実際問題としてこの世は存在するのか? 一方で量子力学ではこの世は人間に観測(認識)されるまで存在しないという、衝撃の実験結果が!

前回、人は知らず知らずのうちに<現実>を作っている 認知的不協和について映画『メメント』その他諸々から知るという記事の終わりに、映画『メメント』にてラストシーンで主人公レナードによって語られた言葉を紹介しました。

 「自分の外に世界はあるはずだ」「たとえ忘れてもきっとやることに意味がある」「目を閉じていてもそこに世界はあるはずだ」「本当に世界はあるのか?」「まだそこに?」「あった」「記憶は自分の確認のためなんだ」「みんなそうだ」

映画『メメント』より

 確かに彼は認知的不協和状態から、自身が受け入れることのできない現実を捻じ曲げ、自身が信じたい現実を作り出していました。これはこの映画だけの話ではなく、人間は知らず知らずのうち自分に都合の良い現実を作り出しています。詳しくは記事をお読みください。

 本日より新しい年度が始まり、新しい環境が始まる人も多いかと思います。今回の記事はなにもそんな皆様に〈現実逃避〉を提供する記事ではありません。(そうなるかもしれませんが|д゚))しかも悪いことに今日はエイプリルフールです。断っておきますが、今回の記事の題名に関しては、嘘や大げさは一切ありません。真剣に、実際問題として〈この世は存在するのか?〉を検証したいと思います。

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 〈この世〉と〈あの世〉

この世が存在しない訳がない〉と思って多くの人が生きているはずです。確かにこの世は存在しています。しかし、この世の更に向こう側、更に高い次元の場所に〈本当の世界が存在する〉という考えは、古今東西、世界中にあまねく考えられてきたことです。

日本の場合から考えていきましょう。神道では、天上の世界である高天原のような、平和で穏やかで豊かで、物や文化に恵まれた秩序正しい世の中を地上にもたらすべく、アマテラスによって天孫ニニギノミコトが降ろされました。つまり天上の世界に対して地上の世界は、未だ〈発展段階の不完全な世界〉とも捉えられます。

インド発祥で日本に古くから伝わる仏教では、この世は〈生老病死〉が伴う苦そのものと考えられています。この世に生まれる限りその因縁から逃れることはできません。悟りを開いて涅槃に入り〈輪廻転生〉から解脱することで救われるというのが仏教の教えです。

西洋ではどうでしょう。キリスト教では、審判の日に死者は皆復活して神の裁きを受けることになっています。神の国である〈天国〉に迎えられるか、永遠の炎に焼かれ続ける〈地獄〉に行くのかは、今を生きる自分自身の行いにかかっているといいます。(初めから決まっているという考えもありますが)つまり、正しい行いをして天国へ行くことが最大の目的となります。

イスラム教徒はキリスト教徒よりも更に厳しい戒律を厳格に守って暮らしています。キリスト教同様に、正しい行いをして生きれば死後天国へ行けると言います。しかしイスラム教の天国は、美味しい食べ物やお酒が沢山あり、72人の女性を選り取り見取りという夢のような世界へ行けるというだけあって、みんな必死です。ジハードと呼ばれる自爆テロなんかもそういったことが背景にあるのではないかと思われます。そうでなければそんな代償は払えないのではないでしょうか。

こうして見ると、多くの人々は確実に〈今の世界〉よりも、〈死後の世界〉のために生きてきたことが分かります。



この世自体存在しない
かもしれないという考え

この世は仮の世で、本当の最終的な世界があるという考えは分かりますが、〈この世自体が存在しない〉とはどういう考えでしょうか?沢山手がかりはありますが、ある有名な言葉から探ってみようと思います。

「我思う、故に我在り」

“自分はなぜここにあるのか”と考える事自体が自分が存在する証明である(我思う、故に我在り)、とする命題である。 コギト命題といわれることもある。 哲学史を教える場合の一般的な説明によれば、デカルトはこれを哲学の第一原理に据え、方法的懐疑に付していた諸々の事柄を解消していった、とされる。

一切を疑うべし(De omnibus dubitandum)という方法的懐疑により、自分を含めた世界の全てが虚偽だとしても、まさにそのように疑っている意識作用が確実であるならば、そのように意識しているところの我だけはその存在を疑い得ない。「自分は本当は存在しないのではないか?」と疑っている自分自身の存在は否定できない。―“自分はなぜここにあるのか”と考える事自体が自分が存在する証明である(我思う、故に我在り)、とする命題である。

Wikipediaより

デカルト(1596~1650)が言うように、確かにすべてを疑い尽した末に、唯一疑いようのない存在は、〈疑っている自分自身の意識〉です。よくぞそこまで疑ってくれた!と労いたいですね。自分は確かに存在する。ではこの世は本当に存在するのでしょうか。

デカルトよりも少し前の時代の中国で、王陽明(1472〜1529)によって説かれた陽明学では、山川草木はじめはありとある世の中の物質は、人間自身がそのように目で見て、心に感応しているからそのように〈存在している〉と思っているだけで、実際にはそんなものは〈存在しない〉と考えられていました。

司馬遼太郎さんの『峠』という小説の中で、陽明学を信奉する河井継之助という武士が、後輩の佐吉という少年に、以下のように語りました。

「春がきて桜が咲く。ありゃうそだ」  というのである。桜は客観的に存在しないし、花も咲かないし、春というものもありえない。人間が心でそれを感応するから天に春があり、地に桜があり、かつは春に花がひらくという現象がある、という。人間の目と心があればこそ天地万物が存在するというのである。つまり、天地万物は主観的存在である、という。いわば、唯心的認識論といっていい。 要するに、人間が天地万物なるものを認識しているのは、人間の心には天地万物と霊犀相通ずる感応力があるからであるという。いやいや、その天地万象も人間の心も、「同体である」という。  「だから心をつねに曇らさずに保っておくと、物事がよくみえる。学問とはなにか。心を澄ませ感応力を鋭敏にする道である」 と継之助は佐吉によくいう。


陽明学が影響を受けたという仏教の〈〉という考えでは、あらゆるものは、それ自体として実体を持っているわけではないという考えがあります。つまり、この現在我々が暮らしている世は実体のない〈仮の世〉に他ならないという考えが、世界各地域にあったのです。人間は自身が生きる世界を疑い尽してきていました。

映画『マトリックス』が描く
現実と仮想現実の世界

仮想現実〉というコトバをはじめて意識したのは『マトリックス』という映画を観た時でしょうか。高校生の時映画館で観たこの映画の衝撃は凄まじいものでした。

『ターミネーター』という映画もありましたが、あの年代(80年代頃から?)は機械の進化に対する脅威が強く意識されていました。実際に機械が人間の仕事を奪い始めた頃です。このまま行けばやがて人間自体が、機械に乗っ取られてしまうのではないかという不安がありました。そこから〈人間が自身の生み出した機械によって支配される〉という究極の世界が『マトリックス』という映画で描かれていたと思います。

この世界では、機械によって支配された人間は、機械(人工知能)が作り出したコンピューターでプログラミングされ作られた〈仮想現実〉の世界で生かされ、人間はその世界が〈現実〉と思い込んで生活しています。

映画『マトリックス』より

この機械の支配から脱すべく、主人公のネオはじめモーフィアス、トリニティ―といった戦士達が立ち向かいます。

この映画の続編として4年後に『マトリクスリローデッド』が発表されましたが、何となく観ることなく時は過ぎ去って、昨年になってようやく観ました。約17年のスパンで続きを観たのですが、その強烈な世界観は忘れることなく、ストーリーと共に記憶されていました。なので、すんなりと観ることが出来ました。不思議な映画です。

映画の雰囲気はダークネスに包まれ、後味は悪いのですが、やはり思った通りの面白い映画でした。

この世は人間に観測(認識)
されるまで存在しない!?

このことを知ったのはin Deepというブログの記事からでした。

in Deepというブログ名は、しりあがり寿さんの『弥次喜多in Deep』という漫画から取られたそうです。この漫画は江戸時代、弥次さんと喜多さんという同性愛の二人が、〈リアルとは何か?〉を求めてお伊勢参りの旅に出るというお話です。

この漫画の最終結末は〈この世は存在してないのでは?〉という気付きと、そこから〈ある〉という思いと確信と勇気が〈新しい世界を作り出す〉ということでした。

それはさておき、以下がin Deepの2015年06月06日の記事のリンクです。

《特報》「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」ことを、オーストラリアの量子学研究チームが実験で確認

 

ジョン・ホイーラー( 1911年 – 2008年)という物理学者によって1978年に「この世は人間に記録(観測)されるまでは存在しない」と予測されていたことが、2年前オーストラリアの研究チームが実験で確認したということでした。科学誌ネイチャーのオンライン版にこの実験結果の論文が掲載されています。

論文の内容は難しく、数式なんかも素人には分かりづらいものですが、in Deepの記事を書いている岡氏によれば以下のようなことが言えるのだそうです。

原子は、観測された結果があった時に、はじめてその物質の特性が決まる

ということだと思います。

ということは、物質は「観測されるまでは特性がない(つまり、存在しない)」ということになることを、この実験は導いたようです。

 

とにかく、今まで考えられてきた〈この世は存在しない〉ということが証明されたのです。この事実が人々に理解されると、この世界は一体どうなってしまうのでしょうか?




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