人は知らず知らずのうちに<現実>を作っている 認知的不協和について映画『メメント』その他諸々から知る

認知的不協和理論について

皆さんは〈認知的不協和理論〉についてご存知でしょうか?

いきなりそんな専門用語をいわれてもと、不躾な質問ではございます。しかしこれは、非常に面白い人間の習性を知ることができる理論です。私は大学の宗教社会学の講義でこの理論を知りました。

この理論は、アメリカの社会心理学者であるレオン・フェスティンガーさんが説かれました。

レオン・フェスティンガー(1919~89) en.wikipedia.org

認知的不協和(にんちてきふきょうわ、英: cognitive dissonance)とは、人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。 アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。 人はこれを解消するために、自身の態度や行動を変更すると考えられている。 Wikipediaより

 

例1 認知的不協和

例えば、煙草を吸うと肺がんやその他の病気に掛かりやすいというデータを、喫煙者が信じるかどうかという問題です。

1.喫煙はあなたにとって肺がんの原因の一つになります。

2.喫煙はあなたにとって心筋梗塞の危険性を高めます。

3.喫煙はあなたにとって脳卒中の危険性を高めます。

4.肺気腫を悪化させる危険性を高めます。

5.妊娠中の喫煙は胎児の発育障害や早産の原因の一つになります。

6.たばこの煙はあなたの周りの人、特に乳幼児、子ども、お年寄りなどの健康に悪影響を及ぼします。

7.ニコチンにより喫煙への依存性が生じます。

8.未成年者の喫煙は健康に対する悪影響やたばこへの依存度を高めます。

日本では現在、このような文言を煙草のパッケージの両面に大きく表示することが義務付けられています。私は喫煙しませんので分かりませんが、この文章を毎日見る喫煙者の心情はいかがなものでしょうか。この文言を重く受け止めるならば「煙草を吸うのをやめよう」と思うはずです。

実際に「煙草をやめたい」と思いつつ吸っている人は多くいます。いうまでもありませんが煙草には中毒性があり、辞める際には重い苦痛が伴います。この状況が〈認知的不協和〉に陥った状況です。この状況が続くと人間の心理は崩壊してしまいます。非常に危険な状態です。この認識と行動の不一致をいかにして解消するのか。方法は3つあるようです。

1.認知の一方を変える

→喫煙をやめる。もしくは、実験結果を否定する。

2.不協和の重要性を減らす

→「そのうち医学が進歩して何とかなる。きっと助かる」

 「どのみち人は遅かれ早かれ死ぬ」

3.認知要素の一方に協和的な要素を付加する

→「煙草は身体には悪くとも、気分をリラックスさせる効果がある」

 「煙草を吸い続けても元気に長生きしている人もいる」

アメリカ人小説家のカート・ヴォネガット氏が、『国のない男』という著書の中で、「わたしはまだ12歳のときからタバコを吸いはじめたのだか、絶えず吸い続けたのは両切りのポール・モールのみだ。そしてもう何年もの長きにわたって。ブラウン&ウィリアムソン・タバコ・カンパニーはパッケージに書いて、わたしを殺してくれると約束してきた。ところが、わたしはもう82歳だ。この嘘つきどもめ!」(p.50〜51)と語っていたことを思い出します。

人は何かと理由をつけて自分を正当化しなければ生きていけない存在なのです。



例2 強制承諾の場合の不協和

これは実際にあった実験です。ある男子学生に、糸巻きを取り出してトレーに並べるといった、誰にでもできる究極的な単純作業をさせます。「作業はとても楽しいものだった」そう言わせて次に作業をする女子学生に仕事を引き継がせます。つまり嘘を言わせるのです。

この仕事をさせた男子学生たちに報酬を与えました。二つのグループに分け、その額は一方には1ドルを、一方には20ドルでした。さて、果たしてどちらのグループの学生たちが「自分の行った作業は楽しかった」と答えるでしょうか?

答えはなんと、1ドルの報酬を受け取ったグループが「自分の行った作業は楽しかった」と答えるのでした。

意外に思うかもしれませんが、考えてみれば苦痛とも呼べる単純作業をさせられた上に嘘までつかされる羽目になり、20ドルも貰えれば「まあ辛かったけど妥当だな」と思います。

しかし、1ドルしかもらえなかった場合は「楽しくなかった」と答えれば、もはや救いようがありません。深層心理では「こんな辛いことをさせられたのだから、せめてあの作業は楽しかったんだ!と自分に言い聞かせて慰めよう」という考えが働いているのです。



悪用される認知的不協和

この理論は、新興宗教やカルト信仰からなかなか抜け出せなくなる信者の心理を読み解くことにも使えます。このような団体の信者になる人は何かしら悩みを抱えていたりとか、神秘的なことに興味がある人です。

そんな人たちに、ちょっとした神秘体験、不思議な体験をさせて教えを説き、信じ込ませて信者にします。その後は、教祖の予言が幾度も外れようとも、その宗教団体が社会から激しく非難されようとも、教祖はあれこれとその理由を並べて正当化します。

参考記事

私と神様との出会い② 神とは、宗教とは、信仰とは、日本とは何か そして宗教のカルト的要素

信者は「信じていればいつかは救われるはず」と縋りつき、どんどんと依存度を深めてえいきます。内心疑って脱会したいと思っても、「地獄へ落ちるぞ」とか脅されているので怖くて実行に移せません。

そもそも、「今辞めるなら今まで信じてきた自分は何だったのか?騙されて時間とお金を無駄にしてきたにすぎないではないか」という思いが認知的不協和を起こして脱会を食い止めます。

宗教指導者は狙っているのかどうかは分かりませんが、信者の行動、思想、情緒をコントロールする術を心得ています。

また、第二次世界大戦時、ソ連の捕虜となったアメリカ兵たちが、帰国後に社会主義活動家になるというケースがあったそうです。これまた巧妙な心理術が施されていました。

ソ連は満足な食事を与えなかった捕虜に「資本主義を批判する文章を書けば飴玉をあげよう」といいます。飴玉欲しさに他にすることもない捕虜は頑張って資本主義を批判します。より理論的に完成度の高い批判を行うことで高い報酬が得られます。ソ連政府はずっとこれを捕虜に継続したそうです。はじめは飴玉のために頑張って書いていた捕虜は「自分は飴玉一つで転んだ男だとは決して認られない」という心境に陥ります。一丁上がりという訳です。

レオン・フェスティンガーさんはある時から学会から忽然と姿を消したようです。具体的には分かりませんが、この理論を悪用されたから研究をやめたのだともいわれています。本当に恐ろしい理論だと思います。

映画メメントから考える 
認知的不協和

昨年の4月に、このブログで『メメント』という映画についての記事を投稿しました。実質このブログの最初の記事です。

映画のあらすじをざっと説明しますと、ガイ・ピアーズ演じる主人公のレナードという男性は妻を殺害され、自身も犯人に頭を強く殴られて10分しか記憶が保てません。10分経つとすべて忘れてしまうという前向性健忘という記憶障害を負ったのでした。レナードは、唯一の記憶である〈妻を殺害された〉ことに対する復讐をはたすべく、犯人捜し廻るという話です。

記憶が保てないため、彼は常にメモを取り、出会う人物はその都度ポラロイドカメラで撮影し名前や情報を書き込んでジャケットのポケットに入れておき、特に重要な情報は、身体に刺青で書きこむようにします。

鎖骨の下には犯人である〈ジョン・G〉の名を彫り、他に犯人が白人であり所有する車のナンバーが彫ってあります。

物語は犯人と思われる人物を殺害するところから始まり、物語は時系列とは逆に遡るように進み、レナードが犯人殺害に至るまでのいきさつと、彼のこじれた記憶の真相に迫るという内容なのですが・・・。

この映画は実に奥深く、多岐に渡る示唆を与えてくれます。そんな訳でこのブログの最初の記事で触れました。

以下は重要なネタバレといいますか、映画のオチを明かしてしまいますので、映画をご覧になっていない人で、観る予定がある人は読まない方がいいです。その場合はすぐに映画を見ましょう。

映画を観た方や、観てないけど大丈夫という方は、引き続き以下をお読みください。

本当に世界はあるのか?
注意!ネタバレ含みます

結論からいえば、レナードは既にジョン・Gを殺害していました。テディ―という警官の協力のもと、犯人を探し出して復讐を果たし、記念撮影までしていました。(映画の冒頭でテディーはレナードによって射殺され、物語はスタートします。)

しかし彼はその事実を彼は認めようとしませんでした。記憶障害を負った彼は、妻の復讐に生きる以外に生きる意味を見出すことができなかったのです。レナードは所有するはジョン・Gに関する情報のファイルの一部を故意に消失させ、あえて謎を深めることで、多くのジョン・Gを作り出す要素を自分自身に与えました。

そのことをテディ―に教えられますが、レナードは記念写真とジョン・Gの死体写真を彼はライターで焼きます。さらにテディ―が次のジョン・Gであるという手がかりのメモを書いて、やがて彼を殺害するように、自身に仕向けるのでした。

レイプされて殺害された妻〉という記憶ですら、レナードが自分自信に信じ込ませていた異なる事実でした。実際には妻の命は助かっていたのです。

しかし、記憶障害の夫を支えることに疲れた糖尿病の妻は、何度もインシュリンをレナードに打ってもらい、死亡していたのです。その事実をレナードは自身に起こったことではなく、〈サミー〉という男性とその妻に起こった悲劇として自身の〈記憶〉としてすり替えていました。

以下は、映画のクライマックスでレナードが車を運転しながら、心の中で語る台詞です。

「自分の外に世界はあるはずだ」「たとえ忘れてもきっとやること(ジョン・Gを殺害すること)に意味がある」「目を閉じていてもそこに世界はあるはずだ」「本当に世界はあるのか?」「まだそこに?」「あった」「記憶は自分の確認のためなんだ」「みんなそうだ」

最後までお読みいただき、ありがとうございました。





コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*