ロックンロールは呪術だった!?③J・フレーザの『金枝篇』王殺しから読み解く

▲ Club 27 rr.img.naver.jpより

何度も死んでは生き返るロックンロール

多くのアーティストが自分の魂を引き換えに悪魔に魂を売り、富や名声を得てスターダムにのし上がるということを以前に述べました。

ロックアーティストはその代償なのか、何度も悲劇に見舞われますが、その都度ロックは窮地から這い上がります。

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第一の危機

1958年

エルビス・プレスリーが陸軍に徴兵される その後3年のブランクが出来る

ジェリー・リー・ルイスがスキャンダルにより全米ラジオ局で放送禁止処分を受ける

1959年

バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンスらを乗せた飛行機が墜落事故を起こし死亡する

チャック・ベリーがスキャンダルを起こし告発を受ける

リトル・リチャードが飛行機事故に遭遇し助かるもロックアーティストを辞めて神学校に入る

1960年

エディ・コクランが自動車事故で死亡する 同乗のジーン・ヴィンセントも重症を負う

この時期、荒々しいロックサウンドは鳴りを潜め、洗練されたティーンエイジポップが主流となっていたようですが、ビートルズの登場で60年代にロックは再び息を吹き返します。

第二の危機

1969年

オルタモントのコンサートで警備員が黒人青年を刺殺する事件が起こる

チャールズ・マンソンがビートルズの曲にインスピレーションを受けて自身のカルト教団を率いて無差別殺人事件を起こす

ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズが死去

1970年

ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリンが死去

1971年

ジム・モリソンが死去

彼らは「クラブ27」と呼ばれる27歳で死んだロックアーティストに入り、ロバート・ジョンソンや、ニルバーナのカート・コバーンもそうです。27歳の呪いとも呼ばれます。

70年代は相次ぐロックスターの死と、ビートルズの解散というショッキングな出来事とともに幕が開いたことになります。

60年代のロックは反戦運動や学生運動といった若者達にとにかくみんなで一緒に集まり何かに働きかけることが盛んに行われ、そこに意味を見出していくような風潮だったように感じられますが、70年代に入るとそのような活動は下火となり、ジョン・レノンが71年に発表した『イマジン』のように、自己の内側、内面世界の中に理想や安寧を見出す向きになりました。

ロックの持つ反抗精神は削がれ、次第に芸術性求めた高度な音楽や、耳触りのよい聴きやすい音楽が主流となっていきます。

そういった意味で、70年代末ロックは再び窮地に立ち死にかけていました。そんな中、76年セックス・ピストルズの登場を期に、ビートルズ以降最大のロック革命であるパンクムーブメントが起こります。彼らの登場は社会にかなりの衝撃を与えました。王室や政府、大手企業を名指しで批判するストレートな歌詞に、粗野で衝動的、荒々しい演奏によって怒りを表現することは、その時代の音楽シーンにおいて、本来のロックミュージックに回帰するような動きであったと思います。

セックス・ピストルズ・gahetna.nl/over-ons/open-data

このようにしてロックはその呪縛と争い続け、幾度となく死の淵から這い上がり息を吹き返してきました。

聖なる王を殺すことと
ロックの死

『金枝篇』の口絵として用いられた 『金枝』(J.M.W. Turner)

こういったロックの歴史を振り返ってみて、私はロックが呪術である所以をもう一つ発見しました。それはジェームス・フレイザー著の『金枝篇』という本に書かれている「聖なる王を殺すこと」とロックの死に同一性を感じたからです。

ジェームス・フレイザーという人はイギリスの社会人類学者で、彼の代表作の『金枝篇』という本は1890年に初版が出版されました。イタリアのネミ村の祭司はなぜ「聖なる樹の枝」の枝を手にした者と戦い、殺される宿命にあったのかという謎を追い、およそ40年もかけて著された13巻からなる大著であり、民俗学・神話学・宗教学の基本書として高く評価され、後の学問に多大な影響を持ちました。大学の宗教学での講義では必ず出てくる重要な本です。

フレーザーは、世界各地で見られる様々な魔術、呪術、風習の事例を収集し、類感呪術(例:ワラ人形)や感染呪術(例:髪の毛をお守りにしたり)といった呪術には法則性があることを発見しました。

「聖なる王を殺すこと」とは、どういうことかといいますと、古代社会において「王」という存在は自然の運行を守り、いわば宇宙の動きの中心であり、四方八方へと力を発するような存在だと考えられていたようです。

事実、王は暦を制定して時間を支配し、貨幣や紙幣を発行して空間(土地)を支配できるわけです。

その王が年老いて力が弱ってきたらどうなるのか。

王の力の衰退が自然界の恵み、豊穣を脅かすことに繋がってしまう(感染の原理)と古代人は考えました。よって力の衰えた王は継承者に殺されなければなりませんでした。王の霊魂が衰えによってひどく力が損なわれないうちに、王の身体、生命力に衰えの兆候が見えたら、たちどころに殺して、その霊魂を元気な継承者の内に取り込まねばなりません。もし病気で王が死んでしまえばその霊魂はどこかへ行ってしまい、捕まえることができないと考えられていたからです。

王の霊魂を受け継ぎ、自然の運行を良い状態に維持してゆく。この霊魂観のために古代の王様達は、過酷な運命と責任を背負い、それによって秩序を生み出していました。こういった風習はギリシャ、古代エチオピア、エジプト、アフリカ、カンボジア等の広い地域に見られるそうです。

インド南部では衰えの兆候が見えてからでは遅いとのことで、王の在位期間を12年に定め、任期を終えた王は民衆の前で自らの身体を切り刻み、最後に喉を掻き切り殉教死を遂げねばなりませんでした。ジャワでは王は他の者に死ぬのを肩代わりして貰うようになったようです。

ロック界で行われる王殺し

ここでロックの歴史と照らし合わせてみますと、60年頃下火になっていたロックは、ビートルズやストーンズ、アニマルズといったアーティスト達がアメリカに進出し、ヒットを放ってロックは息を吹き返しました。しかし、アメリカで頑張っていたアーティスト達にとってはブリティッシュ・インヴェイジョン(イギリスの侵略)と呼ばれ、イギリス勢のレコードのプレスが間に合わないほどのブームにより、アメリカのアーティストのリリースが難しくなるほどの勢いでした。アメリカのロックはここで一度死に、その後ビートルズ等の影響で様々な音楽が生み出だされ、新たなロックの時代を迎えることができました。

しかし70年頃、数々のスターの死やビートルズの解散、で再びロックが衰退します。ロックのカウンターカルチャーとしての性格が弱まってきます。そんな70年後半に登場したのがセックス・ピストルズでした。パンクムーブメントは僅かな期間で終息しますが、パンクはミュージックシーンを活性化し、音楽環境を一変させ、ニューウェイブと呼ばれる様々な音楽的要素をもったアーティスト達が登場するきっかけを生み出し、アメリカにも進出しシーンを盛り上げました。これは第二のブリティッシュ・インヴェイジョンと呼ばれています。

しかし、やがてMTVを中心とするビデオクリップ中心のプロモーションにより、ロックは商業音楽、娯楽音楽となり果てます。そんな90年代始め、メインストリームのロックに対し、アンダーグラウンドのインディーシーンから音楽性を主体とした個性的なバンドが数多く世に出ます。ニルヴァーナ、パールジャム、レッチリ、ソニック・ユース、スマッシング・パンプキンズといったオルタナティブロックの登場です。

ニルヴァーナ

 

オルタナティブ・ロックとは、音楽として一括りにはできない様々なスタイルの表現であり、メインストリームとは違う「もうひとつのロック」という意味合いのものでした。しかし、オルタナティブロックと呼ばれるバンドが売れて次々とメジャーレーベルと契約し、やがてメインストリームを形成するという皮肉な結果をもたらします。

大きすぎる成功はその後彼らに大きなプレッシャーとなり、さらにメジャーレーベルとの軋轢を生み、直接的要因は何だったのかは分かりませんが94年4月にニルヴァーナのフロントであるカート・コバーンがショットガン自殺する事件が起こります。これで再びロックは死にます。

一方イギリスではアメリカから来襲した、オルタナティブロックやヒップホップといった音楽に押され、イギリスのアーティスト達にとって脅威となります。

そんな中、「愛国的音楽」のムーブメントを予見し、93年「Modern Life Is Rubbish(モダンライフ・イズ・ラビッシュ)」において「我々は過去のクズに埋もれて生きている」という皮肉めいた立脚点のもと、独自の英国の伝統的なポップミュージック「ブリットポップ」という方向性を示し、94年に発表した「Parklife(パークライフ)」で一気にスターダムにのし上がったバンドがブラーでした。その後オアシスも登場し、ブリットポップムーブメントが起こります。

ブラー

一時は海外にまで広がる兆しも見せたと言いますが、ブラーのデーモン・アルバーンの「ブリットポップは死んだ」という発言により97〜98年頃にムーブメントの終止符が打たれました。

このようにロックの歴史の移り変わりを見てみますと、どうしても『金枝篇』の「聖なる王を殺すこと」の慣習といいますか、このような呪術的思考のもとロックの世代交代が行われているように思えます。ロックスターが自らその命を絶つようになるのも似ているといいますか。

とにかく、このような実態が浮かび上がってきました。

最後にニールヤングの”Hey Hey, My My ”という曲をお聞きください。この曲はセックス・ピストルズのボーカルジョニー・ライドンがバンド脱退を表明したライブにおいて「ロックは死んだ」と発言したことに対して歌っており、カート・コバーンの遺書にこの歌詞の一説が引用されたといわれています。

以下、歌詞の一部を引用します。

The king is gone but he’s not forgotten
王は去ったが、彼が忘れられることはない
This is the story of a johnny rotten
これはジョニー・ロットンの物語だ
It’s better to burn out than it is to rust
燃え尽きる方がいい。錆びついてしまうよりは
The king is gone but he’s not forgotten
王は去ったが、彼が忘れられることはない

Hey hey, my my
お前たち
Rock and roll can never die
ロックが死ぬことはあり得ない
There’s more to the picture
表層の状況には
Than meets the eye
目に見えない深層があるんだ
Hey hey, my my
お前たち

「王は去ったが、彼が忘れられることはない」という部分からどうしても『金枝篇』が思い起こされます。




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