祈りの力について

〈祈り続けること〉
で確実に効果が得られる

今回のテーマは〈祈り〉です。皆さんは毎日何か祈っていますか?私は神主なので毎日祈っています。

だいたい神社での祈願というものは、正月元旦から今の節分の時期ぐらいに最も集中して皆さん受けられます。それはもう大忙しで、わたしは元旦から今まで毎日毎日神社で家内安全、商売繁盛、厄払いなどのご祈願を、奉仕してきました。

多くの方が極寒の中祈願の受け付けの行列に並ばれ、5000円や10000円といったお初穂料をお納めになって、ご祈願をお受けになられます。遠く遠方から見える方も少なくはありません。祈願を受けに行くこと自体が祈りの表れであると思います。

我々神職は〈神様〉と〈人〉との間の〈中とりもち〉としてお仕えし、人様のお願い事を神様へお取り次ぎするべく祈願祭を奉仕している訳でして、何も神主の力がすごいのどうこうではなく、あくまでも神様のお力を頂戴するために一生懸命に祈るのです。

しかし、〈祈ること自体〉にも確実に効果があります。もちろん科学的な根拠はありませんが、アメリカで祈りに関するある研究が行われましたところ、祈らないよりも祈った方が治癒率が高いという結果が出ています。その実験は以下のような内容です。

調査は、ミズリー州の病院で心臓発作を起こし入院中の男女1000人の患者を対象に行われた。まず、患者の半分を人に祈ってもらうグループ、残り半分をそうでないグループに分ける。祈る人には、患者のファーストネーム(苗字は渡さず)だけを渡し、4週間にわたり毎日、その患者の回復を願って祈るように頼んだ。祈る人は全員クリスチャンだった。患者には、だれかが祈っていることは知らせてない。

同期間中の患者の健康状態を表にしたところ、祈ってもらっている患者グループの方が、そうでない患者グループより10%ほど回復率が高かった。患者自身は祈りのことなど何も知らないのだから、祈ることでリラックスし脳の神経伝達物質の分泌が活発になるというデューク大学の説明は当てはまらない。「超自然の力を信じるしかないだろう」。そんな声が医者の中からもささやき始められているという。(Health Net Media 健康・予防医療の総合情報サイトhttp://www.health-station.com/index.htm)より

この話は広く知られている話です。アメリカでは少し前から、代替医療の一つとして祈りによる治療が見直され、科学的に立証しようという動きが出てきたといいます。アメリカではそれほど右肩上がりに病人が増加を続け、西洋医学が行き詰っているようです。

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私が経験してきた
神社での御祈祷・御祈願

神社で初宮詣や七五三、厄祓などを行うことを、御祈祷や御祈願といいますが、これが神社の主な収入源といわれております。

以前、神社のご祈祷・ご祈願について以下のような記事を書いたことがあります。

神社における祈願・祈祷について 神社で個人的な願い事をするのはどういうことか 神社と陰陽道との意外な関係

私が初めて神社で御祈祷をさせていただいたのは、大学で神道を学んでいた時です。

神社の家に生まれなかった私は、神社のことを少しでも知りたいと思い、週に一回近所の神社で助勤といってアルバイトをさせて戴いておりました。主な仕事内容は清掃、お守りの袋詰め、お札の印押しなどでしたが、10月から11月の七五三の時期には御祈祷を奉仕しなければなりません。

もちろんまだ神職の資格はないのですが、神職過程を専攻する学生として特別に許可されたといいますか、繁忙期のため多くの学生が七五三時期には神主として活躍していました。

助勤先の神社の神主さんに祭式といってお祭りの基本的な作法、お祓いの言葉である〈祓詞〉(はらへことば)、祈りの言葉〈祝詞〉(のりと)の唱え方、装束の着方を習うと、なんといざ本番です。はじめは副斎主といって、斎主(さいしゅ)である神主さんと二人で御祈祷を奉仕し、ある程度慣れたところで斎主として御祈祷デビューをします。

初めて斎主になった御祈祷では、教えられた通り一生懸命覚えて、無我夢中で奉仕させて戴きました。とても緊張しましたが神主になった気がしてとても嬉しかった気がします。しかし、同時に少し拍子抜けした感じがしました。斎主として御祈祷をするからには何かしらの修行を通じて秘儀・秘伝のようなものがあるとどこかで思っていたからです。神主さんに教わったことは、amazonや書店でも購入できる神社祭式の本に全部書いてある内容でした。

神社がほとんどが、神社本庁に包括されていますから、全国どこへ行ってもほぼ同じような御祈祷です。かつては全国各地にはそれぞれ特色のある御祈祷があったようですが。

まあ今でも探そうと思えば変わった祈祷をする神社はあります。私の住む地方の神社には今も昔ながらの特殊な、呪術性の強い祈祷が残っています。ただし、そいうったものは「民社(みんしゃ)」と呼ばれるような、家族でやっていっている神社に限られます。

戦前の国家神道時代、神社は国の管理下に置かれとことで、法令によって画一的に祭式が統一されてその個性が失われましたと言います。このことで神主の祈祷の力も低下してしまったと、<ある人>は仰います。

拝み屋になった心理学者

『祈りの研究 現世利益の実現』(中村雅彦/東洋経済新報社)という本があります。今から9年前に出版された本です。この著者である中村氏が<ある人>です。この本はちょうど私が祈ることについて考えていた時に手に取った本でした。

著者の中村氏は国立大学の教授で、心理学者という立場でありながらプロの拝み屋(祈祷師)になったという異色の研究者です。

「書を捨てよ、町へでよう」という寺山修司氏の有名な評論がありますが、こちらは「書を携えつつ、町へでよう」という、実際に経験してみて考えるという、フィールドワークの考え方です。私が教派神道について習った大学の先生も大学教授と修験者の二足の草鞋を履き、命がけで研究をされていました。

中村氏は大学での仕事の傍ら拝み屋の修行を続けられ、権訓導(ごんくんどう)という神職の資格を得られたそうです。この資格は神社本庁の資格ではなく神道系(その中でも山岳系の系列)の宗教団体から授けられる資格のようです。拝み屋とは本来宗教団体に所属しない民間の祈祷師が多いようです。

神社が共同体、公のために祈るのに対し、祈祷師は個人、私のために祈ると区別できます。中村氏が拝み屋になるために行った修行とは、毎日祝詞やお経を2~3時間ひたすら唱え続けるという内容だったそうですが、通常神社の神主がこのような修行をすることはありません。例外を除いて。

神主と拝み屋

私の先輩神主はその例外です。拝むのが大好きな人です。小さな頃から神社やお寺、お墓が大好きで、友人の家の仏壇も拝んだりと、随分変わったお方なのですが、個人的には山岳信仰お持ちで、四国で神職になったそうです。

山岳信仰は神仏習合の明治より前の加持祈祷の系譜を受け継いでいますし、四国は拝み屋のメッカと呼ばれる熱い土地です。拝み屋での祈祷もさることながら、四国の人はしょっちゅう神社で祈祷してもらうそうで、御祈祷の盛んな土地です。私はこの先輩から様々な祈祷の方法を教わりました。

ですが、神主と拝み屋は違います。拝み屋は祈祷を生業としていますので、頼まれれば誰かを貶めて欲しいとか、ひどい場合は殺して欲しいといった呪詛をも高額の金額で引き受けるそうです。神主の場合は人様の幸せしか祈ることができません。

悩み苦しみ神社の神様に救いを求めてくる人が、少しでも良くなって欲しいと御祈祷しています。もちろん疲れはしますけども、一心不乱に<無>になってひたすら祈る努力はしているつもりです。

この本を神主になってから読み直してみると「なるほどなー」と思うことが多々あります。

拝み屋から見れば神主の祈祷の力は低いということですが、私の師匠を見ていると一概にそうは言えないと思います。





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