『明治大正史 世相篇』を通読したので面白いと思ったことを挙げてみた 後編

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前回からかなり更新が滞っていますが、引き続き『明治大正史 世相篇』で特に面白いと思ったことを引っ張ってきて、解説してみようと思います。ですがその前に、私の生まれた家の話をします。

私は明治大正を感じることのできた
最後の世代?

私は昭和の末期に生まれました。私の父は戦後生まれですが、小学生のころから家の農作業を手伝い、荷牛車を引いていたと聞きます。家に向かう坂道を登る時は自分も押さなければならず、大変だったと聞きます。祖母は父のおむつをその坂道の下の川で洗っていたといっていました。

私の生まれた家は明治時代に建てられたものでして、便所は汲み取り式。祖母が天秤棒に便所の肥を入れた桶をぶら下げ、畑に撒きにいっていたのを覚えています。

子供の頃、遠い親戚の家に泊まりにいくと、風呂が薪を焚いて沸かすタイプでした。近所には釜戸のある家や、手押しポンプの井戸を使っている家もありました。(もちろん今はありません)

こういう話をすると同世代に人にも珍しがられます。私の年齢は30代半ばですが、明治大正生まれの家族と一緒に過ごした経験を持つ最後の世代が、我々世代ではないかと思います。

時代は常に変化し続けており、今では古い伝承や文化、慣習であっても、それが生み出された瞬間は、その時代にとって斬新で新鮮なものでした。

特に明治大正時代は日本が激変した時代で、衣食住を初め文化思想が180度変わりました。しかも急激な速度を伴いました。

それに伴い、価値観は時代によって変化していくのです。

ケンカのあり方について

人はそれぞれの価値観を持って生きていますから、意見が対立した際、怒りを露わに声を荒げたり、暴力を振るったりすることもあります。ですが、私はこういったケンカが嫌いです。絶対に争いごとを避けたいと思って生きています。

しかし、私の親友や兄弟といった身近な人たちは成人してからも、時折見ず知らずの人とケンカしてブチのめしてしまったりしていました。

私の父も何度か酒場でケンカして相手を血まみれにしただとか、逆にナイフで切りつけられたことがあるといっていました。また、昔は曽祖母と祖母が、互いにお盆とお玉を持って叩き合ってケンカしていたと母から聞いたことがあります。

曽祖母は明治生まれ、祖母は大正生まれでした。

とまあ、私の家族は血の気が多い人たちでした。ですが、私は赤の他人と殴り合いのケンカをした経験はありません。そう、普通はこういったケンカは滅多にしないものなのです。

しかし、まあ明治大正の時代では違っていたようです。

「しかもその喧嘩とても、大部分は変則なる一種の社交術に過ぎなかったのである。人が世に立ち名を認められ、または新たなる若干の他人を見知るためならば、何もそのような迂遠にして、しかも危険なる手段を執るに及ばぬと覚って、現に近年は喧嘩の数が著しく減じているが、明治大正年間のこれが一つの都会の特徴であった。」

「第一のその機会が祭礼や芝居相撲、中でも花見には喧嘩はしなければならぬもののようになっていた。」

「喧嘩は事実においては求めていた一つの機会で、仲直りの盃はすなわち今まで他人であった多人数を、ただちに冷淡以上の関係に繋ぎ合わす力であった。」(p.189〜191より)

お祭りでケンカが起こることは今でもよくあります。しかし、そのケンカがコミュニケーションの手段として積極的に行われていたとは。考えてみれば確かにそうですが、今ではちょっと考えられないかもしれませんが、昔は体を張ってコミュニケーションしていたのです。

お酒と女性

私はお酒が好きでして、飲まない日は1日も無いというほどです。毎日一人で飲むのですが、かつてはしょっちゅう友人と飲みにいって楽しかったものです。お酒は最高のコミュニケーションツールかもしれません。

かつて、そんなお酒に欠かせ無いのが〈女性〉でした。

「婦人は昔とてももちろん男のようには飲まなかったが、酒を飲む場所には必ず出ていた。」

「一言でいうならば酒はもと女性の管理するものであったからである。刀自(とじ)という語は現在は杜氏(とうじ)などとも書いて、…」(p.245より)

刀自(とじ)というのは主婦や、高齢の女性に対する尊称として使用された言葉で、今でも神道では女性が亡くなると◯◯刀自命と贈り名を与えたりします。杜氏(とうじ)はお酒を作る職人さんですね。このお酒造り自体が神事と今でも考えられています。

「すなわち家々の主婦が酒造りのことにあずかった名残りで、しかも朝廷にも国々の大社にも、これが必ず女の役であったことを考えると、ただ主婦であったがゆえに造ったのではなく、最初は女性でなければならぬもっと深い理由があったらしい。」

古い時代、黒酒・白酒(くろき・しろき)というお酒が、新嘗祭や大嘗祭にお供えされたといいますが、このお酒の造り方というのがすごいのです。幼い女の子にお米を噛み噛みさせ、ペッと吐き出させたものが発酵してお酒になるというものでした。(これは液体ではなくお粥みたいなものだそうです)

なので、おっさんのはとてもじゃないけど飲みたくありません。小さな女の子のなら、なんとか神様にもお供え出来るかなあ…?といった感じで、それが女性が酒造りを行った源なのかは分かりませんが、とにかくそういうことでした。

「いかなる酒宴においても、女の臨席は絶対に必要のものになっていた。」

「酒が何故に家のために必要なるか、いかに配給することが最も社交的に有利であるかを、かつて最もよく理解した者が主婦であり、しかし今日最も冷淡にまた無関心である者もまた主婦だということである。」(p.248より)

飲み歩いていると大体、二次会、三次会はクラブやスナックといったお店に流れ着き、そこでは女性がお酒を作ってくれます。やはりお酒と女性は切っても切り離せない密接な関係です。

しかし、飲み歩いて帰ってくることが続くと、家庭の主婦の態度が冷淡なものになっていくことは実感するところです。(反省してます)

群を抜く力

この本の第14章「群を抜く力」においては、日本人の「誰かがやってくれるだろう」という無責任な考えがずっと続いてきたことが伺い知れる章です。以下、冒頭の部分から。

「群に核心がなければ団結はすなわち持続せぬということは、すでに蜂蟻以来の経験であって、人間の思索は特にこの点に関して、大きな発明は添えてはいない。」(p.404)

確かに社会や組織にリーダーは必要です。それは今も昔も変わりはありません。

話は少し変わりますが、昭和の初め、競技界のスターが賞賛され、人気を集めファンが群がる風潮があったようです。柳田先生はこれについて以下のように説かれます。

「この事実はわが邦の英雄崇拝主義が、かなり国民性の深い底のほうまで、根をさしていることを語るもので、…(中略)近ごろの団結の頻々たる不成功、組合内訌の群行動を無意義にしていた原因は、その大部分はわれわれがまだこの新しい選挙制度に、徹底しえなかった弱点から発している。」(p.406)

内訌とは内輪揉めのことです。つまり、社会組織ことごとく上手に機能できていなかったのです。「新しい選挙制度に、徹底しえなかった弱点」があったとのことですが、結論として何がいけなかったのか。

「つまりは人間の独行しえない心、ことに自分は尖端に立って烈しく働くに適しないという自覚が、いつでも多くの協同事業を、ただ単純なる後援会のごときものにしてしまうのであった。現在の実状からいうと、人は結合の必要を感じているというよりも、むしろ大将のナポレオンのごとくなるものを、懐かしがっていると見るほうが当たっている。」(p.408より)

簡単にいえば、多くの人は自分で何か行動に移すことはせず、ただ優れたリーダーに群がりたいだけということです。

「少なくとも群の中心となることは愉快なことであり、また個人として小からなる利益であった。これが毎回の総選挙に際して、滑稽なる候補者の乱立する動機でもあった。」(p.408より)

なんと毎回滑稽な候補者が乱立していたようです。昔からマック赤坂さん、外山恒一さんのような面白い人たちがいたのでしょうか?

「これは個人の教養がもう一段と進んで、だれでも名指しされれば一役は勤められるというまでにならぬ限り、なお当分は遁れがたい弊風であった。」(p.408より)

つまりは誰がリーダーになってもいいように、国民全体の資質を向上させるしかないということです。

世の中を救う方法とは? ロシア宇宙主義 日本民俗学 陽明学を参考に考えてみる

これに関してはこの記事をお読みください。

 


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