周縁で発生した芸能が中心へ向かう時何が起こるのか? アメリカ音楽界を参考に 

今月は4回に渡って芸能について考えてきました。先月はロックの記事ばかり書いていましたが、今回でその伏線を回収します。

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もともと芸能はロックな存在

芸能という言葉には変遷があり、かつては広義において、尋常ならざる力を社会の外部から招きいれてその力を活かすことを〈芸能〉と呼んでいました。その意味では、歌人、武士、鍛冶屋、遊女は皆、芸能人でした。

尋常ならざる力とはカミの力であり、自然の力のように荒ぶる制御困難な力でした。例えば、室町時代に生まれた田楽は、庶民の間で死人が出るくらい熱狂的な盛り上がりを見せました。

貞和五年(1349年)京都四条河原で将軍が訪れる程の大規模な田楽の催しが行われ、熱狂した観客が騒いだことで浅敷(舞台•観客席)が倒壊してしまい、下敷きになる者、混乱に乗じて盗みを働く者、これを追って斬り合いとなり血飛沫が飛んだり、ひっくりかえった釜の湯を浴びてしまう者がいたりと、その混乱ぶりが『太平記』に描かれています。

やがて江戸幕府の武家式楽としての地位を確立すると、勝手に文章や演出を変えることが出来なくなります。以後、家元制度によって代々厳格に継承される権威的な芸能となりました。

一方で江戸時代に庶民の間では歌舞伎が勃興し、熱狂の渦を巻き起こします。歌舞伎は風紀を乱し、民衆を扇動しかねない危険な芸能として幕府に厳しく取り締り、規制が課されてきました。能も歌舞伎もはじめは民衆に熱狂をもたらす芸能だったにも関わらず、伝統芸能と大衆芸能とに分けられてしまいました。二つはもともと社会の周縁部分からもたらされるロックのような極めて危険な存在だったのです。

日本の歴史の中で、かつては芸能者の位置はつねに低く、アウトローの扱いを受けてきました。能を大成した世阿弥が足利義光の気に入られていることに対し、「あのような乞食同然の者と将軍たる者が」と、ある貴族が憤激を記しているようです。歌舞伎が江戸幕府によって厳しい立場にあったように、室町時代の能も、義満の子供である足利義教が6代将軍となる時代には世阿弥が、佐渡島に流刑されるなど、厳しい境遇に立たされていました。

アメリカの政治の中におけるロック

社会にとってやっかいな存在が、為政者に接近する例は現代にもあります。アメリカにおけるロックミュージシャンがよい例だと思います。

今から9年前の2008年。民主党の大統領立候補者だったバラク•オバマの応援のために、伝説のロックバンド「グレイトフルデッド」が一夜限りの再結成ライブを行いました。

グレイトフルデッドは、60年代のヒッピー文化を代表するようなアーティストであったのですが、1995年にバンドの中心メンバーであるジェリー•ガルシアが死去。この年にバンドは解散していました。当時、米国での反応はケネディ、キング牧師、ジョン•レノンの死に匹敵するものだったといいます。クリントン大統領は彼を天才と讃え、サンフランシスコ市長が全市民に半旗掲揚を呼びかけました。

ビル•クリントンやアル•ゴアといった当時の国のトップ達もデッドヘッズ(デッドの熱狂的ファン)として知られ、その影響力は計り知れないものがありました。ヒッピー文化の発信者であった彼らが、かつて敵視していたと思われる政治家という立場者の応援をするのは何を意味するのでしょうか。他にも当時、イーグルス、マドンナ、ボン•ジョヴィ、エミネム、マイケル•ジャクソンといったビックアーティスト達が積極的に民主党を支持していました。

2016年のアメリカ大統領選挙においても、ボン•ジョヴィ、マドンナ、レディー・ガガ、ビヨンセ、ケイティ・ペリーと錚々たる面々がヒラリー候補の支持を表明していました。一方のトランプ大統領を支持するアーティストはあまりいませんでした。というか逆にエアロスミスやREMなどから自身の曲を使用しないように抗議される始末でした。

ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い

私が中学生の頃、英語の教科書に「ウィ・アー・ザ・ワールド」を題材として取り上げた記事がありました。それをいいことに、英語の先生がそれに参加した主なアーティストの代表曲を授業の初めに必ず聴かせてくれました。その歌詞カードの英単語を穴埋めするリスニング問題を解けば点数がもらえました。

「ウィ・アー・ザ・ワールド」とはアフリカの飢餓と貧困を解消しようというチャリティーの取り組みで、全世界で約1600万枚ものレコードを売り上げました。

クインシー・ジョーンズが制作指揮をとり、マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、ダイアナ・ロス、シンディー・ローパー、ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーン、ビリー・ジョエル、ダリル・ホール、ヒューイ・ルイス、ウィリー・ネルソン、サイモン&ガーファンクルといったアメリカミュージック界の大スター達が共演するという夢の共演が実現するという、1985年の当時として、大きな出来事でした。

『ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い』著・西寺郷太(NHK出版新書)という本があります。先月、ロックンロールは呪術だった!?①〜③というシリーズ記事がありました。これはそれに関連する話です。
この本によれば、チャリティーソングの金字塔として名高いこのウィ・アー・ザ・ワールドこそが、アメリカン・ポップスを終わらせた張本人ではないかといいます。著者は、この曲の誕生から、完成に至る過程のメイキング映像にその呪いの原因を求めます。

楽曲と映像の合わせ技。それこそ、僕が〈ウィ・アー・ザ・ワールド〉を「アメリカン・ポップスの集大成」だと考える理由だ。

ただし、この奇跡の夜のルポタージュは、少しばかり「面白すぎ」た。登場した歌手の多く、特に映像でもその派手な魅力が伝わりやすい者(例えばシンディ・ローパーやティナ・ターナー、ヒューイルイスなど)は、極度に愛されすぎ、成功しすぎた。彼らの「顔と名前」そして「声と音楽」は老若男女に認識され、愛される「世界のお茶の間有名人」になってしまった。

まるで流布しすぎ、露出しすぎた「一発ギャグ芸人」のように……。参加者は鮮烈な印象によって、世界規模で消費し尽くされた。(本書p.173〜174より)

著者の西寺氏は、参加アーティストの多くが「ウィ・アー・ザ・ワールド」を境にその「呪い」が発動したとして、ヒットチャートから転がり落ちていった事実を時系列で示されています。

当時大人気だったライオネル・リッチーは86年〈セイ・ユー、セイ・ミー〉をヒットさせるも、これを境に勢いが急速にストップし、その後10年間レコードを出さず、精神的にも脆くなったといいます。

他にも、スティーヴィー・ワンダー、ティナ・ターナー、ビリー・ジョエル、ダイアナ・ロス、ケニー・ロギンス、ダリル・ホール&ジョン・オーツ、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース、シンディー・ローパーなどのアーティスト達が、軒並みセールスを急激に落としていく様が、数字をもって記されています。制作の指揮を執ったクインシー・ジョーンズに至っては、その後重度の鬱を患い、生涯を施設で過ごす覚悟にまで追い込まれたといいます。彼は、これ以上望むべきものはないというほどの成功を得ていたのです。

一方で、当時から大人気だったマドンナやプリンスといった、ウィ・アー・ザ・ワールドに参加しなかった、出来なかったアーティスト達はその後もヒットを連発し、着実にキャリアを積み重ねていきます。西寺氏によれば、マドンナはこの種のチャリティー企画の危うさをその天性の勘で感じ取っていたかもしれないといいます。

あまりにも国民的になり、素の姿を晒してしまうと、アーティストの持つスリルとダイナミズムは失われる。(p.186より)

〈芸能・音楽〉が死を迎える時

秘すれば花なり秘せずは花なるべからず

この言葉は、世阿弥が著した『風姿花伝』の中にある有名な言葉です。この本で、世阿弥は芸上達の秘訣や、興行を成功させるための方法論を具体的かつ詳細に記しています。

〈ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い〉が発動した原因はここにあるようです。

〈芸能・音楽〉が社会の周辺からやってきて大衆に熱狂をもって迎え入れられる。そこまではいいのです。今までにない異様で魅力的な芸能は、しばらくの間人々を魅了します。

それは自分の知らない世界を知ることができるからでしょう。新しい表現から新しい世界を知り、その発見・出会いの喜びも相まって歓喜・狂喜という心の躍動が魂に働きかけてきます。これを日本では古くから〈鎮魂〉と呼んでいます。カミを迎え入れ、その力を社会にもたらすのが芸能です。芸能はまさに神事なのです。

〈芸能・音楽〉はミステリアスな部分、つまり世阿弥の言う〈花〉をオープンにしてはおしまいだということが分かるかと思います。

社会の外(神々の世界)からやってきて社会の周辺部(アウトロー)を通り、一般大衆に迎え入れられた〈芸能・音楽〉はやがて社会の中心へと迎え入れられます。かつて乞食同然と考えられ蔑まれていた能楽師の能が、幕府の式楽となったように。また、かつて悪魔音楽、不良音楽と非難され、カウンターカルチャーを代表する音楽だったロック。そのロックアーティスト達が大統領の応援するようになったように。

中心に取り入れられた〈芸能・音楽〉は、社会にとって人畜無害なものになっています。(そうでなければ困ります。例えるなら英国の宮殿にセックス・ピストルズは呼べません。)国民的な支持を受けるような成熟した〈芸能・音楽〉は政治に利用するのにもってこいです。

秘すれば花も大事ですが、〈芸能・音楽〉が中心へ取り込まれることが、最終的にその死を迎える時なのではないかと思います。(もちろん芸能・音楽そのものが素晴らしいものであることに変わりはありません。)

オバマ大統領を応援するために演奏したグレイトフル・デッド。その名前の意味は「感謝する死者」です。なんだか皮肉めいたものを感じてしまいます。

グレイトフル・デッド

私はグレイトフル・デッド結構好きです。





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