映画 グランドマスター 激動の時代を生きた武術家たちから教わったこと

大好きなカンフーの映画

このブログには〈映画〉というメニューがありながら今まで映画の記事は、はじめに一つだけしか書いていません。いい加減にそろそろ書かないとダメだろうと思います。そこで、私が大好きな映画を一つ紹介します。

表題にもありますが、グランド・マスターという中国のカンフーの映画です。私はよくレンタルDVDで映画を観ますが、この作品は半年で3回借りにいったので、いい加減にと購入しました。1回目は観ているうちに眠ってしまいました。次の日に全部観たのですが、この映画が言わんとすることが、なんだかよく理解ができませんでした。

以下が予告編映像です。

 

何とか理解したいものだと、もう一度借りにいって何度か観ました。すると観れば観るほどにだんだん面白くなっていきました。何度見ても飽きません。私は基本的に、一度観た映画を何度も観ることはありません。この映画は映像がとにかく美しく、役者の演技も素晴らしいので、何度も観たくなる魅力があったのでしょう。

この記事は映画の内容に深く入り込むのでネタバレします。まだ観てない方はマズイと思ったらすぐに読むのをやめて映画を見ましょう。

中国武術界の
未来を受け継いだイップ・マン

カンフーに師匠が誰だとか流派がなんだとかは関係ない。カンフーとは二つに一つ。横か縦かだ。負ければ横たわり、勝ったものが立つ……違うかい?」という台詞のシーンからこの映画は始まります。

主人公の一人イップ・マン(葉問)の言葉ですこれが彼の哲学です。この映画は名言集ともいえる印象的で心に残る台詞が多くあります。その言葉に私は、とても深い勇気や力を得ています。

イップ・マン

イップ・マンはあのブルースリーの師匠として有名です。広東省の佛山(ふっさん)という場所に生まれ、父が商売で大儲けをしていたため働かずに、只ひたすら武術に打ち込む日々を送っていました。若くして詠春拳(えいしゅんけん)というカンフーの流派のグランド・マスターでした。

時は1930年代の中国。長江を挟んだ北と南の武術には歴然とした違いがありました。アヘン戦争以降の中国は列強国の脅威に晒され、武術界も国を守るために南北の統合が求められていました。

八卦掌(はっけしょう)のグランド・マスターであるゴン・パオセンは引退し、その地位と南北の武術会を統一の使命を託す後継者を探していたところ、イップ・マンが目にとまり、パオセンは引退試合を持ちかけます。

ゴン家は八卦掌と形意拳(けいいけん)を統合した武術の名門で、試合に一度も負けたことがありません。そんなゴン家の当主パオセンが、南の若者を後継者としようとしたものですから、娘のルオメイが「前例がない」と反対します。このルオメイもこの映画の主人公格の人物です。

ゴン・ルオメイ

 

するとパオセンは「年寄りが前例にこだわれば、若者が伸びてこられないではないか。」「人の優秀さや、その良さを知ろうともせず、認めてやれないのは度量が狭いからだ」と娘を叱咤します。

イップ・マンはこの試合を受けます。しかし、パオセンは意外にも武術ではなく、思想で勝負をしようというのです。「何なりと仰せの通りに」とイップ・マン。

パオセンは、かつて南から訪れた武術家の言葉を気に入り、兄弟子が何も言わずにその男を中華武士会初代会長座を譲ったという話をします。男は饅頭を差し出し、「この饅頭を割ってみよ」「拳法も国にも南北の違いはない。」それが兄弟子に対してその男が言った言葉だったといいます。パオセンは「イップ・マンさんあんたはどうだ。この饅頭が割れるかな?」と饅頭をイップマンに差し出します。

禅問答のような対決が始まります。まあ、実際にイップはパオセンが手に持つ饅頭を割らなければならず、お互いに激しく動き合うのですが、ある時ピタリと両者の動きが止まります。

天下は北と南だけではない。何事にも完璧はありません。ゴンさんにとっての餅は武術界ですが、私には世界です。完壁ではないから進歩することもできる。南の拳法が良いものならいづれ世に広まる。違いますか?」とイップ。

その通りだ。」「私は武術では、一度も負けたことが無かった。それがまさか思想で負けるとは。」パオセンはイップに後を託します。「私がしてきたように武術の灯をともし続けてくれ。精進すれば必ず報われることを疑うな。武術の灯は受け継がれる。

この試合に納得がいかないゴン・ルオメイは、イップ・マンに武術試合の果たし状を送り付けます。彼女は父から唯一人、八卦掌の奥義六十四手を継承するグランド・マスターでした。イップはこの試合を受けます。

意外なことに、お互いに拳を交えるうちにこの二人は惹かれ合ってしまいます。しかし、イップは妻子がおり、ルオメイには婚約者がいました。二人は再び会おうと約束して別れますが、お互いに相手の存在を忘れられません。二人は手紙でやり取りをして心を通わせます。

その後、1938年にイップの住む佛山が日本軍の攻撃で陥落し、屋敷を日本軍に接収され、極貧を強いられるようになります。食べ物を貰うために知り合いを訪ねて歩きます。日本軍に雇ってもらうよう仲間から勧められますが、イップは頑なに拒みます。この抗日戦争中にイップは娘を餓死で失います。



復讐に身を捧げたルオメイ

一方、引退したゴン・パオセンは形意拳を受け継いだ弟子のマーサンによって殺害されます。マーサンは日本軍に投降し、野望に目がくらんでいました。

父の訃報を受けたルオメイはすぐさま戻ります。そこで待ち受けていたのは一門の長老達でした。長老たちはあれこれと御託を並べ、マーサンへの復讐を阻止しようとルオメイを説得します。長老達はマーサンのバックにいる日本軍にビビッていたのでした。

パオセンの遺言は「恨みは忘れろ」でした。しかし、「仇を打たなければ幸せにはなれない。」「本来ならばあなた方(長老たち)はマーサンを責めるべきです。なのにマーサンを庇い私にあれこれと意見するとは。」「ゴン家への恩をお忘れですか?」とルオメイ。

長老は「許すべきところは許すしかない。人生とはそういうものだ。すべては天の意思だ。」それに対しルオメイは「私のすることが天の意思よ!」と言い放ちその場を立ち去ります。ルオメイは婚約を破棄して父の仇を取ると決めます。

すべての流派の頂点を決める
頂上決戦?

この映画は、「すべての流派の頂点に立つのは誰なのか いま始まるカンフー頂上決戦!」と銘打っていますが、そのような戦いは行われません。もう一人の主人公格の登場人物であるカミソリは国民党の特務工作員です。

カミソリ

しかし、ルオメイやイップとは拳を交えませんし、それどころかイップとは出会いもしません。(本編からカットされているようです。)

強いて言うならば頂上決戦は、序盤で行われたイップ・マンとゴン・パオセンの思想試合です。では実際にはどんな映画なのかといいますと、激動の時代を生きた武術家達の生き様と思想を描いた作品だと思います。

女性の幸せを諦めて復讐に身を捧げたルオメイ。1940年の大晦日に奉天駅でマーサンを待ち伏せします。

借金取り並みだな。大晦日に待ち伏せているとは。」とマーサン。「ゴン家の技を今日は返してもらいに来た。」とルオメイ。「ほう。技は(俺の)身体の中だ。欲しければ。取りに来な。」とマーサン。この映画最大の見せ場が訪れます。

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道(ミチ)という思想

一応このブログのテーマは〈日本とは何か?〉ですから、この作品から何か汲まなければなりません。一つには中国人から見た日本が描かれているということです。日本軍がやってこなければイップの娘だって、パオセンだって死なずに済んだし、ルオメイだって結婚して幸せに暮していたことでしょう。

さらにもう一つ言えば、〈声なき亡き者の意志を汲んで生きる〉という〈道〉という生き方です。この考えは中国を始め、日本も含めて東アジア全域にある思想です。

映画の締めくくりには、武術道場の入門に際して、幼き頃のイップが師匠であるチェン・ホアシュンから帯を締めてもらうシーンがあります。「帯を締めればもう武術を学ぶ者。その名誉を忘れずに生きるのだ。」イップはこの帯への誓いが自信を支えてきたと語ります。

戦争が終わり故郷を追われたイップ・マンは香港に亡命し、家族と離れ離れとなり、故郷に残した妻は病死してしまいます。なんだか登場する人たちが気の毒に思いますが、戦争のような激動の時代で厳しい状況に置かれることで、人の真価が問われ、生き様が浮き彫りになってくるように思います。

話は違いますが、私はお彼岸やお盆などで、早過ぎる死別をした親族の霊前に額ずく際に「さてどんな言葉や思いを捧げるか」と一瞬思います。しかし生前のご恩に対する感謝の思いを述べると、自然と出てくる言葉があります。「今まで有難うございました。僕は必ず立派な人になります」そう誓う他にありません。それこそ故人が私に望むことだと感じるからです。




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