ロックの歴史② 60年代から多様な展開をみせたロックミュージック

前回に引き続き、今回もロックの歴史についての記事です。ビートルズの登場は世界に衝撃を与え、以後ロックンロールは様々な発展を遂げます。その音楽を映像と共に振り返ってみます。

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ブリティッシュ・インヴェイジョン
(イギリスの侵略)

ビートルズに続いて60年代にはイギリスから後続のグループが続々と登場し、アメリカ、そして世界へと活躍の場を広げていきます。

その代表格として、ビートルズと同時期にデビューして今なお現役。R&B、ブルース色の強いワイルドで都会的なグループとして人気を得たローリング・ストーンズ。

そのローリング・ストーンズよりも一足先にアメリカで成功を収めた、ブルースに深く傾倒したアニマルズ。

この頃のイギリスのロックバンドはだいたいR&B、ブルースを下地にした音楽スタイルで、ヤードバーズなんかもそうです。

 

ハードロック、ヘヴィメタ、プログレ、グラムの派生

ヤードバーズのメンバーだったご存知エリック・クラプトンはその後、ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズというブルースロックバンドに在籍。その後クリームを結成し、卓越した演奏テクニックと大音量によるヘヴィーなサウンドでセンセーションを巻き起こし、史上最強のパワートリオと語られます。

即興的な演奏で聴き手を引きつけるギターのプレイスタイルが注目を集め始めますが、アメリカ出身のジミ・ヘンドリックスが登場。その演奏にはクラプトンも脱帽したのだとか。

クラプトンと同じくヤードバーズ出身のジミー・ペイジは68年にレッド・ツエッペリンを結成します。

60年代後半にはブルースをベースにしたバンドの多くがハード・ロックへと変化したようで、ディープ・パープル、ブラックサバス等の後続グループがヘヴィ・メタルなサウンドで進出します。

さらに、ジャズやクラシック、現代音楽とロックを融合させ、芸術志向の強いプログレッシブロックが流行。その代表格がキングクリムゾン。

 

さらに、華やかな衣装とメイクをほどこし、空想的な世界観を持ち、娯楽的要素もふんだんに取り入れるグラム・ロックが登場。日本でいうヴィジュアル系でしょうか。昨年亡くなられたデヴィット・ボウイがその代表格に挙げられます。

1970年にビートルズが解散します。それ以降の70年代、アメリカではシンガー・ソングライターがブームになり、カントリーとロックが融合したカントリーロックや、フォークギターをエレキギターに持ち替えたボブ・ディランやサイモン&ガーファンクルのようなフォーク・ロックが流行。60年代にビートルズがアメリカに進出し、その影響は急速に全米に広がり、伝統的な音楽にまでそのスタイルに変化を及ぼしたと言えます。

また、60年代後半にアメリカ西海岸のサンフランシスコでは、LSDといった覚醒剤の幻覚体験を追体験できるようにしたアシッド・ロック、サイケデリック・ロックが生まれます。典型例としてはジェファーソン・エアプレインが挙げられます。

70年代はアメリカでも、イギリスにおいてもロックミュージック全体が(一部除き)成熟期を迎えます。派生して誕生した様々なロックの各ジャンルにおいて、音楽的にも、商業的にも洗練されていきました。

うるさい音楽ばかり聴いていると疲れますしね。かつてのロックミュージックのリスナーは大人になり、少し落ち着いた耳触りの良い音楽を求め始めると同時に、経済力を兼ね備えたリスナーによるレコードのセールスは、音楽ビジネスは巨大な利益を生み出すシステムとなりました。

声を荒げない、反抗しない、音を重視するロックはAOR(オーディオ・オリエント・ロック)と呼ばれ盛り上がりをみせます。代表格のボズ・スキャッグス のこの曲はどこかで聴いたことがあるという人も多いでしょう。

パンクの発生

そんな中、ビートルズ以降最大のロック革命をもたらした「パンク」というムーブメントが到来します。そのルーツは60年代中頃のアメリカ各地に存在していたとされるガレージ・パンクにまで遡ることができるともいわれていますが、ムーブメントが起こる直接のきっかけはニューヨークのクラブシーンで活動していたパティ・スミスが75に発表したデビューアルバム『ホーセス』のヒットからでした。収録曲のグロリアはクラシックパンクの一つとして知られています。

これを契機にニューヨークのクラブ・シーンが注目を集め、テレヴィジョン、ラモーンズ、トーキング・ヘッズが次々にデビューし、この動きに敏感に反応したのがイギリスの若者達でした。

当時はイギリス病と呼ばれる慢性的な不況、失業問題によって社会に対するフラストレーションが鬱積していたようでして、76年セックス・ピストルズの登場はその導火線に火をつける役割を果たしました。

そんな彼らに対するイギリスの保守層の評価は以下のようなものでした。

 

紳士の言葉

私の意見としては、パンクロックは下品で不快で、耐えがたく、安っぽくて暴力的で、おぞましい。

救いようがありません。

彼らがポックリと急死することを祈ります。

セックス・ピストルズは最悪のグループです。

おぞましいチンピラ集団、人類の敵です。

深い穴を掘って埋めてしまうべきです。

それが全人類の進歩に大きく貢献するのです。

これを見てもわかるように、彼らの登場は社会にかなりの衝撃を与えます。

自国の王室や政府、大手企業を名指しで批判するストレートな歌詞に、粗野で衝動的、荒々しい演奏はその時代の音楽シーンにおいて、本来のロックミュージックに回帰するような動きであったと思います。

それまでのイギリスにおけるプログレやハードロックの演奏は、もはや高度な演奏技術を要するものとなり、リスナーがコピーしようにも容易にはできなくなった中、パンクの音楽スタイルは多くの若者に表現するチャンスを与えます。スリーコードの簡素な演奏で多くの即席ロックバンドが結成され、自分たちの置かれた現実に対する心情を歌にしました。

パンク以後

(以下文章のみ)

しかしこのムーブメントは急速に終焉します。

78年にピストルズのメンバーのロットンが脱退したことであっけなく解散すると、程なく人気パンクバンドのザ・ダムドも同様にメンバーの脱退で解散。さらに、名門クラブからパンクバンドを締め出すことを決定。パンクバンドの演奏時には喧嘩騒ぎが絶えず、ケガ人、器物破損の問題からでした。

パンクムーブメントは終息しますが、パンクはその勢いで音楽シーンに風穴を開け、数々の遺産を残しました。音楽業界自体が活性化しパンクブームに便乗してエルビス・コステロやXTCのようなニュー・ウェイブと評されるアーティストが登場したり、スカやレゲエ、ダブのサウンドに影響を受けたスペシャルズが人気を博したりと、様々な音楽の要素をもったバンドが音楽を自由に表現して自分たちを売り出すようになりました。

大手レーベルからデビューするのではなく、インディペンデント(独立)・レーベルからデビューしヒットを飛ばすことが可能であることを示し、スリーコードで作った曲にメッセージを込めて鳴らされるパンクの成功は、自分たちの好きな音楽を自分たちで作り、自分たちで売り出してやるんだという気概を培ったと言えます。

このパンクの精神をDIY(Do It Your Self 自分自身でやれ)といい、音楽の形態を問わずに以後、多くのアーティスト達にその精神が引き継がれていきます。

つづく





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