日本民俗学とは何か? 日本が独自に確立した 世の中のことを正しく理解するための学問

知られざる民俗学の世界

みなさんは〈民俗学〉という学問を知っていますか?見出しの写真画像は〈チャグチャグ馬コ〉というお祭りの様子です。民俗学はこのような祭礼も研究の対象となります。

私は、一時期ですが民俗学の道を志したことがあり、今でも時間さえあれば研究をして民俗学者を名乗りたいなあなんて思ったりします。私は大学で〈日本民俗学〉を学びましたが、これほど自国の国民に正しい理解を得られていない学問は無いと思います。

当ブログで時折、民俗学に関係することを書いてきました。ある記事では、日本民俗学が外国人の対日工作の作戦立案に大いに利用されたことについて述べました通り、世の中には策謀が渦巻いています。これは陰謀論を言っている訳ではなく、私は明らかに存在する陰謀について言っています。

やられたらやり返す。倍返しだ!」というドラマが少し前に流行っていたようですが、復讐はしないせよ、何かしらの対策をしなければならないでしょう。しなければやられっぱなしです。

 

そこで、日本民俗学を武器としてこの戦いに使用しようと思います。よって、今回から数回に渡り〈民俗学とは何か?〉について述べていきます。

参考文献

庶民の生活〈民俗〉を資料に

民俗は地方に伝わる昔話や妖怪について研究する学問、あるいはそこから〈日本らしさ〉とは何かを探求する学問と思ってる人が多いと思います。

事実、そう考える民俗学が主流になっていたこともありますが、それは本来の民俗学とは少し違います。例えば、九州なら九州らしさとは?東北なら東北らしさとは?といった、各地域の独自性に注目する視点を持って研究にあたるのが民俗学です。

明治以後、日本は急速に西洋文化、近代的な産業を取り入れ〈国民国家としての日本〉として再出発し、劇的な変化に晒されました。

そこで失われていくことが危惧された日本の各地域の古い風習、儀式、言い伝え、伝統芸能といったものから〈民俗資料〉を収集し記録。そして、書物の〈文字資料〉からは窺い知れない、日本各地に暮らす名も知れぬ人々達の生活を知り、分析する研究方法を確立したのが日本民俗学でした。



民俗学はフォークロアではない
しかも日本独自の学問

ひと昔は民俗学を〈フォークロア(folklore)〉などと訳されていましたが、しかしそれは間違いです。フォークロアとは19世紀にイギリスで生まれ、民衆の古い慣習や生活文化、伝説などを研究対象とする点で共通点はありますが、20世紀に興隆した社会学や人類学、民族学といった理論的な学問の発展したことに比べると、十分な学問的発展を遂げることができませんでした。そのため、現在の欧米でフォークロアといえば昔話や伝説の研究と考えられていて、その学術的な意義は認められていません。かつて宮田登という民俗学者の先生がいらっしゃいました。

宮田 登(1936〜2000)www.yoshikawa-k.co.jp

宮田先生は、筑波大学をはじめとする多くの大学研究機関にて歴史人類学系の教授をされ、戦後の日本において日本民俗学をアカデミズム界に位置付けた、多大なる功績をお持ちですが、外国で日本民俗学のことを〈フォークロア〉と紹介してしまったがために、アカデミーから締め出されてしまったといいます。

また〈民族学(ethnology)〉という学問もあり、民俗学とごっちゃになって考えられたりもします。千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館と、大阪府千里にある国立民族学博物館はどう違うのかという問題です。

千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館 upload.wikimedia.org

大阪府千里にある国立民族学博物館 upload.wikimedia.org

民族学は世界の多様な民族・人間を対象とする学問でしたが、差別的で植民地支配とも結びついていたため、今はほとんど文化人類学に吸収される形となっているようです。

世界には〈世の中のことを正しく理解するため〉の学問が沢山あります。イギリスでは人類学(social anthropology)、フランスでは社会学(socialogie)が発展しました。ドイツでは戦前〈フォルクスクンデ(volkskunde)〉と呼ばれる学問があり、こちらも民俗学と訳さたりしています。これが成立した背景には、ドイツを国家として国民を統合させる目的が絡んでいました。数多くの君主国と自由都市を統合して建国されたドイツは、結束感が弱く、吹けば飛ぶほどの連帯感だったようです。よって強固な国民意識の統合を人為的に促す必要があったのです。しかしその民族意識の高揚は台頭するナチズムに利用されることとなりました。

それぞれの国で、それぞれのやり方、それぞれの学問で〈世の中のことを正しく理解するため〉の取り組みがなされてきました。日本民俗学は、輸入学問でも、文化人類学の一つのカテゴリーではありません。日本独特の学問なのです。

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重出立証法という方法論

柳田國男先生ははじめ、民俗学ではなく、民間伝承学と名付けました。

柳田 國男(1875〜1962)upload.wikimedia.org

この学問は、〈重出立証法〉という広範囲における民間伝承を資料収集します。そして各地域の比較によって、ある地域からほかの地域への文化の伝播や、人々の生活の変遷を知るという、もうひとつの歴史学を目指して出発したのが民俗学でした。

つまり、〈文献史学=文字資料〉〈「遺物資料=考古学〉に加え、〈民俗資料=民俗学〉を用いて、多角的視点で伝承文化の変遷を立体的に捉えようとする〈もう一つの新しい歴史学〉の提唱だったのです。

こういった高度な学問だった訳で、当然ながら社会から理解されるのは難しかったのでしょう。そしていまだに理解されていません。

日本民俗学を世界に対しどのように名乗り説明すべきか。師曰く、英訳するならば伝承文化学(cultural traditionology)とでも訳するのが適当とのことです。

南方熊楠が出した
「巫女考」掲載停止の要求

柳田先生が編集した雑誌『郷土研究』に対し、南方熊楠という先生が、地方経済学の雑誌に巫女(シャーマニズム的要素として)の研究を掲載するのは不適切だとして、掲載を止めるよう求められました。大正3年のことです。

以下がその「巫女考」の冒頭部分です。

自分の生国播磨などでは、ミコと称する二種類の婦人がある。第一はやや大なる神社に付属してその旧境内に居住し、例祭の節は必ず神幸(しんこう)の行列に加わるのみならず、神前に鈴を振って歌舞を奏し、また湯立(ゆだて)の神事に関与するものである。いま一種のミコは、あるいはまたタタキミコとも口寄(くちよせ)ともいう、たいてい何村の住民であるかよくわからず、少なくも五里八里の遠方から来る旅行者である。この口寄というのは古い語で、その意味は隔絶して近づくべからざる神または人の言語を、眼前の巫女の口を介して聞くこと、すなわち託宣託言を聴かんと求むることであって、従ってその仲介を業とする女をも口寄というのである。現代のタタキミコも人に頼まれて不在者の口を寄せることは同様であるが、その寄る者は主としていわゆる生霊か死霊、すなわち生きている人または死んだ人間ばかりで、神がこの者に降ることは極めてまれなようである。(柳田國男全集11/ちくま文庫p.307より)

南方熊楠の「巫女考」の連載を中止せよとの注文に対して柳田國男は『郷土研究』誌上にて「南方氏の書簡について」という記事を書いて答えます。

あの巫女考などは随分農村生活誌の真只中であると思ひますが、如何ですか。此まで一向人の顧みなかったこと、又今日の田舎の生活に大きな影響を及ぼしていること、又最狭義の経済問題にも触れて居ることを考へますと、猶大に奨励して見たいと思ひますが、如何ですか。(参考文献p.57より)

また、柳田先生は『日本の祭』という著作の中で以下のように述べられました.

祭は本来国民に取って、特に高尚なる一つの消費生活であった。我々の生産活動はこれあるがために、単なる 物資の営みに堕在することを免れたのであった。それが一つの収益中心と結びつくに至って、新たに生まれた問題は算え切れぬほどもある。

このように、民間信仰・習俗は庶民の生活と密接な関係であり、根底にある問題であるともいえます。

経済という言葉の
本当の意味

〈経済〉とは本来〈お金〉を意味する言葉ではありませんで、経世済民(けいせいさいみん)即ち、「世を經め、民を濟」。字がよく分からないかもしれませんが、「世を治め、民を救う」ということです。世の中をいかにして安定させるかを問う言葉でした。この言葉から「世」と「民」二つを抜いてしまったのは誰でしょうか。民俗学とは経世済民を志す学問なのです。

大衆文化等の、いわゆる低俗と呼ばれるものに文化的価値を見出す考えや、マイノリティーな少数派の人達に目を向ける研究姿勢は、世の中のことを正しく理解するために必要不可欠なことです。

このブログのサブタイトルは〈日本とは何か?歴史・宗教・文学・音楽・映画・サブカルチャーから読み解く〉となっています。これからも、我々の身近な文化から日本とは何かを考えようと思います。

いかにしてこの世の中を、安定に導けるのか。自分たちのことを根底からよく知らなければ分からないことだと思います。




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