柳田國男著『明治大正史 世相篇』から〈世の中と自分を救う方法〉を知る

ついに発見した
世の中と自分を救う方法

以前にも少し紹介しましたが、『明治大正史 世相篇』(著・柳田國男)という本があります。

明治大正の日本人の暮し方、生き方を、民俗学的方法によって描き出した画期的な世相史です。明治から大正にかけて日本に起こった社会的変化は空前絶後の凄まじいもので、開国以前の〈日本らしさ〉や〈独自の生活文化〉が激変して、多くのものが失われました。

このままでは日本の真の歴史を知る手掛かりが失われてしまう」。それを危惧して民俗学のような学問が興りました。

「日本民俗学が今の日本を救えるかも知れない」。私がそう思った決定打は、この『明治大正史 世相篇』に記された人を不幸にする原因に関する記述でした。大学の民俗学の講義でこの本を知り、6年近くが経ち、最近になってようやくこの本を通読しました。

今まで、「ブログを書いて自分が学んだり考えてきたことをなんとしても表現したい」という思いで一念発起してこのウェブサイトを立ち上げ、順を追って大切と思われる様々なことを今まで書いてきました。

時間は掛かりましたが、私の命題であった世の中と自分を救う方法の発見までを、今回でやっと漕ぎ付けることができました。これが今のところの結論です。

スポンサーリンク



 

柳田國男を消化するのは
至難の技

柳田國男の著作を読むのは難しいことです。仕事で疲れて帰ってきて読めばたちまち眠りへと誘われます。かなりの気合と決意をもって、体力と気力が充実していなければ打ち負かされてしまいます。

大学時代に指導して戴いた民俗学の教授に「先生は柳田國男全集を全部読まれたのですか?」と質問したことがありましたが、意外にも先生は「とてもじゃない」と仰いました。他にも指導を戴いた民俗学の先生にあっては以下のように記されています。

柳田國男の文章は、私たちをあるときは酔わせ、あるときはいらいらさせる。柳田を読む、とは一体どういうことなのだろうか。

論文として読めばいいのか、随筆として読めばよいのか。

論文として読もうとすると、たちまち吉本隆明(『定本柳田國男集』月報1)のいうような「無方法の方法」や「連環想起法」の迷路の中に連れ込まれ、私たちは出口をさがして右往左往することになる。随筆として軽く読もうとすると、情緒あふれるその語り口のなかから、次々とおどろくべき知の世界への扉を開かれて、興奮のあまりいても立ってもいられなくなってしまう。(柳田國男全集13/ちくま文庫P.721の解説より)

 

『全国アホ・バカ分布考』の著者、松本修氏はこの本の中で以下のように語っておられます。

楽屋で「蝸牛考」を読み始めたが、しかしそこにはなにが書かれているのか、私にはさっぱり理解できなかった。論旨がまったくつかめない。なにかわかりやすくキーになる表現を見出そうとしても、それがいっさい見つからない。(中略)全編、なにか特別の学問的な約束事の上に立って、連綿と文章は綴られている。この偉大な学者は、素人のごときがこれを読み取ろうとするのを、あらかじめ拒否しているかのようであった。きっと複雑に理屈の組み合わさった、難解な哲理を説いているに違いあるまい。(P.44〜45より)

松本氏は京都大学をお出になったそうです。このような高学歴の方々さえ音を上げる理解し難い柳田國男なのです。

柳田 國男(1875〜1962)upload.wikimedia.org

そもそも分かり易く説明する気なんか更々無いような語り口です。『明治大正史 世相篇』に至っては、昭和の初め頃に成人していた人ならば、誰でも知っていてわかるような事柄について語っています。なので、ことさら説明し論じてはいません。私の祖父母よりも上の世代の人、即ち今の時代の100歳超えの人にしか通じない話題です。注釈もありませんし、とうぜん理解するのは難しいのです。



『明治大正史 世相篇』の
 目論みは失敗だった!?

この本は15章で構成されています。衣食住生活に照準を当てた1章~3章までは、知られざる江戸期の日本の生活文化を、新鮮味を持って知ることができ興味深いという印象です。

中でも私は、人々の色彩感覚の変化について衝撃を受けました。柳田先生はこの1~3章を書き終えると非常に疲労して、休養を余儀なくされたといいます。

当時朝日新聞の論説委員であった柳田先生はこの本の序章にて「新しい企てだけに案外な故障ばかり多かった。日限は相応に取ってあったにもかかわらず、なお非常に印刷所を待たせて、しかもこのような不手際なものしかできなかった。」「毎日われわれの眼前に出ては消える事実のみに拠って、立派に歴史は書けるものだと思っているのである。それをたまたま試みた自分が、失敗したのだから話にならぬが、」(本書p.5より)とあります。

このように、明治大正史の編纂は失敗だということが、なんと最初のページで語られています。

全国各地の60年分の新聞記事を渉猟してみたものの、新聞だけでは分からないことが多いといいます。確かにそうでしょう。なので、当時の人々が当たり前すぎて気にも止めない平凡な事実を挙示することになったそうです。しかも論評風に著述することでありふれた事実に、あらためて注意をひくことを目論んだといいます。

本は最初から最後まで読まないと、重要なことを見落としてしまう可能性があります。私はこの心配から全部本を読んでしまうのですが、何を、どこをどう読むべきかを判断する読書術があります。ある本に対し、あえて〈読まない〉という判断を下す場合もあります。

読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門(著・佐藤優)という本は、〈本とどう向き合うか〉について多くを教えてくれましたが、あえて私は〈通読する〉という選択をしました。この本を「自分にとってこの本は私が探し求めていたラスボスかもしれない。」と思いつつ、ずっと読めずにいました。

結果、確かにラスボスでした。しかしこの本の重要な部分はほぼ〈自序〉と、〈最終である15章〉にあると思われます。キセル的な読み方で良かったのかと今思えばそうですが、でもまあ通読して良かったと思います。けっこう「へえー」と思うことがありました。が、長くなるので今回は紹介しません。

人を不幸にする原因の所在

柳田先生は当初の目的を本書で果たすことができなかったようですが、非常に重要なことを教えて下さいました。

最終の15章をキセル読みするとそれがよく分かります。以下が冒頭の部分です。(結局キセル読みかよ!( T_T)\(^-^ ))

歴史は多くの場合において悔恨の書であった。彼際ああいうことをしなかったら、こうも困らずにいられたろうという理由が発見せられ、それがもう完結して後の祭りとなっているのであった。しかるに明治大正の後世に誇ってもよいことは、これほどたくさんの煩雑なる問題を提供して置きながら、まだ一つでも取り返しの付かぬ程度にまで、つきつめてしまわずに残してあった点である。性急なる愛国者はこれをも堕落というだろうが、実際は忙しくてそうそうは考えていられないものが多かった。(本書P.428より)

これは現代にもあてはまると思います。多くの問題が山積みにあっても、人類は滅亡必至というところまでは追い込まれていません。

地球が何度も死の星となっても余る程のおびただしい数の核兵器が存在するにも関わらず、それは広島・長崎以来使用されずに今日まできています。

福島第一原発が事故を起こして、あわや北半球に人類が住めなくなるところでしたが、何とか食い止められました。

国民一人の借金が837万円ある日本国ですが、多くの人は世界に比べれば豊かで平和に暮らしています。

取り返しのつかないような大きな過ちは犯すことなく、我々の先人たちは社会を支えて繋いでくれました。政治や社会を批判することは簡単ですが、この事実をまずは受け入れ認めることで、創造的な一歩を踏み出せるのだと思います。

つまり「まだ希望はある」ということです。絶望は何よりいけないこと。今よりも、よりよい世界へと‥‥‥。しかしそのためには、後ろを少し振り返り、一体何がいけなかったのかを、確認する必要もあります。

15章の最後が以下です。

改革は期して待つべきである。一番大きな誤解は人間の痴愚軽慮、それに原因をもつ闘諍と窮苦とが、個々の偶然であって防止のできぬもののごとく、考えられていることではないかと思う。それは前代以来のまだ立証せられざる当て推量であった。われわれの考えてみた幾つかの世相は、人を不幸にする原因の社会にあることを教えた。すなわちわれわれは公民として病みかつ貧しいのであった。(本書P.435〜436より)

つまり結論は、〈人を不幸にする原因は社会にある〉ということです。

人間の痴愚軽慮←(無知で浅はかで愚かでどうしようない感じ)が闘争や行き詰まった苦しみの原因であり、多くの人がこれから逃れる手立てはないと考えてきたこと。こういうあり方、考え方が社会をつくり、不幸を生み出してきたということです。

この考えを打ち払い、改めることで社会は混沌から脱することができます。では具体的に我々は何をしたらよいのか。

私の民俗学の先生はそれは〈一人一人が真に独立した個人となる〉ことだと仰いました。何もかも人任せにしないで、自分で考え、自分で勉強し、自分の力を一番の頼りにして生きる。自分の未来は自分で切り開く。と私は理解しています。

もっと簡単な言葉でいえば、〈一人一人が本当に好きなこと、やりたいことをして自由に生きる〉ことなのではないかと私は思います。もちろん完全自己責任の上においてです。そういう人こそ〈真に世の中を知ろうとする人〉であり、〈世の中に良い影響を及ぼす人〉だと思えるからです。

このことについては今後説明して行く必要があります。





コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*