不自然な点が多くあり、日本はアメリカの口実作りに上手く乗せられてしまったのではかと思います。これは一般に陰謀論と呼ばれます。確かにアメリカ側は事前に日本からの攻撃を知っていたとする証拠こそありませんが、戦争をしないことを公約に掲げて大統領に当選したローズベルトは、常に戦争の口実を求めていたという証言があります。(参考 「米国務省の公文書公開「真珠湾は奇襲ではなかった」

この戦争はアメリカが参戦した戦争のなかでは最も人気が高い、支持された戦争でした。多くのアメリカ人はドイツで行われているユダヤ人大虐殺を辞めさせるために枢軸国と戦っているのだと考えていたようです。(かつて大逆された黒人やインディアンはどうなるのでしょう?)

しかし実際そのことに関しては大統領のローズベルトはさほど関心はなく、国務省もホロコーストからユダヤ人を救い出そうとはしませんでした。ちなみに日本は外交官だった杉原千畝氏の独断によってビザが発行され多くのユダヤ人が救われています。日本は同盟国でありながらもドイツに対して非人道的な行いを批判していました。

アメリカでは真珠湾攻撃の後、日本人への憎悪が高まり、大統領は西海岸に住むすべての日系人を逮捕せよと命じます。このようにして、日系人は強制収容所にて捕虜のようにして過ごさねばならなかったことを、日本人は知っておかねばならないでしょう。

日本とアメリカとの戦争は1945年に広島・長崎へ原爆が投下されたことで終わります。原爆により広島で25万8310人、長崎で14万5984人が亡くなりました。(2008年時点)

これを大虐殺と呼ばずしてなんと言えばよいのでしょう?おそらく人種差別の根強いアメリカでは、人間とは白人であって、それ以外は人ではないという考えがあったのでしょう。

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軍と政府と企業はズブズブの関係

第二次世界大戦はアメリカの企業に大きな利益をもたらします。

「いかに国民を統制するかという難題は戦争が解決する。政府は長い時間をかけて、この教訓を学んできたのだ。世界最大の複合企業の一つであるゼネラル・エレクトリック社の社長は、企業と軍とは〈永続的な戦争経済〉をつくるべきである、と主張した。」(P.56より引用)

まあ正に“死の商人“と呼べるにふさわしい人の発言ですが、このように軍産複合体がアメリカという国に不可欠な体制となりました。

大戦後はそれまで敵ではなかった、ソ連の共産主義の脅威によってアメリカは戦争を行います。1950年の朝鮮戦争、1964年にアメリカが参戦したベトナム戦争はいずれも、アメリカからずっと離れた、ある遠い国を共産化させないための戦争であったと同時に、ベトナムでいえば石油資源の利権を得るための戦争でした。ベトナム戦争はゲリラとの闘いにより多くの一般市民を死傷させ、その残酷な行為は国民や世界からも大きな非難を受けます。国内では反戦運動が高まり、戦争も泥沼化。1975年世界最強国アメリカはこの戦争に敗北します。この戦争は世界とアメリカにとって大きな傷跡を残します。

1991年湾岸戦争は、イラクからクウェートを解放し、イラクの核爆弾製造を阻むための戦争と国民には説明されていました。しかし多くの国民はこの戦争に賛同しません。当時パトリシア・ビッグズという女子学生が次のように語ったそうです。

「イラクへ行く必要がアメリカにあるとは、わたしには思えません。この戦争が正義と自由にかかわっている、とも思えません。経済の問題だと思うのです。イラクで起きつつあることにおおいに関係しているのは、巨大な石油会社です。わたしたちは金もうけのために、国民の命を危険にさらしているのです。」(P.142)

このことから、もう見え見えの嘘を政府は言っていると、国民は気づいていることがわかります。

2001年の世界同時多発テロを受け、アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディンを標的にテロとの戦いを掲げアフガニスタンに侵攻。(ビンラディン一族はサウジアラビアの富豪でブッシュ一家とはビジネスパートナー。さらにウサマ・ビンラディンは元CIAの工作員でした。)

さらに大量破壊兵器を所持しているとして石油の豊富なイラクへと侵攻しますが、大量破壊兵器はどこにも存在しませんでした。しかも、いまだテロは根絶されないどころか、サダム・フセイン政権崩壊によって近年はイスラム国が台頭するなど、事態は益々深刻となっています。
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無くならない貧困

アメリカは建国して以来ずっと貧困問題を抱えてきたようです。企業が工場での大量生産で効率を上げて多くの利益を得るようになった20世紀はじめ頃、低賃金に耐えかねた労働者は度々ストライキを起こして抗議しました。

こういった労働組合の運動はアメリカ資本にとって脅威となります。ストライキ参加者は逮捕され、ときに財閥の私兵や州兵、連邦軍などによって攻撃を加えられ、女性や子供までもが巻き込まれる虐殺が行われました。ストライキは力ずくで制圧されていました。自由の国という言葉はなんなのでしょう。

1929年に起こった大恐慌により5000以上の銀行が閉鎖され何千もの会社が倒産。失業者は1933年に1500万人に登り、多くの人が家を失い、飢えることになりました。ワシントンDCに恩給の支給を求めて集まった2万人もの退役軍人に対し、大統領は排除を命じ、戦車、銃火器、催涙ガスを使用し野営している人々は追い払われました。

その後オーズベルト大統領のニューディール政策により大恐慌は克服され、法改正により、労働者にいくぶんか手当があてがわれますが、黒人に関していえばこの政策による恩恵は皆無に等しく、依然過酷な生活を強いられます。よって労働運動は活発化していきます。

第34代大統領ドワイト・アイゼンハワー(任期1953〜61年まで)は任期中に次のように語ったそうです。

「製造されたすべての銃、進水されたすべての軍艦、発射されたすべてのロケット弾は、飢えているのに食べる物がない人々、こごえているのに着る物をもたない人々からの、いわば盗みの結果といえるのだ」(p.149より)

1990年代になっても、子どもの全人口の四分の一が貧困層に属し、どの大都市でもホームレスが街頭に見られるような状況が改善されません。

2005年ハリケーン・カトリーナの被害は世界に衝撃を与えました。ワシントン・ポスト次のように報じました。

「アルゼンチンからジンバブエまで、世界じゅうの新聞の第一面に、命を失ったり、打ちのめされたりしたニューオリンズの人々の写真が掲載された。そして、そのほとんどが貧しい黒人であることに、人々は胸をえぐられ、アメリカに対する思いこみにはっとさせられたのだ。世界には貧困に苦しむ国がいくつもあるのに、ほとんど現実とは思えないほどの富と権力をもった国アメリカで、なぜこんなことが起きるのだろう?人々はそう感じた。海外からの反応はまずショック、そして思いやりにあふれる寛容な援助の申し出。それから国際感情は、ブッシュ政権の対応へのはげしい非難へと変わっていった。」(p.186〜187)

根強い差別意識

遡ること1863年、リンカーン大統領によって奴隷解放令が出されました。南北戦争は奴隷解放の戦争と期待されていたようですが、リンカーンが目指したのはあくまでも、南部州のアメリカ合衆国への再編入でした。その方法として、奴隷解放を予備宣言して南部のアメリカ復帰を促しただけに過ぎません。

黒人は奴隷でなくなっても、相変わらずひどい差別を受けてきました。

「われわれは屈辱を味わってきた。ののしりの言葉を浴びせられ、抑圧という底知れない深みにつき落とされてきた。だからこそわれわれは、抗議という武器のみを手に、立ちあがることを決意したのだ。手にすべきものは、愛という武器だ。われわれを憎む人々を理解し、思いやりの念をもたなければならない。」(p.68〜69より)

これは、アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者として知られるキング牧師の言葉です。ほかにも有名な運動家としてマルコムXが知られますが、両者共に暗殺者の凶弾によって倒れます。黒人の教会には爆弾が投げ込まれ、子どもたちが殺されました。

奴隷制の慣習が色濃くのこる南部のジョージア州にあるオールバニーという小さな町で、黒人がデモ行進を行った際に多くの参加者が逮捕されました。その中には9歳の少年がいました。警察署長が名前を尋ねると、少年は署長の目をしっかり見つめ、「フリーダム、フリーダム」と答えたといいます。困難に屈しない人間の強さを教えられる出来事です。

アメリカでは60年代から反戦運動、公民権運動、女性解放運動といった運動が盛んになり社会に多くの変化をもたらします。インディアン達も組織化して自分たちの現状を変えようと運動を始めます。

2009年にバラク・オバマが黒人として初めて大統領に就任したことは、アメリカの激しい差別の歴史から見れば、いかに大きな出来事だったことが分かります。

 

 


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