『1Q84』を5年越しで読了。

▲イタリア版の『1Q84』のジャケットです

今回もビブリオバトります

このブログでは、〈ビブリオ〉というカテゴリーにて様々なジャンルの著作物について、いつもビブリオバトって、独り相撲で記事を書いております。

今回は村上春樹さんの『1Q84』について書きます。

ちなみに私は〈ハルキスト〉ではありません。毎年ノーベル賞の発表の前になるとハルキストの皆様はざわざわし始めます。みんなで集まってノーベル文学賞の発表を固唾を飲んで、祈るような気持ちで見守るハルキストの熱の入り方は、もはや秋の風物詩と化しているように思えます。

ハルキストのみならず、日本人なら少なからず村上さんの受賞を期待しているのではないでしょうか。

私は村上春樹さんの本はこの『1Q84』しか読んだことがありません。私はにわか村上ファンというより単に『1Q84』が好きなだけなのですが、この作品はファンの間では、『ノルウェイの森』に次いで二番目に人気がある作品だそうです。

スポンサーリンク



 

ついに読むことになった
村上春樹作品

『1Q84』が発表されて早くも9年が経ちました。(2009年発表)

読むことになったキッカケは、学生時代の職場の上司からの強い勧めによるものでした。よく私に対して「ぜひ読んでみて欲しい」と何度も勧めて下さいました。

上司はオシャレな人達が通う駅伝がとても強い大学の英文学科で、村上春樹さんの文学を研究していたというぐらいのハルキストだったのです。

普通に生きていれば、周りには必ず一人はハルキストがいます。勧めてくるのか来ないかだけです。私の妻も10代の頃、いとこの強い勧めで『ノルウェイの森』を読んだそうです。

『1Q84』を勧められた当時は、勉強をしながら夜に大学へ通っていましたから、小説を読む余裕などあまりありませんでした。ところが大学卒業の単位取得のメドもつき、就職先も決まってきた頃に「そこまで面白いというなら読んでみよう」と思い立って仕事の帰りに書店で文庫本を購入して読んでみることに。

読みはじめると内容は実に、スルスルと入り込んできました。不思議なくらいハイペースで読み続け、もっと読みたいもっと読みたいと、まるで中高生がゲームにハマったように全ての余暇時間を読書に費やしました。

文章は実に読みやすく書かれています。

私がこの作品の世界に深く引きずり込まれることになった最も大きな要因は、物語が始まった場所はその当時まさに住んでいた場所の生活圏内だったことではないかと思います。

主人公の一人である青豆さんという女性が、世田谷の砧あたりでタクシーを拾って、環状8号線を通って用賀から首都高3号線に乗ります。ところが事故のために終わりの見えない大渋滞に巻き込まれます。ところがどうしても遅れてはならない用事のあった青豆さん。首都高の上でタクシーを途中下車して、非常階段をつたって地上に降りて、三軒茶屋から東急新玉川線で渋谷に向かいます。

この東急新玉川線というところで、「ああ1984年だもんな」と気がつく。今でいう東急田園都市線ですね。この名称は2000年から使い始められたそうです。

仕事が引越し業や、ゴミ収集だったので、世田谷区を中心に多くの場所を知っていました。青豆さんの住む自由が丘、職場のある広尾。もう一人の主人公である天吾くんが住む高円寺、職場のある新宿。地方出身の私がこの小説を読んで確実にその街の情景が浮かんでくるのは、その当時東京にいて、毎日沢山移動していたからです。

『1Q84』の世界設定

それにしても舞台は1984年で、今から34年も昔です。私はその頃この世に生まれてきてはいるものの物心はついていない頃。青豆さんと天吾くんの年齢はこの頃ちょうど30歳ですが、これは私の母と同じ年齢ですから(1954年生)そう思うと「なあんだ、青豆さんと天吾くんは僕の母さんと同じ歳か」と妙に納得がいきました。

でも、何でこの時代なのかと言いますと、これはこの物語の前提にある作品、ジョージ・オーウェルの『1984』の時代を指していると考えられます。

あらすじは以下の通り

核戦争後、世界は3つの大国に集約された。
アメリカ大陸とイギリス、オーストラリア、アフリカ南部を所有する、大海に守られたオセアニア。
ヨーロッパからロシア極東までを所有する、広大な国土の持つ縦深性に守られたユーラシア。
中国や日本といった東アジアを中心として、多産と勤勉さに守られたイースタシア。
物語はオセアニアに属し、古くはイギリスと呼ばれたエアストリップ・ワンの最大都市であるロンドンを舞台とする。

一党独裁が敷かれ、テレスクリーン(双方向テレビジョン)による監視、家族による密告によって常に行動が管理される社会。
使用できる言語を減らすことで議論や空想を阻害し、動物的な欲望を枯渇させることでヒステリーかつ一面的な状態を維持することを強いられる人間。
ヒステリーの生み出すエネルギーを推進力として、敵への憎悪と党への信奉を増大させていくシステム。
このような社会情勢のもと、主人公であるウィンストン・スミスは愛人であるジュリアと愛を育んでいく。(motomoto-camel.comより)

発表された当時はSFの世界の話でしたが、2012年に元CIA職員だったエドワード・スノーデン氏によって、米政府が国民の個人的なやりとりをその電話通話、電子メールの傍受によって大規模に収集を行なっていたことが暴露されました。

アメリカ合衆国を含む全世界でのインターネット傍受

スノーデンは、英紙ガーディアンにNSAの極秘ツールであるバウンドレス・インフォーマントの画面を示し、クラッパー国家情報長官が議会公聴会で否定した3月に合衆国内で30億件/月、全世界で970億件/月のインターネットと電話回線の傍受が行なわれていたことを明らかにした。電話傍受にはベライゾン・ワイヤレスなどの大手通信事業者が協力しており、NSAは加入者の通話情報を収集していた。標的になった情報は通話者の氏名・住所・通話内容の録音のみならず、メタデータも収集しており、通話者双方の電話番号、端末の個体番号、通話に利用されたカード番号・通話時刻・所要時間、および基地局情報から割り出した通話者の位置情報も収集していた。またインターネット傍受はクラッキングではなく、アプリケーションプログラミングインタフェースのような形のバックドアによるもので、コードネーム「PRISM(プリズム)」と名付けられた検閲システムによって行なわれていた。標的になった情報は電子メールやチャット、電話、ビデオ、写真、ファイル転送、ビデオ会議、登録情報などだった。(Wikipediaより)

夢物語が少しずつですが現実に近づいてきているように感じます。様々な規制の強化により、明らかに世の中から自由が奪われ、全体主義に向かっています。

まあそれはさておき、私が子供だった1984年は、そんなことは夢物語。「ノストラダムス当たらなかったね。よかったよかった」みたいなのと同等の現実味のない話に思えるほどの、実に平和な時代でした。



 

注意 これからは重要なネタバレが含まれますので十分注意してお読み下さい。致命的なことは書かないにせよ、これから楽しみに読み始めようとお考えの方は、すぐに買って読んで下さい。


話を『1Q84』の内容に戻しますが、青豆さんが首都高3号線の非常階段を降った時を境にして1984年から 1Q84 という違う世界へと入り込みます。見た目はほとんど同じのこの世界ですが、何かが少し違います。警察官の拳銃が異様に高性能なものになっていたりします。「何かが変だな」と疑いはじめる青豆さん。決定的なのはこの世界には月が2つ存在することでした。

もう一人の主人公である天吾くんも、いつが境かはっきりしませんがこの世界へと入り込みます。天吾くんはこの世界のことを「猫の町」と呼びました。この二人は同い年で都内に住んでいるのですが、10歳の時を最後に会っていません。ろくに会話すらしたことのなかった二人ですが、大人になるまでお互いを心の支えにして生きてきました。

青豆さんのご両親は「証人会」という宗教の熱心な信者でした。よく子供を連れてご婦人が一軒一軒お家を訪ねて布教するキリスト教系の宗教がありますが、これをモデルにした宗教と思われます。青豆さんの場合特に熱心な信仰を実践している家だったので、休みの日は必ず両親とともに布教活動に従事させられ、給食の時には必ず大きな声で唱え言をしなければなりませんでした。当然クラスではきみ悪がられ浮いた存在となっていましたし、いない者として無視され、誰にも相手にされませんでした。

一方の天吾くんは子供の頃から数学の神童として周りから持てはやされ、体も大きくてスポーツもできる万能タイプの人物として、存在感はなっていました。しかし、父親と二人で暮らしていて、日曜日はNHKの集金人を仕事とする父の仕事に同行を強要されていました。

二人とも避けがたい苦痛に耐えながら暮らしています。時折二人は街中でお互い自分の親に手を引かれ歩かされている状況ですれ違ったりしていました。

ある時、学校で青豆さんを天吾くんが庇ったことがキッカケで、青豆さんは天吾くんが好きになります。誰もいない教室で一度だけ青豆さんは天吾くんの手を握り目をじっと見つめます。

それから青豆さんが転向し、2人は離ればなれに。青豆さんは生まれて初めて人に優しくされた体験として、これを支えと言いますか、心の拠り所として生きて生きます。ある意味宗教として。

青豆さんは実際の信仰からは逃れます。「証人会」をやめるために中学生から親元を離れて暮らします。一方の天吾くんもお父さんの集金に付き合うのをやめ、高校から寮生活に入ります。

30歳になり、社会人となった2人にとって、お互いが大切な存在だという認識はありますが、お互い実際に探し出して会おうというまでにはなりません。しかし、物語が進むにつれて2人はお互いを命がけで探し求めるようになります。

1Q84というもう1つの世界へと、2人が入り込んだ理由は、再会するためだった。1984年の現行の世界では決して会うことはできませんでした。

寄り添う存在としての物語


村上春樹さんの作品は、読者に寄り添う存在だと言います。

青豆さんと天吾くんのように、他人にはなかなか分かってもらえない家庭環境の問題が、世の中には多々あります。多くの人は苦しみや悩みを一人で抱え込んでいます。たまたま近くにわかってくれる人がいればどんなに良いことか。そう思います。

青豆さんが天吾くんの手を黙ったまま強く握りしめ、じっと目を見つめたことによって、2人は言葉を超えた絆で結ばれました。何も言わなくてもわかる。ありがとう。一生この気持ちは続く。

このような深い共感を誰しも求めているのでしょうか。

大人になった青豆さんはそこそこの美人でスタイルも良い素敵な人とのことですが、胸の大きさが左右違うことが本人にとってコンプレックスとのこと。仕事はスポーツインストラクターですが、裏の顔はいろんな意味で闇が深い。

天吾くんはそこそこのイケメンですが、柔道をしていたせいで耳がカリフラワーみたいになっています。仕事は予備校の数学講師と小説家です。

美男と美女の組み合わせだとなかなか自己投影は難しいから、この設定なのでしょうか。どこかコンプレックスを抱えているところが、等身大に近くなり、広い間口になっていると思います。(BOOK3で主人公に加わる牛河がさらにその間口をこれでもかという程に広げてくれます)

『1Q84』のBOOK1と2は2009年に発表され、一旦この時点で完結したか形で物語は終わります。私はこの終わり方が切ないけれども、好きだったので、BOOK2で読むのを終わってました。BOOK3は2010年に発表されていました。

このBOOK3を読むために私は今年に入ってから『1Q84』をBOOK1から読み直しました。2ヶ月かかって通読した今、とても清々しい気分です。BOOK1を読んでBOOK3を読み終えるまで5年かかりました。

思えば、映画『マトリックス』も初作から次作と最終作を観るまで18年間かかりましたし、エヴァンゲリオンの旧劇場版も前作から10年間ほどかかりました。これくらい寝かせるとなんだか良いものです。世間の話題など評価を気にする事なく純粋に物語を楽しめます。

『1Q84』って結局どんな作品

なかなか難しいですけど、引き合いに出すならば、近年大ヒットしたことで記憶に新しい『君の名は』のように、2人は無事に会えるのだろうか「大丈夫だよね?」と、ハラハラドキドキさせられる作品ということが1つにあります。

『ノルウェイの森』は映画化されましたが、『1Q84』の映画化は可能かどうか考えた時に、極めて困難であると思います。まず、セックスシーンが場面が物語の進行上どうしても必要ならまだしも、その内容が「えーーー!(◎_◎;)」となってしまうと思われます。「アッチャー。エロこじらせすぎだなこりゃあ」と。

ちゃんと作ればRー18必至です。商業的な成功を考えた場合いかがなものかと思いますし、どの作品にしても言えることですが、原作のイメージを映画に壊されたくないというのもあります。これは、文章でしか表現することのできない世界ってものが確実にあるなあと思う作品でもあります。

もう1つ重要な要素としては「宗教」「カルト」の存在なのですが、長くなりますので次回にまわします。

続く




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*